あやつり糸の世界

 

© 1973 WDR / © 2010 Rainer Werner Fassbinder Foundation der restaurierten Fassung

『あやつり糸の世界』(原題Welt Am Draht/ World on A Wire)
オリジナル制作:西部ドイツ放送 Westdeutscher Rundfunk (WDR)
制作年:1973年/ 制作国:西ドイツ/ 本編尺: 第1部105分、 第2部107分/
言語:ドイツ語/ 撮影: 16mm/ 上映:デジタル/ 配給:アイ・ヴィー・シー /
配給協力:ノーム / 宣伝:スリーピン

スタッフ:
監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー Rainer Werner Fassbinder/
脚本:フリッツ・ミュラー=シェルツ Fritz Müller-Scherz、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー Rainer Werner Fassbinder/ ダニエル・F・ガロイの小説『模造世界(原題:シミュラクロン3)』に基づく Daniel F. Galouye "Simulacron-3"/
音楽:ゴットフリート・ヒュングスベルク Gottfried Hüngsberg、既成曲/
撮影:ミヒャエル・バルハウス Michael Ballhaus/美術:クルト・ラープ Kurt Raab
衣装:ガブリエレ・ピロン Gabriele Pillon/ 助監督:レナーテ・ライファー Renate Leiffer、フリッツ・ミュラー=シェルツ Fritz Müller-Scherz/ 編集:マリー・アンネ・ゲアハルト Marie Anne Gerhardt/ 制作:ペーター・メルテスハイマー Peter Märthesheimer、アレクサンダー・ヴェーゼマン Alexander Wesemann
キャスト:
クラウス・レービッチェ:フレッド・シュティラー博士/マーシャ・ラベン:エヴァ・フォルマー /
カール=ハインツ・フォスゲラウ: ヘルベルト・ジスキンス所長/ アドリアン・ホーフェン:ヘンリー・フォルマー教授 /バルバラ・バレンティン:グロリア・フロム /ギュンター・ランプレヒト:フリッツ・ヴァルファング /ボルフガング・シェンク:フランツ・ハーン /マルギット・カルステンセン: マヤ・シュミット=ゲントナー/ ウーリー・ロメル:記者ルップ /ヨアヒム・ハンセン: ハンス・エーデルケルン/ クルト・ラーブ: マーク・ホルム /ゴットフリート・ヨーン: アインシュタイン /
エル・ヘディ・ベン・サレム: ボディーガード1 /イングリット・カーフェン: 編集部秘書ウッシ/
エディ・コンスタンティーヌ: 車中の男 /クリスティーネ・カウフマン: パーティ客/ ベルナー・シュレーター: パーティ客 /マグダレーナ・モンテツマ: パーティ客/ カトリン・シャーケ: 転移室スタッフ/ ルドルフ・バルデマル・ブレム: 病院スタッフ/ ペーター・カーン:介護人1 /
ソランジュ・プラーデル:マレーネ・ディートリヒ演者/
公式HP:  http://www.ivc-tokyo.co.jp/ayatsuri/
下高井戸シネマにて2016年6月18日(土)〜7月1日(金) 上映  19:00〜22:47 第1部・第2部 連続上映/途中休憩あり

あやつり糸の世界』――コンピューターが映し出す実存の不安

                             清水 純子

魅惑のファスビンダーのSF映画
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー (RAINER WERNER FASSBINDER 1945-1982) 監督唯一のSF映画『あやつり糸の世界』(原題Welt Am Draht/ World on A Wire、1973年)の制作は、40年以上前だが、スーパーコンピューター(シュミラクロン)が生み出す多層世界の設定、鏡が作り出すイメージの多層性の暗喩、多重なアイデンティティ誕生による精神錯乱など21世紀を先取りした内容である。この映画は、『マトリックス』(The Matrix、1999年)の原型であるとされるが、ファスビンダーの先端を行く意識と見解、人類の未来への研ぎ澄まされた予見には驚かされる。ファスビンダーは、きわめて文学的あるいは社会派的特徴が際立つ映画作りで有名だが、今回はダニエル・F・ガロイの小説『模造世界(原題:シミュラクロン3)』を秀逸なSFミステリ映画へアダプテーションして、その異才でまたもやファンを魅了する。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(RAINER WERNER FASSBINDER)監督

☆コンピュータが構築する危うい電脳空間
ヨーロッパの某国家政府機関のサイバネティック未来予想研究所は、スーパーコンピューター「シミュラクロン1」上に仮想の電子空間を構築して、未来の消費動向観察と効率的生産を探ろうとしている。従来のコンピューターの性能をはるかに上回る「シミュラクロン1」は、「コンピュータネットワーク上に構築された仮想的空間、物質的には存在しない情報空間」である電脳空間(サイバースペース、サイバー空間)を作り上げて、未来の政治、経済、社会をシミュレート(模擬実験)するための装置である。「シミュラクロン1」が作り上げた仮想空間内には、コピー人間の個体が生きている。この電脳空間では、コンピューターの構造に従った階層が存在する――上部世界、中間世界、下部世界に区切られ、その中にいる個体は自分が架空世界に住み、現実の人間のコピーにすぎず、ボタンを押すだけで生まれ、デリート(消滅)されるという自覚がない。上層界と連絡をとるためのスパイとして配置される連絡個体だけは、この事実を承知している。突然、シュミマクロン1の開発者のフォルマー教授が不審な死を遂げる。自殺として片づけられるが、フォルマー教授は、死の直前に同僚ラウゼに重大な発見をしたと不安げに告げていた。後任のシュテイラーは、フォルマー教授の死に不審を抱いて、ラウゼに問い正すが、その最中にラウゼは霧のように姿を消す。周りの者にラウゼのことを聞いても誰も彼の存在すら覚えていない。ラウゼに関する記憶は皆の脳から削除されたからである。所長の意図を無視して自力で捜査を続けるシュテイラーは、次々と奇妙な出来事に遭遇する。開発中のコンピューター内の個体が順番に自殺していなくなり、転送中のシュミラクロン(コンピューター)内に失踪したラウゼがいる。シュテイラーが好意を持つフォルマー教授の娘エヴァは、自分が上層階から遣わされた連絡分子、つまりスパイで、シュテイラー同様、現実の世界に生きる人間のコピーにすぎないのだと打ち明ける。所長に非協力的なシュテイラーは、この頃には狂人として指名手配になり、警察に追われるが、しだいに自分の疑いが正しかったことを確信する。シュテイラーを取り巻く世界は、未来予想データ構築の一環である仮想現実にすぎない――この事実を知った者は上部世界にいる者たちにとって不都合な存在となり、消される。シュテイラーも、事実をつきとめた前任者のフォルマー教授や他の者たちと同じ運命をたどるのか? エヴァの言ったことは本当なのか?シュテイラーのたどり着いた認識は狂気の末の幻覚なのか?

☆鏡が象徴する仮想現実
重大な事実をつかんで不安を隠せないフォルマー教授は、企業の幹部の顔の前に鏡をつきつけて、「あなたは他人が作り出したイメージにすぎないのだ」(You’re nothing more than the image others have made of you.)と言って皆のひんしゅくを買い、所長にたしなめられる。頭痛がすると訴えたフォルマーは、ほどなくして目を開いたまま、廊下の床に仰向けになって死んでいる。フォルマーの顔上は、鏡のようにひび割れたガラスが覆う。
この映画には、鏡が幾度も登場する。鏡は、実在するものを光を介して映し出し、コピーであるにもかかわらず本物であるかのような錯覚を反射によって生み出す。しかし鏡に映し出されたものは、実体のない虚像でしかない。それゆえ、鏡は現象界における物体の出現と消滅を象徴する。人間は、鏡あるいは水に映った自分の姿を見て、自分の存在を認識してアイデンティティを確認する。しかし、鏡に映った自分にそっくりの別の生命個体が鏡の国の世界で存在するとは誰も思わない。もし、鏡の国の自分の存在を本気で信じるようになったら、それは狂気を意味する。正気の人間は、パラレル・ワールドのもう一人の自分の生存を信じることはない。しかし、フォルマー教授は知ってしまったのだ、パラレル・ワールドに自分が存在することを…正確に言うならば、この世に実在すると信じていた自分は実は上層にある現実の世界のコピーにすぎないことを・・・つまり自分がいるこの世界は作り物であり、上の階層の世界のコピーとしてのパラレル・ワールドであることを知ってしまったのである。こんな認識に至ったフォルマーは正気の沙汰ではない。所長に「天才と狂気は紙一重」と陰口をたたかれる。しかし、所長はどこまでわかっているのか、所長が上層階から指令を受けている、あるいは遣わされているとしたら、フォルマーを狂気にしておく方が都合がいいに決まっている。すべてを知ったために邪魔者になったフォルマーを狂人にして葬ったのかもしれない。後任のシュテイラーも同じことである。自分がコピーであり、自分を取り巻く世界が仮想現実であることを知った者の絶望が狂人に見えても不思議はない。周りの者が次々と跡形もなく消えていくのも、もともと存在があやふやな仮想現実内の出来事だとすれば納得がいく。

☆哲学的命題を突きつけるコンピューター
鏡が象徴する仮想現実の存在は、人間の本質にかかわる。自分が住んでいる世界が現実だと思っていたら、実はさらに上層の世界によってあやつられた仮想の世界でしかなく、上層階のコピーにすぎないのではないか、という疑念を我々人間は時折感じてきた。この世とあの世、現世と来世という考え方、さらに現世と天国に地獄という三つの世界の区切り方に、人間は自分が現実に生活する場以外の世界を想像してきたことが表れている。どの宗教においても人間の住む世界の上に天があって、そこには絶対的存在である神がいて、人間の運命をあやつると考えられてきた。だから人は困ったことや苦しいことがあると神に向かって祈るのである。人間は、神に従うようにと教えこまれてきたが、それでも主体は人間にあった。神が人間をどう見ているか?と問うように見えて、実は人間を主軸にすえて神を上層階に安置して映し出していたに過ぎないともいえる。たとえ人間の世界を上階であやつる全能の神がいたとしても、人間である自分は架空の存在ではなかった。『旧約聖書』が「神はご自分の姿になぞらえて人間を作られた」と語ったとしても、人間は神のコピーではなかった。人間は「神に似せたもの」にとどまる。「我思う、故に我あり」なのであって、自分が何のために存在するのか、何のために生きるのかはわからなくても、人間は自分の住んでいる世界に確実に存在している自信があった。神の意図による人間の存在を信じられなくなった後でも、実存の不安とは、人間は無目的にこの世界に誕生させられ、人間の存在や目的が誰かに承認されているわけではないことにとどまっていた。しかし、コンピューターの発達で事態は別の局面を迎える。

☆コンピューターが生み出すあやつり糸
科学技術の革新とともに、コンピューターの絶大な再生能力と消去能力がまかりとおるようになる。コンピューター内では、キーの一押しで大容量のサイト(一種の世界)をコピーして瞬時の構築が可能である。それと同じく、それまで活動していたサイトを一瞬のうちに消滅させられる。ホームページは、階層性になっていて、サイト上層階とその下位区分である下層階、あるいは外の世界はリンクを張ることによってつながる。サイト全体をネット世界全体に公開するためのプロバイダーへと運ぶためには、FTPという運び屋あるいは転送サーバーの力を借りなければならない。『あやつり糸の世界』で上層階とその下の世界をリンクするスパイのような連絡個体は、コンピューターにたとえればFTPの役割と位置付けにあると言える。コンピューター内の世界が自立しているように見えたとしても、それはコンピューターの作り手の完全な支配下、つまりあやつり糸の下で操作されるあやつり人形の立場でしかない。あやつり人形は、自分の意志で動いているように見えて、実はそのうえで糸を操作する持ち主の意図のままに動かされているにすぎない。作り物の仮想現実に存在するあやつり人形が自分の立ち位置に気がついたとしたら?というのがこの映画のサスペンスである。

ふつうのあやつり人形は自分に糸がついているとは思わないものなのだが、もしも糸に気づいたとしたら、その時、その人形はあやつり人形ではなくなる。思うように動かせなくなった人形は、操作する主から疎んぜられて廃棄される。捨てられたあやつり人形が、フォルマー教授であり、シュテイラーである。シュテイラーは、連絡個体の恋人エヴァの入れ知恵によって、下層階のシュテイラーのコピーを殺させて、コンピューター内のあやつり糸を断ち切ったように見える。下層階の射殺体になったシュテイラーを上層階の部屋の中から眺めて「私は存在する」(I am)とエヴァと喜び合うシュテイラーは、本当はどこの階層に存在するのか? 最上層部の現実の世界のシュテイラーに下位区分のシュテイラーの魂は合体したように見えるけれど、定かではない。実存の不安とは「自分が今存在するかどうか」ということをさすのだけれど、はたしてシュテイラーは、本当に存在するのか? もし存在するとしたらどこに? さらにもっと上位の世界があって、今のシュテイラーとエヴァを管理していることも否定できないのではないか? 映画内の恋人たちが本当に解放されたと言えるのか?

コンピューター内の実像と虚像の混乱
コンピューターの世界では実像と虚像の区別がつかない。ちょうど四方八方を鏡で囲まれた鏡の迷路に立たされた者が、どれが自分を映し出す像なのか見分けようとしているうちに、本当の自分の姿を見失って、自分がどこにいるのか混乱するように、現実と仮想現実の区別はつかなくなる。コンピューターの魔力は、内部の人間だけではなく、その外でコンピューターを支配し、管理しているはずの人間までもコンピューター内部の世界に引き込んで現実感覚を麻痺させる。コンピューターオタクと呼ばれる者は、コンピューターの仮想現実が現実の生活を飲み込み、現実と虚構の区別があいまいになった結果の混乱状態にある。あやつり糸を引く者があやつり糸に引きずり込まれて下層階に転落するのである。
『あやつり糸の世界』でも、下層階の者を監視し、支配するために上層階からスパイとして下り、上下階を行き来する役割の連絡個体がいる。しかし、その連絡個体が必ず元の所属である上層階に戻れるとは限らない。転送に失敗する連絡個体のアインシュタイン、あるいは失踪する個体ラウゼもいる。水死していく個体が溺れるのは、実は家の中の金魚の水槽であったりと、階層を移動の際には、事実や客観性も危機にさらされる。

☆サービス精神
ファスビンダーの作品群の中では、『あやつり糸の世界』は、抽象性が高く、難解な部類に属すが、観客の興味を引くことにたけたファスビンダーのサービス精神は、この作品でも健在である。

a. 人形のように美しい女優たち
シュテイラーを取り巻く女たちは、人形も顔負けの美女である。怪死したフォルマー教授の娘のエヴァは、すらりとした金髪美人である。チラシの写真に見るように、ビスクドールのように透き通った肌とモダンで冷たい雰囲気を持つデカダンな、どことなく人工的で病的なイメージの美女である。それに対してシュテイラーとベッドを共にする秘書のグロリアは、同じく金髪だが、盛り上がった胸とお尻を振って歩く肉感的姉御肌の美女である。最初の方の場面で屋内プールを囲んだパーティに現れるシュテイラーの知り合いの黒髪碧眼の美しい人は、クリスチーネ・カウフマンである。『隊長ブーリバ』でその美貌が騒がれたが、20歳以上年上の共演者トニー・カーチスに奪われるように10代で結婚した。そしてあっさりと離婚したあの幻の美女である。事務所の秘書には、ファスビンダー夫人でダニエル・シュミットの映画によく顔を出すイングリット・カーフェンが起用されて、個性的な美しさを光らせる。

b. マレーネ・ディートリッヒ
酒場の場面でのマレーネ・ディートリッヒのそっくりさんの登場は、観客を喜ばせる。低い妖艶なハスキー・ヴォイスでヒット曲「リリー・マルレーン」を歌いながら、ディートリッヒ主演の反戦映画『間諜X27』(Dishonored)の有名な処刑シーンを演じる。感極まって泣き出す若いドイツ兵士を慰め、兵士の剣を鏡にして最後の化粧を終え、ガーターを直した直後に銃弾に倒れる女スパイの名シーンの感動を再現する。

c. エルヴィス・プレスリー
ディートリッヒの直後に登場するのは、アメリカのロックの王様エルヴィス・プレスリーである。エルヴィスの姿は見えないが、ヒット曲「トラブル」をうなるような低い独特な艶のある声で歌う。「トラブル」は、エルヴィス主演の映画『闇に響く声』(King Creole)の中の一曲だが、1968年のNBC-TV『’68カムバック・スペシャル』で見た人も多いことだろう。黒い皮ジャンを素肌にまとい、長い手足をくねらせて歌うセクシーなエルヴィスを思い出させる。

ディートリッヒの歌もエルヴィスの歌も、『あやつり糸の世界』の含む苦悩を映し出す歌詞ではあるが、最も人気のあったアーティストたちを登場させて、観客の目を楽しませるサービス精神をファスビンダーは忘れていない。


『あやつり糸の世界』は、1970年代初頭に制作された映画なので、21世紀ではコピーの概念と切り離せない究極の複製技術であるiPS細胞、クローン技術も脳科学の先端技術も登場しない。しかし、『あやつり糸の世界』は、コンピューターの機能に合わせて実存の不安を巧みに表現して、単なるSFで終わらない。それどころかこの映画は、科学の進歩によってますます深刻さを増す哲学的実存の不安にまで踏み込んでいる。それだから、『あやつり糸の世界』は、色あせることのない、世紀末ウィーンの雰囲気を持つゴージャスなSFミステリとしての地位を今も堅持するわけである。

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2016. July. 1

Welt Am Draht 『あやつり糸の世界』 はYou Tubeにて英語字幕付きで全編公開中。
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