アンジェリカの微笑み

©Filmes Do Tejo II, Eddie Saeta S.A., Les Films De l’Après-Midi,Mostra Internacional de Cinema 2010

63回カンヌ国際映画祭 ある視点部門オープニング作品

『アンジェリカの微笑み』 (原題 O ESTRANHO CASO DE ANGELICA/ THE STRANGE CASE OF ANGELICA)
キャスト: リカルド・トレパ(イザク)  ピラール・ロペス・デ・アジャラ(アンジェリカ)、 レオノール・シルヴエイラ(アンジェリカの母)  ルイス・ミゲル・ティシェラ(下宿人の技
師)、 イザベル・ルート(ポルタス館の小間使い)  アデライド・ティシェイラ(下宿の女主人ジュスティナ) 2015年12月5日(土)Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー 公式HP:  http://www.crest-inter.co.jp/angelica/


『アンジェリカの微笑み』― カメラの死霊に奪われた男

    清水 純子

ポルトガルの巨匠マノエル・ド・オリヴェイラ監督(1908年12月11日~2015年4月2日)の遺作『アンジェリカの微笑み』(2010)が、ついに日本上陸を果たした。オリヴェイラ101歳の監督作品である。
カメラマンのイザクは、高貴な家柄の若き美女の死に顔をカメラに収めたために、カメラに潜んだ死霊に見初められて命を奪われる。イザクを演じるのは、オリヴェイラの実の孫のリカルド・トレハである。

監督・脚本 マノエル・ド・オリヴェイラ2015年に106歳でなくなったマノエル・ド・オリヴェイラ


イザクは、その名前が示すように、セファルディム系ユダヤ人(ディアスポラのユダヤ人のなかでにスペイン・ポルトガル、イタリア、トルコの南欧諸国に15世紀前後に定住した者、あるいはスペイン系ユダヤ人をさす)である。

オリヴェイラ監督が本映画のシナリオを書いたのは、1952年。ナチスのユダヤ人虐殺の傷跡が生々しい時代である。カメラマンのイザクがユダヤ人であることは、戦後まもなかったポルトガルにおいて特別の意味がある。イザクは、定住先を持たない異邦人として、異国の地ポルトガルのドウロ河流域の小さな町に下宿していた。イザクは、令嬢の微笑む死体をカメラにとった瞬間から、カメラに潜んでいた死霊にとりつかれる。カメラのフィルター内に身をひそめて、とりつく宿主を狙っていた致死性ヴィールスの名前は、令嬢アンジェリカ。定住先もなく、係累もなく、恋人もいない、定職を持たない、孤独なユダヤ人のカメラ・オタクのイザクは、死霊アンジェリカにとって恰好の獲物である。

カメラのシャッターが切られるやいなや、死んだはずのアンジェリカは、イザクにだけわかるように、美しい目をぱっちりとあけて、にっこりと微笑み、誘惑を開始する。あまりにシュールな展開にわが目を疑うイザク。 イザクの戸惑いをよそに、以後アンジェリカの亡霊はイザクにとりつく。死霊は、仕事をするイザクの背後に煙のように姿を現してイザクを秘かに監視し、夜はイザクの夢に現れて、イザクの体に両腕を絡ませてじっと見つめて、ほほ笑む。

はにかみ屋でも、そこそこ元気で社交的であったイザクは、アンジェリカの亡霊にとりつかれてから、どんどん生気を失っていく。起きていても心はうわの空、隣人を避けて会話もしなくなり、食欲も落ちて、一人で部屋に閉じこもる。室内には現像したアンジェリカの写真が、洗濯物のように所狭しと吊るされ、散乱する。死霊に活力を奪われたイザクは、昼間に突然気絶したり、幻覚を見るようになる。夢の中で三途の河を思わせる大河の水面上で、アンジェリカに抱きつかれて浮遊し、恍惚の喜びに浸ったイザク。生と死の境界線を越える体験をしたイザクにとって、死はもはや恐ろしいものではなく、心地よいものに変化していった。心身共に天へ向かう準備が整って、下宿部屋で一人眠るイザクを、死霊のアンジェラは抱き抱え、二人は一体になって天に舞い上る。

カメラに写真を撮られると魂を奪われて死ぬという迷信があるが、イザクとアンジェリカの場合は、この迷信の逆転現象である。生きているカメラマンのイザクの被写体になったアンジェリカは、この時点ですでに死んでいる。カメラに命を吸われて死ぬ恐れのないアンジェリカは、逆にカメラを使って生者である撮影者の命を奪い、写真という形でしか確認できないものになった自分たち死者の群れに加えようと企む。不思議なことに、イザクは催眠術にかかったように、何の抵抗も示さず、死霊アンジェリカのなすがままにさせて、恍惚のうちに昇天する。イザクは、生前のアンジェリカを目にしたことはなく、しかもアンジェリカは、この世では人妻であり、妊娠したこともあるという。アンジェリカの死因は、明かされていないが、お産のために亡くなったのかもしれない。

ともかく、イザクは、この世では、人種と宗教、階級において、社会的立場においても結ばれるはずのないアンジェリカと、生と死の境界線を踏み越えることによってのみ結ばれた。死は不可能を可能にする魔法なのである。死は、生にあって超えることのできなかった垣根を取り払い、思いを遂げることを可能にする越境装置である。映画内では語られることのないイザクのユダヤ人としての苦悩と孤独は、死によって浄化された。それだからイザクは、死を恐れることも忌み嫌うこともなく、喜んで受け入れたのである。

オリヴェイラ家には、ユダヤの血は流れていないとされるが(プレスシート 「インタビュー:マノエル・ド・オリヴェイラ監督天使の形而上学」)、カメラマンのイザクは、100歳を超えたオリヴェイラの分身ではないだろうか。天に迎えられる日の近いことを予期したオリヴェイラは、老いてなお空想と幻想の翼を持って天使のように舞い上がりたかったのである。

映画人は、存在を永遠に記録しうるカメラという装置を使って、自分の思いを記録し、後世に残す。映画に魅せられて、カメラに心血を注いできた映画人オリヴェイラの人生は、カメラ内に住む貪欲な死霊に身を任せて、嬉々として死んでいく男の生涯によってメタフォリカルに語られている。オリヴェイラの辞世は、「カメラの死霊に奪われた男」としての自画像を残す作業だったのかもしれない。

参考資料: 『アンジェリカの微笑み』 プレスシート  クレストインターナショナル& Bunkamura  2015年

©2015 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2015. Dec. 11


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