アスファルト


(C)2015 La Camera Deluxe - Maje Productions - Single Man Productions -
ack Stern Productions -Emotions Films UK - Movie Pictures - Film Factory

『アスファルト』(原題Asphalte, 英題Macadam Stories
製作年 2015年/ 製作国 フランス/ 配給 ミモザフィルムズ/ 宣伝協力:テレザ、ポイントセット/提供:シンカ/後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本/ 協力:ユニフランス・上映時間 100分/ 映倫区分 G/ 言語:フランス語、英語、アラビア語/スタッフ: 監督サミュエル・ベンシェトリ/ 脚本サミュエル・ベンシェトリ/ 撮影ピエール・エメ
キャスト: イザベル・ユペール: 女優ジャンヌ・メイヤー /ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ:女性看護師/ マイケル・ピット:落ちてきた宇宙飛行士ジョン・マッケンジー / ジュール・ベンシェトリ: 高校生シャルリ/ギュスタブ・ケルバン:車椅子の2Fの住人スタンコヴィッチ/  タサディット・マンディ:アラブ系住人マダム・ハミダ/
2016年9月3日 ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー
オフィシャル・サイhttp://unifrance.jp/festival/2016/films/asphalte
予告編:https://www.youtube.com/watch?v=PGxHQTOQDeg

『アスファルト』――壁をつきやぶるドラマ
                              清水 純子

ユーモラスな団地の人間模様
『アスファルト』は、フランス郊外の古びた薄汚れた崩壊寸前の団地の住民の人間模様をユーモラスに描く。
映画は、壊れかけのエレベーターを買い替える相談のための団地住民の集会から始まる。
7時間エレベーター内に閉じ込められた、ボタンを押したら感電したなど、このエレベーターはもはや安心して乗れる代物(しろもの)ではない。全員一致で新品取り付け案可決と思いきや、一人だけ反対の変わり者がいた。独り者の中年男スタコヴィッチは、2階に住んでいるのでエレベーターは使わないから、無駄な出費はごめんだと駄々をこねる。一致団結を説く班長の説得に耳を貸さないスタコヴィッチにあきれた他の住民は、スタコヴィッチに絶対にエレベーターを使わないと誓わせて、案を可決する。それからがおかしい。

①スタコヴィッチと看護師
班長宅の居間においてあった運動器具のバイクが気に入ったスタコヴィッチは、製品番号を控えて同じものをさっそく購入して、試運転をするが、その最中に居眠りから人事不省に陥る。気がついたら病院のベッドの上、帰宅するスタコヴィッチは、もはや自分の脚では歩けない車いすの人になっていた。
困ったスタコヴィッチは、人目を忍んでエレヴェーターの使用状況を克明にメモして、統計的に他の住民が使用しない深夜にエレベーターに乗り込む。慣れない車いすで久しぶりに外出して、病院の自動販売機でスナックを買いだめするスタコヴィッチが見つけたのは、深夜に一人たたずむ自分好みの女性。この看護師に一目惚れしたスタコヴィッチは、カメラマンだと偽って彼女の気をひく。行ったこともない景色を見せるためにTVの画面を撮影したり、他人のことなど気にかけなかった男が必死で努力するさまは哀れなまでに滑稽である。ところがさらに哀れで滑稽なことがスタコヴィッチの身に起こる。彼女に会う約束をとりつけて嬉々として深夜のエレヴェーターに乗り込むスタコヴィッチだが、そのエレヴェーターが突然止まる。スタコヴィッチはもがくが、エレヴェーターはびくともしない。スタコヴィッチが全身の力を振り絞ると、なんとよろよろと歩けるではないか。朝までかかって目的地にたどりついたスタコヴィッチを、彼女は、驚きをあらわにして暖かく受け止める

母不在の高校生シャルリと落ち目女優ジャンヌ・メイヤー
高校生シャルリは、生意気ざかりだが母が働いているために孤独で寂しげ。突然隣に引っ越してきた若くない女が、ドアが開かなくて困っているのを助けたことから親しくなる。この女性は盛りを過ぎた女優ジャンヌ。古典劇『ネロ』の15歳の役をもらうために演出家に掛け合おうとしていたが、シャルリのアドヴァイスを入れて90歳のネロの母アグリッピナ役に変更する。シャルリに稽古をつけてもらい、演技の映像を演出家に送ることまで知恵をつけられる。
カメラに向かう二人は、共に孤独を癒されて不思議な連帯感で結ばれる
このカップルが日本の映画ファンには、一番馴染みが深い。ジャンヌを演じるのは、『主婦マリーがしたこと』、『ピアニスト』、『ボヴァリー夫人』、『8人の女たち』など数々の映画で名演技を披露してきたイザベル・ユペール。
シャルリ役のジュール・ベンシェトリは、新人だが、監督サミュエル・ベンシェトリの息子で、あの名優ジャン・ルイ・トランティニヤンの孫であり、祖母は映画監督ナディーヌ・トランティニヤン、母は女優マリー・トランティニヤンだという。押しも押されぬフランス映画界きってのサラブレッドである。 実母マリーを男友達の暴力によって幼い頃に失ったジュール自身の過去と、役柄のシャルリの母不在の状況がオーバーラップする。鼻から口元にかけてが、祖父ジャン・ルイ・トランティニヤンにそっくりで、映画ファンはタイム・スリップした錯覚を覚える。美しく繊細な容姿に加えて、役者のDNA開花が楽しみな新星である。

③宇宙飛行士ジョン・マッケンジーとアラブ系マダム・ハミダ
映画のハイライトとなるペアは、空から落ちてきたNASAのアメリカ人飛行士ジョン・マッケンジーと団地のアラブ系老女マダム・ハミダである。互いに英語とフランス語しか話せなくて、コミュニケーションも言葉だけでは交わせず、国籍も年齢も性別も全く異なる二人が、人種、文化、国籍、年齢、ジェンダーのあらゆる壁を破って、人間同士として心を通わせる。フランス郊外の老朽化した団地の屋上に地響きと共に不時着した宇宙船から出てきたのは、NASAの宇宙飛行士ジョン・マッケンジー。NASAの計画ミスによって地球帰還を余儀なくされたジョンは、電話を拝借した団地に住むアラブ移民のハミダ夫人に匿われる。ハミダ夫人の服役中の息子の部屋と服をあてがわれたジョンは、慣れないアラブ料理クスクスに舌つづみを打ち、TVを見て、絵やジェスチャーを介して交流をはかる。スムーズな異文化交流の鍵を握るのは、言葉の他には、料理であり、画像であり、ジェスチャーであることがわかる。うちとけたところで、NASAから迎えがやってくる。ジョンは、夫人お手製のタッパに入れたクスクスを土産にもたされて、かぐや姫のように天に舞い戻っていく。

垂直の上下動よりも水平方向の増幅が魅力
映画 『アスファルト』 は、サミュエル・ベンシェトリ監督の短編 「アスファルト・クロニクルズ」("Asphalt Chronicles”2005)をもとに作られたという。監督は「落ちてくる」3つの物語だ(「Director’s Interview」 プレス・シート『アスファルト』)と言うが、筆者には、壁を突き破ってつながる物語のように見える。確かに映画は「空から、車椅子から、栄光の座から人はどんな風に落ち、どのように再び上がっていくのか」(「Director’s Interview」 )を描いてはいるが、垂直方向よりも水平方向のつながり方の方が印象に残る。団地は、ハチの巣のように均等に割り振られたコンクリートの固い独房を思わせる作りになっていて、その中に閉じ込められた住民は、互いに密接な交流がなく孤立した状況にある。冒頭の中年オタクのスタコヴィッチの協調性のなさ、個人主義の身勝手さがその典型である。スタコヴィッチは、歩けなくなって自力で生活できなくなった時に初めて自分の利己主義に気がつく、そして人間的交流を求めて女看護師に接近する。スタコヴィッチが彼女のために全力を振り絞って歩けるようになったことは、スタコヴィッチがせこい自我の殻を破って脱皮したことを象徴的に物語。高校生シャルリと女優ジャンヌは、助け合ったことによってお互いに心を開いて、互いの心理的壁を破って再生する。最後の宇宙飛行士と夫人の出会いは、一番大規模なグローバルなつながりを持つ。アメリカとアラブ、宇宙と地球がフランスの団地で巡り合うことによって、民族、文化、ジェンダー、年齢、言葉の壁を打ち破って、じかにつながり、理解し合う。『アスファルト』 は、下降と上昇を描こうとして、水平方向に延びていく、人間同士のつながりを願ってしまった物語なのではないだろうか? 個人の上下動よりも、人間同士をブロックする様々な壁をつき破ることの方が、世界的には急務である。『アスファルト』は、その意味で監督の意図を超えた息吹を持つ示唆的作品に仕上がったといえる。

参考資料: プレスシート 『アスファルト』 東京  ミモザフィルムズ  2016年

©2016 J.Shimizu. All Rights Reserved. 2016. July 18

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