2重螺旋の恋人(清水)

『2重螺旋の恋人』原題L'AMANT DOUBLE,DOUBLE LOVER / 製作年 2017年/ 製作国 フランス/ 配給 キノフィルムズ/ 上映時間107分/ 映倫区分 R18+/ 言語 フランス語/ オフィシャルサイト/
スタッフ: 監督フランソワ・オゾン /製作 エリック・アルトメイヤー、ニコラ・アルトメイヤー/原作ジョイス・キャロル・オーツのLives of the Twins / 脚本フランソワ・オゾン/
キャスト: マリーヌ・バクト:クロエ/ジェレミー・レニエ:ポール&ルイ/ジャクリーン・ビセット:クロエの母/ ファニー・セイジ: サンドラ /ミリアム・ボワイ: エローズ/


『2重螺旋の恋人』――双子イメージで描く欲望の多面性                                                                                清水 純子

★欲望の多面性と双子
『二重螺旋の恋人』は、人間の欲望の多面性と複雑怪奇なアイデンティティを表すために双子のイメージ――シンメトリーや鏡の反射や左右対称などの相似と対照の概念――を巧みに使用して成功している。この映画の注目すべき点は、双子の設定を二人の人物を使って二重に絡ませているところである。クロエの恋人が双子であっただけではなく、クロエ自身が意識下で双子だったという二重の罠を仕掛けている。クロエの腹痛も精神不安定も、クロエが無意識に双子の姉の存在を否定し、忘れようとしたところから始まった。クロエは、恋人ポールが双子の兄ルイを隠蔽しようとしたことを責めるが、実は自分自身が双子だったことに気づく。
 フランソワ・オゾン監督は「この映画の一つのテーマは無意識。すべてはクロエの頭の中で起こるようなことです。本作はクロエの想像世界に浸り込み、本質的には精神的な物語を語っています・・・以下省略」(「フランソワ・オゾン監督 来日インタビュー」『映画パンフレット』p.9)。双子が喚起する多層なイメージは、鏡に反射する複数の像によって複視の効果を倍増する。見る角度や視点によって、一人の人間が実は複数存在するかのような錯覚を与える。人間の人格も欲望も多面体なので、見る角度によって別人に見えることがある。人格、欲望、アイデンティティの多面性を物語と形式の両面にわたって大胆に幾何学的に表現したのがこの映画である。

★双子に翻弄されるクロエ
 若い女性クロエは、失敗やストレスによって腹痛を起こす。肉体的にはどこも悪くないので、精神に原因があると感じたクロエは、精神科医ポールの患者になる。理知的で温厚な紳士のポールにクロエは癒され、二人は愛情を確認し合って同棲生活に入る。幸せいっぱいのクロエだが、ポールが別の名前を持つことを知り、さらに見知らぬ女性と親しくするのを見たため、ポールのアイデンティティに疑問を持つ。ポールに問いただしても要領を得ないため、クロエはポールの一卵性双子の兄で同じく精神科医のルイの存在を突き止め、ルイの元に通う。ルイはポールと外観は同じだが、性格は正反対である――はっきりものを言い、行動は直情的、暴力的で、性的にアグレッシブなプレイボーイである。クロエはルイに危険な魅力を感じて、ポールでは得られない性的快楽に溺れていく。
 双生児であることを認めないポールとその兄ルイの接点を探るうちに、クロエは自分が双子であった事実を認識する。最初の方の場面で、クロエの姿が等身大の多面鏡に映って、何人ものクロエが現れる場面を想起させる。母の胎内で優勢であったクロエは、か弱い姉を食い殺して自分の子宮に収めていた。膨れていくクロエのお腹は、妊娠のためではなく、吸収された胎児の姉の残存物がうずいていたのであった。混乱するクロエの前に、ポールとルイが同時に現れ、3人でトリプル・プレイをしようと誘う。取り乱したクロエは、一人を銃で撃つと、ポールとルイは重なる。ポール(あるいはルイ)は、クロエをいたわって車にのせて帰宅する。再び家の中で愛猫に見守られてポール?とセックスするクロエは、凝視するもう一人のクロエ、つまり抑圧された自分自身あるいは姉の幻影を見る。

★ポールの双子の兄は存在するのか?
 ポールに双子の兄ルイが本当に存在したのかどうかはわからない。オゾン監督が語るように、これは「すべてクロエの頭の中で起こること」だからである。クロエは、もともと精神の安定を欠いていた。その原因は、クロエの誕生にさかのぼる。母は予想外にクロエを身ごもり、シングル・マザーになってしまった。クロエは母に望まれなかった娘という劣等感を背負って生きてきた。その自虐的罪意識から、クロエは25歳になっても母がいつも自分に不満を抱いて監視し続け、批判していると思い込む。クロエの失敗を恐れるあまりの腹痛も母との関係に根がある。クロエは、自分が生まれたことが母にとって失敗の元だという劣等感をぬぐえず、自分を無意識に責めてきた。モデルをしたほど美しいが自閉的なクロエには恋人はなく、親友もいなかった。
 クロエがポールと愛し合えたのは、精神分析医に対しては自分を開かざるをえなかったからである。しかし兄のルネは、ポールよりも厳しく「嘘を言うな」と責め、クロエを裸にして強引に性的関係を持つ。クロエは表向き反発するが、実はそうして欲しかったのである。自虐的であることに慣れたクロエは、ルネに手荒に扱われたうえで犯されることを無意識に欲していた。秘密のクロエの性の歓びは、ルネが無理やりもたらしたものだと言い逃れができるからである。
 美女は、男に対して要求が多く、欲張りである。ヴィクトリア朝女性作家エミリー・ブロンテ作『嵐が丘』の令嬢キャサリンが、良家の青年エドガーを夫にして社会的体面と地位を確保する一方、荒々しく得たいが知れないが情熱的で力強いヒースクリフを忘れられず、死後も左右に夫と恋人の墓を従えた。キャサリンのように優しい男と野性的な男を一度に手に入れたいクロエの欲望が、ルネの幻覚を生み出したのかもしれない。
 いや、クロエの心を見通していたポールが、普段は隠していたもう一つの顔ルネを現し、演じたということもありうる。ポールはクロエを深く愛するうえに洞察力ある精神分析医なので、クロエの隠れた欲望に気づいたかもしれない。そもそもポールがクロエに恋したのは、クロエの中に自分を見たからではないだろうか? 精神分析医が病んだ他人の心の中に入り込むことができるのは、自分も同様の経験があるから、あるいは似た部分を持つからだと言う人もいる。ポールは、双子を求めるクロエの願望を感じたのかもしれない。ポールは、温厚な秀才の顔の下にルイの暴力性と放埓性を抑圧していたかもしれない。ポールはクロエの願いを叶えることによって、同時に自分自身の欲求を発散したのかもしれなかった。
 もしルネがクロエの幻覚ではなく、ポールの心の中の分身だとすれば、所属する身体は一つであってもルネは存在していたと言える。映画はどちらにでも、どうとでもとれるように描いている。ルネはその意味で、現実には存在しなくても、心理的には存在したと言える。

★クロエの姉は存在した
クロエの双子の姉は、この世に生まれることはなかったが、母の胎内では確実に存在していた。力が勝っていた胎児クロエが姉を胎内で呑み込んで誕生後も子宮に抱え込んでいたとは、ありえないグロテスクな妄想だと思うかもしれないが、そういう「寄生性双生児」をリサーチによって発見したとオゾン監督は言っている(フランソワ・オゾン監督 来日インタビュー」『映画パンフレット』p.7)。 呑み込んだ側にとっては気色が悪いが、生命は生みの母ですら手の出せない神秘である。双子の姉の存在を知ったクロエは、母の重荷になったという良心の呵責に加えて、姉を食べてしまったという罪意識まで背負うことになるのか? クロエの腹痛が心因性だけではなく、姉の残骸が体内に残ったためというのもショッキングである。


★螺旋階段の意味するもの
 クロエはポールの診察室に向かう時も、ルネの診察室に向かう時も、螺旋階段を上がっていく。この螺旋階段は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』を思い出させるが、クロエの心がめまいを起こして、現実を離れて幻覚状態に入っていくことを象徴してもいる。さらにこの螺旋階段は、冒頭の婦人科の診察台でクロエの膣から子宮口を撮影した画像を連想させる。母の子宮にいたクロエが螺旋状に回転してこの世に生まれ出た瞬間から物語が始まるという意味もあろう。
 螺旋階段を移動するように子宮内を旋回してめでたく生まれたクロエは、現実の世界で再び螺旋階段を上がり下りすることによって、記憶が定かでない胎児時代の無意識状態に戻ったり、現実へ
と覚醒したりの行き来を繰り返したという意味だろうか? 
ルネによるレイプで自殺を企て寝たきりになった女性をクロエが訪ねる場面も奇妙である。はじめはやさしかったその母が、クロエがルネによって快楽を味わったことに気づいた瞬間から鬼の形相に変わり、クロエは逃げ出す。直後にその女性が実母であることをクロエは知り、取り乱す。とするとベッドに寝ていたのは誰なのか? クロエの生まれなかった姉にしてはつじつまが合わない。あるいはクロエの分身だったのか? この家の出来事もいかにも夢の断片のようなつじつまが合わない、それでいて奇妙なまでリアルにクロエの黒い記憶を映し出す悪夢である。

★双子として生きられなかった哀しみ
 『2重螺旋の恋人』は、双子を不気味なもの、不吉なものとして描いてはいない。むしろ双子として生きられなかった悲哀を描くと言える。ポールの双子の兄ルイが実在したとしたら、クロエは困る反面、二種類の男を得て幸せだった。双子の片割れをクロエが撃ち殺したのは幻覚である。クロエは、無事帰宅して恋人とベッドインしているからである。クロエの相手をしたのがポールなのか、ルイなのかは定かではないが・・・ポールだとしたら、ルイを失ったクロエはいずれ欲求不満になるかもしれない。もしルイだとしたら恐い目にあうかもしれない。これもポールが双子なのが現実ではなく、幻想であったための未来への不安である。
 クロエは、姉を胎内で食わず、姉と共に生まれ出ていたらまったく違った人生になっていたかもしれない。一人で悩んで罪の意識に苦しむことはなかっただろう。母との関係も違うものになっていたはずである。
 ポールの双子もクロエの双子も現実には存在しない幻覚である。現実にいない亡霊としての双子の片割れを意識し、時にはそのイメージを追い求めたための悲哀をクロエは味わったのである。
 『2重螺旋の恋人』の最後のクレジットタイトル中に流れたのはエルヴィス・プレスリーが映画『闇に響く声』(King Creole, 1958)で歌った“As Long as I Have You” である。エルヴィスは双子であったが、双子として生きることはなかった。エルヴィスの双子の兄ジェシー・ガーロンは死産だったからである。エルヴィスは自分の誕生日、つまり兄ジェシーの命日になると兄を弔ったという。エルヴィスは、双子として生きられなかった悲哀を生涯忘れることはなかった、自分だけ生き延びたことに喪失感を感じていたと言われる。

★88点以上の評価
 アルフレッド・ヒッチコックを皮切りにダリオ・アルジェント、ブライアン・デ・パルマ、アレハンドロ・アメナーバルなど次々とサイコ・ホラーの巨匠による傑作が発表されてきた今日では、このオゾン監督作品はそれほど斬新でも、すごい切れがあるわけでもない。それにもかかわらず、『2重螺旋の恋人』は、双子をモチーフに多面で多重な欲望を見事に表現している。細かい所まで行き届いた工夫と配慮、内容と形式の両面にわたるセンスのよさと確かな構築は、近頃稀である。107分の間、観客の目を釘付けにして、好奇心を煽り、心を揺さぶり、飽きることなく引き付け、最後には満ち足りた気分にしてくれる。できるならばもう一度見たい気持ちを起こさせる。こんな映画は最近では珍しい。辛口に評価しても100点中88点以上はあげたい秀作である。

©2018 J. Shimizu. All Rights Reserved. 20 Aug.2018

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