47 Ronin

『47Ronin』
製作:ユニバーサル・ピクチャーズ
配給::東宝東和
監督: カール・リンシュ/脚本:クリス・モーガン
出演: キアヌ・リーブス、真田広之、浅野忠信、菊地凛子、柴咲コウ、赤西仁
公式HP:http://47ronin.jp
公式Facebook:https://www.facebook.com/47RONIN.jp
公式Twitter:https://twitter.com/47RONIN_JP

(C)Universal Pictures


47Ronin』:グローバルな視点が語り直す野心作

                清水 純子

アメリカ映画界制作の47Roninは勇気ある試みである。浪人47名の物語は、赤穂浪士の仇討事件を題材にした文楽や歌舞伎の代表的演目の一つである『仮名手本忠臣蔵』から得ている。
日本で国民的人気を誇る伝説的史実『忠臣蔵』をグローバルな視点と最新技術を駆使した映像によって大胆に語り直したこの映画に対する評価は、当然のことながら賛否両論である。

日本きっての名優と時代考証も知識も確かな衣装係、舞台装置係などの裏方に支えられてきた歌舞伎や日本映画を見慣れた観客には47Roninは奇異に映るだろう。
英国人と日本人のハーフのカイ(キアヌ・リーブス)の存在、日本、中国、韓国および西洋が混在する国籍不明の衣装、建物、風景、道具、メーキャップの数々は伝統を重んじる観客からは、噴飯(ふんぱん)もののそしりを免れないかもしれない。
大石内蔵助(真田広之)、浅野内匠頭(田中泯)、吉良上野介(浅野忠信)、浅野家の姫君(柴崎コウ)、吉良家の妾(菊池凜子)らが揃って英語を話すなど歴史的にはありえない設定である。
さらに人間の女からミノタウロスのような怪物、女狐、大蛇へと変身して襲う吉良の手先の妾の邪悪な企みは、3D のテクニックに支えられて画面いっぱいにスーパーナチュラルな(超自然の)迫力を生み出す。

47Roninがその設定からみても、日本の伝統的物語から大きく逸脱したグローバルな位置づけをもつアクション・エンターテインメントとして作られたことは明らかである。
47Roninはアメリカの映画人が日本文化を咀嚼し、再解釈して語り直した結果だといえる。
日本人には奇妙に見える点は、欧米人に理解できるように改変されたためだと受け入れる度量も必要である。
自殺を厳しく禁じるキリスト教文化にとっては、主君の仇討のために47人もの部下の切腹を讃える日本人の心は異文化の極致であり、到底受け入れがたいものである。

カルト集団の集団自殺ととられかねない『忠臣蔵』の設定にもかかわらず、47Roninは日本の武士にとって切腹が名誉の死であることをていねいに説明して日本の精神に忠実である。
ハーフのカイに関しても差別といじめの問題をとりあげ、「合いの子、獣、モンスター」と異質なものを排斥する差別の視点を強調する。
西欧文明には異質の日本的伝統である腹切りに従ったカイに対しては、人種偏見と差別が解消されことを示し、異文化との融合によるグローバル化の理想を織り込んでいる。相思相愛の浅野家の姫とカイの愛は、天国で結ばれるという結末も日本の伝統(『忠臣蔵』)と西洋の伝統(『ロミオとジュリエット』)の思慮深いブレンドが感じられて好ましい。

47Roninは、日本が題材となる物語と主な俳優を提供する代わりに英語を話し、アメリカはスタッフと制作を受け持つ代わりに大筋では日本の精神に敬意を払った文字通りの日米合作映画である。
したがって日本の伝統的物語が日本人だけに通用する味付けでなかったという非難は慎みたい。
日本人が好むカレーはインドからやってきたが、インドのカレーそのものではない。
日本の寿司もアボガド巻きなどアメリカ人向けのレシピを加えて人気である。
その意味でグローバルな調味料で味付けされた47Roninが日本の『忠臣蔵』と肌合いが違ってもよいではないか?
欧米化された生活様式と思考形態を持つ日本の10代の若者にとって、日本の伝統的『忠臣蔵』はすでに異文化かもしれない。
日本の新しい世代にとっても47Roninは、日本文化再発見と日本人のアイデンティティ再確認のきっかけになる可能性を秘めている。

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