ビューティフル・デイ(清水)


『ビューテイフル・デイ』原題You Were Never Really Here/ 製作年2017年/
製作国イギリス/配給クロックワークス/上映時間90分/映倫区分PG12/
スタッフ: 監督 リン・ラムジー/ 製作 パスカル・コーシュトゥー、ローザ・アッタブ、ジェーム ズ・ウィルソン、
 レベッカ・オブライエン/
キャスト: ホアキン・フェニックス: ジョー / ジュディス・ロバーツ: ジョーの母 / エカテリーナ・サムソノフ: ニーナ /
 ジョン・ドーマン: ジョン・マクリアリー / アレックス・マネット: ヴォット議員/ オフィシャルサイト  
6月1日(金)新宿バルト9他全国ロードショー

Copyright (C) Why Not Productions, Channel Four Television Corporation, and
The British Film Institute 2017. All Rights Reserved. (C) Alison Cohen Rosa /
Why Not Productions


   第70回 カンヌ国際映画祭(2017)脚本賞・男優賞受賞作品

『ビューティフル・デイ』――トラウマが綴る黒いユーモア

                         清水 純子


 リン・ラムジー監督、ホアキン・フェニックス主演の『ビューティフル・デイ』は、黒いユーモアに満ちている。

映画『サイコ』の白髪と斧   
 ジョーは、誘拐者の奪還を請け負う闇のビジネスに従事している。ジョーが斧で悪者を片付けて帰宅すると、白髪の老婆がTVをつけたまま口を開けて寝ている。気味の悪い光景である。ジョーは、老婆に声をかけるが返事がないと眼鏡をそっとはずしてやる。途端に老婆の目がぱっと開き、ぎょっとさせるが、老婆はジョーの愛する母だった。母は、茶目っ気たっぷりに「おぬし、だまされたな?」とからかう。母は、「映画『サイコ』を見ていたけれど、怖くなってね。お前を待って一緒に見ればよかった」とおどける。
 不気味な母の白髪は、映画『サイコ』の変質者ノーマン青年の骸骨になった母のイメージである。『サイコ』では、マザコンのノーマン青年が母の恋人に嫉妬したあげく、斧で母を惨殺するが、掘り返して防腐処置を施した母の遺骸を椅子に座らせている。精神に異常をきたしたノーマン青年は、母が生きていると思い込み、自分の人格を分裂させて母の声色を使って話しかけ、ノーマン自身が答える。映画『サイコ』の引用、ジョーの殺しの道具が斧であること、椅子に座ったまま反応のない白髪の老婆を合わせて考えると、母殺しと精神異常が黒いユーモアで暗示される。
 ジョーは、『サイコ』のノーマン青年のような多重人格者ではないが、トラウマ(心的外傷)に苦しむ。ジョーのトラウマの原因は複数あるが、まず第一に、幼少時の父による精神的虐待である。父はジョーを「おまえはひ弱だ、背中を曲げた姿勢は女のようだ」と言って斧で折檻を繰り返す。耐えかねたジョー少年は、幾度も洋服ダンスの中でビニールを被った自殺を企てるが死ねない。第二に、成長したジョーは、海兵隊員として砂漠の戦場に赴き、帰還後はFBI潜入捜査官として働いたことがトラウマを生む。残虐で凄惨な死の現場に居合わせたジョーの幼い頃のトラウマは癒されず倍増される。第三の原因はジョーの現在の商売も生命の危険と隣り合わせにあることである。ジョーは、誘拐者の救出を請け負うが、その多くが性犯罪がらみの人身売買であるため、常に危険を伴い、結果的にジョーは、父と同じく斧によって相手を傷つけ、多くの場合、自分を守るために相手の命を奪う皮肉な運命にある。
 過去と現在のトラウマから逃れるために常用する睡眠薬の作用によって意識が朦朧となったジョーは、虐待、死、自殺の悪夢を反復する。映画は、不気味な数々の場面を現実なのか幻想なのか見分けがつかない形で、過去と現在のフラッシュバック(逆行再現)を執拗に繰り返す。ジョーは、幾度も死への誘惑にさらされるが、勇気がないから死ぬことも実行できないとすべてを自分の弱さのせいにして自虐的に苦しむ。
  ジョーは『サイコ』のノーマン青年のように母を直接手にかけることはないが、ジョーの危険な仕事のせいで母は敵に殺害される。ジョーと母を『サイコ』に例える最初の場面で、ジョーゆえの母殺害が黒いユーモアによってほのめかされている。

天使のような美少女の復讐と守護 
 ジョーは、州上院議員アルバート・ヴォットのローティーンの娘ニーナを売春組織から隠密裏に取り戻してほしいという依頼を受ける。ジョーは、再び腕利きのスペシャリストとして金髪の美少女ニーナ奪還に成功するが、ニーナはウィリアムズ州知事の家に囚われてしまう。ニーナは、ロリコンのウィリアムズ州知事のペットとしてニーナの父ヴォットが差し出した贈りものだった。「パパの家に帰ろう」と話しかけてもニーナは反応がなく、無表情であった理由がジョーには後になってわかる。怒りに燃えたジョーは、ウィリアムズ州知事の家に向かうが、ウィリアムズ州知事はすでに何者かによって殺されていた。階下では、血まみれの手にフォークとナイフを握ったニーナが悠然とディナーを食べている。ニーナは、自分の過酷な運命を誰にも訴えることなく、黙って自力で決着をつけていた。ほとんど口を開かない少女ニーナは、プロの殺し屋ジョーをも欺くあざやかな手口で仇敵を始末したのである。天使のように美しいニーナが虫も殺さぬ顔で鮮やかな手口で殺人を遂行し、血に汚れた手で平然と食事をとる姿は、女吸血鬼のようである。 
 しかし、ニーナは殺しに長けているだけではなく、ジョーの守護天使としても働いていた。ジョーはニーナを守っているつもりだが、実はニーナがジョーの命を救った。孤独な中年男ジョーは、母の遺体を湖に沈める時に自分も死のうとする。ジョーの命をこの世にとどめたのは、ニーナの幻影だったからである。

ビューティフル・デイの黒いユーモア  
 英語の原題「あなたは実はここにいなかった」(You Were Never Really Here)は、日本公開版では「ビューティフル・デイ」と美しいタイトルに変わっている。「ビューティフル・デイ」は、安全な郊外のレストランで一緒に食事をするジョーに、笑顔を取り戻したニーナが「今日はいいお天気ね」(ビューティフル・デイね)と話しかける、するとジョーも洗われたような爽やかな笑顔になって、ニーナの言葉を反復するラスト・シーンからとられている。爽やかな一日を描いた映画だという錯覚を与える日本版タイトルだが、爽やかなのは実はこの最後のシーンだけである。映画の内容は、暗くよどんだ裏の犯罪社会とそこに囚われた人間のトラウマを描いている。日本語のタイトルは、映画を見終わった観客にだけこの映画が含む黒いユーモアを理解させる。
 ニーナの「ビューティフル・デイ」という呼びかけは、トラウマに囚われた中年男と少女が心の闇を脱して新たなる人生を歩み出すことを象徴している。ニーナの父は自殺し、ウィリアムズ州知事はいなくなったので、ニーナは薄汚い大人の搾取から逃れることができた。ジョーは、母を失ったが、ニーナの幻影によって死を忘れることができた。ジョーは、ニーナと一緒にレストランにいた時もピストル自殺の幻覚に苦しんでいたが、ニーナの「ビューティフル・デイ」という声によって過去のトラウマを悪魔祓いしてもらったように明るさを取り戻す。ジョーとニーナは、年齢と性別、階級の違いはあっても、幼い頃から大人の虐待に苦しめられた弱者であり、トラウマを背負っているという点で共通項を持つ。互いに助け合う二人が、警察によって救出されるのではなく、不法な手段、つまり殺人によって平和を獲得するという点もブラックである。しかしジョーは、母に代わる守護天使ニーナのおかげで魂の平安を得られるのではないかと思わせる。ニーナは、外観は金髪で真っ白な肌のエンジェルだが、中身はジョー同様、心の闇と犯罪を経験した黒い天使であるところに、この映画の社会批判と黒いユーモアが込められている。黒い守護天使ニーナに守られて、ジョーは「あなたは実はここにいなかった」(You Were Never Really Here)不確かな心の状態を脱して、今後は実在できるだろうという期待感を持たせて映画は終わる。


©2018 J. Shimizu. All Rights Reserved. April 4 2018


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