ベン・イズ・バック(清水)

ベン・イズ・バック』 原題 Ben Is Back

(C)2018- BBP WEST BIB, LLC

製作年2018年/ 製作国アメリカ/ 配給 東和ピクチャーズ/提供:カルチュア・パブリシャーズ、邦東和、TV東京/ 上映時間103分/ 映倫区分G/
オフィシャルサイト
スタッフ: 監督 ピーター・ヘッジズ / 製作 ニーナ・ジェイコブソン他/
キャスト: ジュリア・ロバーツ: 母ホリー/ ルーカス・ヘッジズ: ベン/
キャスリン・ニュートン: 妹アイヴィー / コートニー・B・バンス: 義父ニール/
2019年5月24日よりTOHOシネマズ他全国ロードショー/ 


『ベン・イズ・バック』―薬物中毒の地獄に落ちて

                         清水 純子


 『ベン・イズ・バック』は、薬物中毒の地獄に落ちた19歳の息子を命がけで救おうとする母と子の壮絶な戦いを描く。

幸せな家庭をむしばむ薬物中毒
 クリスマス・イブのアメリカン・ファミリーの幸せな場面から映画は始まる。ホリーは黒人のエリート夫ニールとの間に2児をもうけているが、もう一人の女の子アイヴィーが白人系であるから再婚なのであろう。教会で聖劇を演じるアイヴィーとハーフの弟を見守る両親の視線から、この一家は信頼関係篤い円満な家族であることがわかる。
 車で帰宅すると、家の前に一人の青年が立っている。長女アイヴィーの顔は凍てつくが、母ホリーは狂喜して駆け寄り、青年を抱きしめる。この青年は、ホリーの最初の結婚で生まれた19歳の長男ベンである。実の妹アイヴィーの渋い顔と義父ニールの困惑の表情は、ベンが一家にとって招かれざる客であることを語る。ベンは薬物中毒者だからである。ベンは、施設にいるが、抜け出して戻ってきた。すぐ戻すべきだと主張するニールを説得したホリーは、一日だけ厳しい監視の元でベンを家におくことにする。
 しかし、戻ってきたベンは、楽しいはずのクリスマスを今回も地獄にしてしまう。薬物中毒者の実態が生易しいものでないことを映画は雄弁に物語る。中毒者は、嘘をついて周りの目を欺いて薬を続けようとするため、一時も目が離せない。ホリーは、無言で家中の薬と宝飾類を隠す。ベンが薬物検査でトイレに入る時も、ホリーは扉を閉めさせない。教会のための服を買うショップでは、ベンが試着室に鍵をかけたため大騒ぎして追い出される。教会でベンを見て驚く友人に、ホリーは涙を流してあやまる。なぜならベンが薬を売りつけた女の子は死んで、ベンだけが助かったからである。
 町に現れたベンの姿を認めた薬の闇売買の仲間は悪さをする。帰宅すると、窓ガラスは割られて愛犬は誘拐されていた。怒る義父のニールに、ベンは犬を取り返しに行く。母ホリーは、ベンを一人にできず、車で後を追うが、決心したベンは姿を消す。あらゆる手段を講じてベンを探す母ホリー! 見つけられなければベンは薬の過剰摂取で死ぬ! ホリーは、やっとのことで倒れているベンを見つけ、解毒剤を鼻に打ち、ベンはうっすらと目を開ける。

薬物中毒に苦しむアメリカ
 薬物中毒は、アメリカ社会を悩ます闇である。ベンが使っていた薬物の種類は明らかではないが、アメリカで薬物中毒蔓延のきっかけとなったのは、オピオイド薬の処方数の増加だと言われる。ベンも、元は優秀な生徒であったが、治療薬が中毒の入口だった。中毒にならないと嘘をついて処方箋を渡した医師に向かって「永劫に地獄に落ちろ!」と母ホリーが毒づく場面がある。ボケ老人になった当の医師はもはや理解できないかもしれないが、ホリーの薬への憎悪と怨みがよく出ている。

誰の責任か?
 薬物中毒に陥るのは、環境ときっかけが原因となる場合もある。ベンの場合は、痛み止め薬を処方された前後に両親が離婚して、父に捨てられたと感じたことも原因の一つであろう。動物実験では孤独な状態に置かれるほど薬物過剰摂取の傾向という報告があるので、思春期のベンも孤独と不安をまぎらわすために薬物に溺れていったのだろう。性格も遺伝の影響があるとすれば、本人の責任だけではないかもしれない。ベンの場合も、痛み止め薬は、直接の手段になっただけで、家庭崩壊による孤独と精神の不安定が中毒の本当の引き金だったのかもしれない。その意味では、母ホリーと元の父親に責任はある。アメリカにおける離婚率の高さと家庭崩壊が青少年の心をむしばんでいることは想像にかたくない。
 しかし、ベンのような状況の青少年は、アメリカのみならず全世界にいる。彼ら全員が薬に溺れるとも言えない。やはり心に弱い部分のある者が薬に頼っている。これはアル中などの中毒とほぼ同じ構造である。本人の意志力と克己心の問題である。ベンは実の父には捨てられたが、素晴らしい母に恵まれ、義父も忍耐強い理解ある人物である。恵まれた環境にいるベンは、甘えているように見える。中毒患者は、自分の力でコントロールできない病気だから仕方がないのだが、歯がゆい。

母ホリーへの批判
 母ホリーの懸命な献身ぶりも賞賛されているようだが、ホリーも甘い。それだけの事件を起こした息子をクリスマスだからと言って家に置いたのは、大きな判断ミスである。久しぶりに我が子の顔を見て大喜びするのは当然だが、息子のことや家族のことを考えて、すぐに施設に送り返すべきだった。夫ニールの言葉に従わないホリーも薬中の怖さを知らない、客観性を欠いた、情に流される女性である。そういう自制心の弱い点で親子は似ているのかもしれない。
ホリーの危険を顧みない捨て身の姿勢によってベンは今回は救われた。しかしホリーがベンをすぐに施設に戻すという選択をしていれば、危機は訪れなかったはずである。ベンを墓場まで案内して薬の危険を諭すぐらいだったら、心を鬼にして治療に専念させた方がよい。薬中毒の患者を抱えた母の気持ちは複雑であるが、ホリーが変わらない限り、ベンも変わらず、結局は助からないのではないか?と思ってしまう。このままいくと、苦心して築き上げたホリーとニールの家庭が崩壊する危険も感じる。
 薬物中毒患者は、母の愛では救えないように思える。施設でのプロによる治療と、なによりも本人が生きる目標をみつける、生きたいと思う希望を持つことが必要なのではないか? 薬物中毒の怖さだけではなく、薬物治療の方法論についても考えさせる映画である。

©2019 J.Shimizu. All Rights Reserved. 5April 2019 

(C)2018- BBP WEST BIB, LLC

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