ベルファスト71

 

『ベルファスト71』(原題 '71)
製作年: 2014年   製作国: イギリス   配映倫区分: PG12  配給: 彩プロ
スタッフ:監督ヤン・ドマジュ、 製作ロビン・グッチ、
製作総指揮 テッサ・ロスダニー・パーキンス、ヒューゴ・ヘッペル
キャスト:ジャック・オコンネル ポール・アンダーソン、リチャード・ドーマー、  
ショーン・ハリス、マーティン・マッキャン
公式サイト:http://www.71.ayapro.ne.jp/
2015年8月1日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

(C)CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION/BRITISH
FILM INSTITUTE/SCREEN YORKSHIRE LIMITED AND RUN 71 LTD 2014


『ベルファスト71』――冷徹な視点が描くベルファストの悪夢

                       清水 純子

『ベルファスト71』の時代設定は1971年、場所はイギリスの北アイルランドの首都ベルファストである。
ベルファストといえば、アイルランド問題、紛争地帯、カトリックとプロテスタントの確執、暴動、テロリズム、火炎瓶、爆弾という、きな臭く、暴力的なおそろしいイメージが浮かびあがる。

うら若いイギリス軍二等兵ゲイリー・フック(ジャック・オコネル)は、孤児院に10歳の弟を残して、治安の悪化した北アイルランドのベルファストに赴任する。
「外国に行くのではない、ベルファストはイギリス国内だから」と言い聞かされていたゲイリーを待つのは、命がけで抵抗する住民との死闘であった。
ベルファストの子供たちは、トラックを降りたイギリス兵士たちに向けて塀の上でお尻を出して、石ころだけでなく、糞尿玉を投げる。
おとなの住民は、群れを成して命知らずに押し寄せ、イギリス軍はたじたじになって退却する。
無鉄砲な少年が奪ったイギリス兵の銃の奪還をめざして、ゲイリーと仲間のトンプソンはストリートの奥に迷い込む。
トンプソンは銃で頭を射抜かれて即死し、ゲイリーは袋叩きになって命からからがらトイレに逃げ込む。
ゲイリーは迷路のようなベルファストの町に一人置き去りになった。
IRA(アイルランド共和軍)に追われるゲイリーをパブに導くのは、IRAに父を殺された友好派の少年ビリー(コーリー・マッキンレー)である。
しかし、パブの裏部屋に潜んでIRAに報復をもくろむMRF(死の部隊)がミスをして爆弾をさく裂させたために、パブは吹き飛び、ビリーは死に、ゲイリーも腹部に大きな傷を負う。
倒れていたゲイリーを救うのは、カトリックの父と娘だが、MRFは爆弾の現場を見たゲイリーの命を狙っていた。
カトリック居住地区の高層アパートの一室から逃げ出すゲイリーにはIRAとMRFの追手が迫っていた。
ゲイリーは重傷を負いながら、ありたけの知恵と勇気を振り絞ってサバイバル(生き残り)に賭ける。
『ベルファスト71』のすばらしさは、イギリス軍と北アイルランドとの複雑な事情を知らなくても十分に楽しめる
サバイバル・スリラーに作られているところである。
「これは殺人じゃない、戦争なんだ」という言葉のとおり、敵はもちろん、味方も状況によって敵に変わる誰も信じられない事態に、右も左もわからない未知の土地で、一人格闘しなければならないゲイリー。
ゲイリーがベルファストの夜の闇にまぎれて街中を逃走するシーンは、悪夢の怖ろしさで迫る。
味方には置き去りにされて一人ぼっち、どこに敵が潜んでいるのかわからない、誰が敵なのかもわからない、どこへどう隠れ、  逃げていいかもわからない、唯一の味方だったはずの少年ビリーは、胴体だけのむくろになってしまった。
絶体絶命のゲイリーの夜の逃亡劇は、心細さと恐怖の極限状態である。
ゲイリーの心理的極限状態は、1971年のベルファストの政治的軍事的極限状態と二重写しになっている。
ベルファストはなぜこんな怖ろしい場所になってしまったのか?
北アイルランドがぶっそうな所になった理由は、何百年も前に遡る歴史的経緯にある。
ベルファストが位置する北アイルランドは、イングランド、スコットランド、ウェールズとともに、一般に「イギリス」あるいは「英国」と呼ばれる国、正式にはUK (The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、グレートブリテン及びアイルランド連合王国)を構成する四つの地域の一つである。
問題は、イングランドと他の三つの地域は住む民族が違うことにある。
イギリスと呼ばれる地域には、もともとケルト系民族が住んでいたが、そこへ北方系アングロ・サクソン人が押し寄せ、イングランドを乗っ取り、ケルト系は他の三つの島に追いやられた。
北アイルランドに紛争が絶えない理由は、依然として征服者のアングロ・サクソン系がアイルランドに君臨して、ケルト系を虐げていることにある。
特に北アイルランド(アルスター)は、イギリス支配に徹底的に抵抗したために、住民の多くが死に至ったこともあった。

北アイルランドの紛争は、民族の違いだけでなく、宗教的対立によってさらに複雑になっている。
イングランドは、主としてプロテスタントのイギリス国教会派である。
それに対して北アイルランドには、(1)カトリック系のナショナリスト(=リパブリカン)と
(2)イングランドに追随するプロテスタント系ユニオニスト(=ロイヤリスト)の二種類の人々がいる。
リパブリカンの代表的存在が国際的に名高いIRA(アイルランド共和軍)である。
IRA撲滅を目指すのが、アルスター義勇軍(UVF)であり、王立アルスター警察隊(RUC)とイギリス軍である。

2007年にイギリス軍は北アイルランドから完全撤退したために、両者の関係は現在は少し落ち着いているが、この映画の時代背景である1970年代は、両者の関係は最悪であった。
特に1971年は、1972年の「血の日曜日事件」(北アイルランドでデモ行進する市民が
イギリス陸具運落下傘連隊に銃撃されて死傷した) の前年であり、ベルファストの町は殺気だっていた。

この映画の偉大な点は、イギリスと北アイルランドの紛争の修羅場を描きながら、どちらかの側に偏ることなく、アイルランド問題を冷徹な目でながめ、客観的な人間劇、さらに言うならば心理的サスペンスの域にまで高めているところである。
頼りにしていたイギリス軍は、ゲイリーを見捨てて逃げてしまった。
IRAがゲイリーを狙うのは仕方がないとしても、失態を怖れるMRFにまで裏切られたゲイリー。
しかしそれに対して、ゲイリーのピンチを救おうとした少年ビリーは、親英派とはいえベルファストの住民である。
重症を負ったゲイリーを身の危険を顧みず手当てしたのも、敵方のカトリック教徒である。
本来味方であるはずの者が敵になり、敵であるはずの人が助けてくれたり、人間の心は計り知れない謎である。
ゲイリーが助かったのも、敵のIRAの青年ショーンが撃つのをためらったためである。
やっとゲイリー救出に駆けつけたイギリス軍は、ゲイリーの制止を聞かずにショーンを撃ち殺してしまう。
子供や若者の死は、どちらの陣営に属しているかにかかわらず、むごく、見ている者の心をゆさぶる。
『ベルファスト71』は、イギリス兵ゲイリーの視点に立って描いているのに、味方のイギリス側の人間の死も敵の人々の死も等価に扱っている。
感情移入を排除した冷徹な視点で死を描いているように見えるが、実はこれが本物の
ヒューマニズムなのではないか?
状況がどうであれ、一人の人間の生死の重さは敵か味方かは関係ない。
同様に、敵であれ、味方であれ、親切な人間も残酷な人間もいる。
イギリス側に立つのか、あるいは北アイルランド側なのかは、人間としての本質的問題ではない。
監督がフランスのパリで生まれ、ロンドンで育ったヤン・ドマンジュであり、狭くイギリスに
こもっていない人だからこそ、北アイルランド問題を両陣営の利益を超越した、冷徹でグローバルな姿勢を持ちえたのであろう。
偏見のない冷徹さ(冷静で物事の本質を見抜くこと)が、逆に幅広くヒューマンな視点で描く動乱の北アイルランドのドラマを成立させたのである。

『ベルファスト71』の成功は、映画の芸術としての成熟のみならず、北アイルランド問題に関するアングロ・サクソンとケルトの  間の理解と和解が徐々に進んでいることを暗示して、喜ばしい。

<参考資料>
尹慧瑛(ゆん・へよん)「北アイルランドにおける『汚い線背王』と分断社会」『ブルファスト71』 パンフレット 彩プロ、2015.

Copyright © J. Shimizu All Rights Reserved.  2015. May10

(C)CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION/BRITISH
FILM INSTITUTE/SCREEN YORKSHIRE LIMITED AND RUN 71 LTD  2014

   50音別頁に戻る