ブラック・スキャンダル


『ブラック・スキャンダル』(原題 Black Mass)
製作年 2015年   製作国 アメリカ   配給 ワーナー・ブラザース映画
上映時間 123分   映倫区分 R15+
オフィシャルサイト https://warnerbros.co.jp/c/movies/blackmass/
スタッフ : 監督スコット・クーパー 製作 ジョン・レッシャー ブライアン・オリバー
原作 ディック・レイアジェラード・オニール 脚本 マーク・マルーク /ジェズ・バターワース
撮影 マサノブ・タカヤナギ 美術 ステファニア・セラ
編集 デビッド・ローゼンブルーム 音楽 トム・ホルケンボルフ
キャスト:  ジョニー・デップ: ジェームズ “ホワイティ”・バルジャー
ジョエル・エドガートン: ジョン・コノリー     
ベネディクト・カンバーバッチ: ビリー・バルジャー
ロリー・コクレイン: スティーブン・フレミ     
ジェシー・プレモンス: ケビン・ウィークス
ディビッド・ハーバー: ジョン・モリス       
ダコタ・ジョンソン: リンジー・シル
ジュリアンヌ・ニコルソン: マリアン・コノリー   
ケビン・ベーコン: チャールズ・マグワイア
ピーター・サースガード: ブライアン・ハロラン
劇場公開日  2016年1月30日 新宿バルト9 他で全国順次公開

© 2015 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.


『ブラック・スキャンダル』―暗黒に “光る” ジョニデの怪演

                        清水 純子

★英語原題 『ブラック・マス』 の トリプル・ミーニング『ブラック・スキャンダル』の原題は、Black Massである。 
Mass は、1.「集団、塊」、2、「マサチューセッツ州」 3.「ミサ」 の少なくとも3つの意味を持つので、原題の「ブラック・マス」は、意味深長なトリプル・ミーニングである。
1 の「ブラック・マス」は、「黒い集団」の意味なので、この映画が描く「暗黒街の面々」つまり犯罪組織としてのギャングを表す。
2 の「黒いマサチューセッツ州」は、ジョニー・デップ演じるギャングの親分ジェームズ・バルジャーが生息し、根城(ねじろ)にするボストンの犯罪と悪事に汚染された「黒い都市」マサチューセッツ州サウス・ボストンを示す。
3 は、「黒ミサ」 を表す。「黒ミサ」は、キリスト教のローマ・カトリック教会のミサに反して、神を冒涜し、悪魔を崇拝する儀式    である。「黒ミサ」においては、キリストの血とされるワインの代わりに幼児の血が飲み干され、祭壇には逆さ十字架がかけられ、聖書や祈祷書は逆さまに読まれ、聖なる祈りの代わりに悪魔を喜ばせる淫行が繰り広げられる。
アイルランド系ギャングのジェームズ・バルジャーは、カトリック教徒であるが、バルジャーの残虐で人の道に背く行いは、カトリックのドグマの反転した「黒ミサ」にたとえられるからである。

邦題の「ブラック・スキャンダル」 は、悪玉バルジャーが情報屋として、正義の味方であるはずのFBIと裏で結託していた世紀のスキャンダルを暗示して達者なネーミングだが、原題の複雑怪奇で「不気味な」イメージは、もっとおぞましく深い。
英語の原題は、この映画がぞっとするゴシック的要素を孕んでいることを伝える。

★ジョニデのブラック・ユーモア: “吸血鬼” バルジャー用特殊メイク
アイルランド系ギャング団「ウィンター・ヒル」の現在服役中のボス、ジェームズ “ホワイティ”・バルジャーに扮したジョニー・デップの特殊メイクがこわい。 
漫画『サザエさん』 のお父さん磯野波平(イソノ ナミヘイ)氏を思わせる禿げ上がった額が暗室の電燈の下で、てかてかと “光” を発し、鋭く射抜くような目が青白くギラリと “光” を発散し、猛禽類のとがった牙のような白いギザギザの歯が白骨のように暗がりで不気味に輝く。 

裏街道を生きる暗黒街のボスは、日の当たる場所を避けて、人の目が届かない夜の暗がり、無法地帯に生息する。
闇にうごめき、闇の中で商売をして儲け、その利益を再び闇稼業につぎ込み、商売の邪魔になるものは残忍な手段で闇に葬り、すべて闇のサイクルに載せて暗黒の中でのみ生を紡ぐ。
バルジャーの暗黒の生態系は、法的に死んだ存在であるアウトロー(無法者)の宣告を意味するばかりでなく、カトリック教会の呪われたネガ「黒ミサ」の礼讃者の吸血鬼を連想させる。

吸血鬼は、人間の生き血を吸うことによって生を継続し、血を吸った人間の一部を仲間にして勢力を拡大して、新鮮な血を漁(あさ)って夜に徘徊する。
吸血鬼は、暗黒を友として暗がりの保護を得て、善良なる市民の生き血を搾取して生きるギャングの生態と共通する。
ジョニデのヴァンパイアを連想させる、人間離れした異様な風貌が暗がりの中で妖しく輝くのは、暗黒街のボスを演じるのにふさわしいメイクの威力を借りているためでもある。

特殊メークが得意なジョニー・デップは、この映画でも特殊メイク・チームの威力を発揮している。
チームのチーフは、「ジョニーの首から上をスキャンしてデータ化し、シリコン製のパーツを制作した。バルジャーの特徴的な生え際はシリコン製パーツで再現し、額から眉までカバーするパーツに数千本もの人工毛を手作業で植えつけて眉毛を作り、毎日新品を用意した。後頭部にはシルバーグレーのかつらをつけた」 (映画パンフレット「Production Notes」『ブラック・スキャンダル』) と言う。

この特殊メイクによって、ジョニデの磯野波平風ヴァンパイアのバルジャーが誕生したのである。
あまりユーモアが見られない映画だと評する向きもあるが、イケメンのジョニー・デップが禿げ茶瓶の異常者に扮すること自体が最大のユーモア、それもブラック・ユーモアではないだろうか?
ジョニーの暗黒の中で輝くおつむと、ギラリと光る目玉と白い歯をスクリーンで見た瞬間、ぞっとすると同時に思わず笑ってしまった――これはなんという冗談だろうかと・・・

しかし、映画が終わる頃には、迫真の演技と相まって、ジョニデの勇気と根性には黒い笑いでは終わらない尊敬の念を抱かせる。冷酷非情な悪魔バルジャーに扮したジョニー・デップは、一見おぞましく、怖いのだが、よくよく目を凝らすと、頭がい骨むきだしのようなメイクは、逆にジョニーの骨格上の優秀さ、美しさを目立たせてしまう不思議な効果がある。
整った鼻の形、表現力豊かな大きな賢そうな瞳、形のいい頭などスターにふさわしい、生まれながらの恵まれた容姿を際立たせ、他の人々とは違うことを注意深い観客にかぎって、予想外に認識させる結果になっている。
       
★吸血鬼は血を好む
2011年に逮捕された実在のボストンのギャングのボス、ジェームズ “ホワイティ”・バルジャーに扮したジョニー・デップの怪演には目を見張るものがある。
「怪演」は「快演」のもじりであり、「不気味であるが、奇妙に魅力のある演技」を意味し、「特殊メークを施した本来は美しい役者の演技」等について語られる場合が多い。

血を流させることによって生きながらえるバルジャー
ジョニー・デップのバルジャーは、常に冷静沈着、感情を表に表さず、不言実行のままどんどん犯行を重ね、身内でも裏切り者は容赦なく始末し、FBIと闇で通じる情報屋になって敵を売り、着々と勢力を伸ばしていく。
バルジャーは裏切ったと知ると、予告なく、悩むことも迷うこともなく、仲間を殺し、良心の呵責もまったく感じない。
バルジャーの殺害手順は、屠殺人が家畜をばらすように、手馴れて日常的、緻密で狂いや失敗がない。
極道の中でも、最も残虐で冷徹と言われたアイルランド系ギャングのバルジャーだからである。
吸血鬼バルジャーにとって、人間の血は、敵であれ、仲間であれ、生きるのに必要である。
他人の血を流させることなくしてバルジャーは生存を継続できない。
頭は切れるが、サイコであるヴァンパイアのバルジャーをジョニー・デップが無言の目力(めじから)によって表現する。
  たまにジョニーのバルジャーが笑うと、悪魔のほくそ笑みのようで、ますます怪奇性が際立つ。

B.吸血鬼は血の絆を好む
バルジャーの行動を解明するキーワードは、「血」だが、バルジャーは、自分の血管に流れる血と同種の者には弱かった。
感情を押し殺したジョニーの演技は、バルジャーの内に煮えたぎる血の絆への執着を際立たせる。
a. 息子
バルジャーがイスを倒して大あばれしてわめき、激情を露わにしたのは、6才の最愛の息子が急性脳症
「ライ症候群」で急死した時だけである。
「脳死のまま植物状態で生きさせるより生命維持装置をはずしたい」と母親が言うと、「なんて冷酷な女だ、俺の息子なんだぞ」とバルジャーは烈火のごとく怒る。 
クィンシー地区のネポンセット川沿いの高架下の土手は、バルジャーが死体をたくさん埋めて空地がなくなるほどなのに、自分の子供のことになると話は別なのである。
b. 母親
寡黙なバルジャーは、母親を熱愛していた。疲れて帰ってきても、母親がトランプをしたいというと眠気を抑えてつきあう良い息子だった。
息子と母親がバルジャーに人間らしい心をかろうじて保たせていたのに、バルジャーと同じ血を共有する二人が相次いで他界してから、血の支えを失ったバルジャーの狂気は歯止めがきかなくなる。
c. マサチューセッツ州上院議長の弟ビリー
兄ジェームズは犯罪者だが、バルジャー一家は優秀だったらしく、弟ビリーは、マサチューセッツ州上院議長になり、後にマサチューセッツ大学の総長になる。
兄は弟に迷惑をかけないように表向きは距離を保っているのだが、家族の食事会には仲よく列席する。
陰では助け合っているのだろうが、バルジャー兄第は、冷静で節度ある関わり方をしている。 
結局、ビリーは、兄からの電話に出たことで、職を失うことになるが、互いに相手の立場を尊重している。
d. FBI捜査官ジョン・コノリー
FBI捜査官ジョン・コノリーとはアイルランド系で幼なじみの仲であった。
家族ではないが、コノリーは地縁に基づく特別なパートナーである。 
コノリーは、幼い頃からバルジャーを英雄視していて、FBIに勤務しているにもかかわらず、バルジャーを情報屋にしてお互いの便宜と出世を図った。
バルジャー逃亡後、罪に問われたコノリーだが、バルジャーの犯罪に関しては、自分の不利を顧みず、無言を通した。
バルジャーとコノリーの絆は、『さらば友よ』 のアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの犯罪を犯した男同士の固い口と絆を思わせる。
映画を見るかぎり、どちらかと言えば、コノリーがバルジャーにより惚れていたように見えるが・・・

★ファム・ファタール不在のギャング映画
1940年代から50年代にアメリカで制作された「フィルム・ノワール」をはじめとするギャングを題材にした秀作は、アメリカ映画に数多く存在し、ジェームズ・ギャグニー、エドワード・G.ロビンソンなどのスターを生み出した。
それらの「ギャング映画」には、必ずといっていいほど「ファム・ファタール」(男を破滅させるような魅力をもつ危険な魔性の悪女)が出てくるのだが、『ブラック・スキャンダル』 は、ファム・ファタール不在の映画である。
母親や情婦、売春婦などの生物学上の女性は出てくるが、主人公を魅力によって陥れて運命を狂わせるような魔女は不在である。その意味で、『ブラック・スキャンダル』 は、どちらかといえばアメリカ映画というよりも、アラン・ドロン主演のフランス映画『さらば友よ』や『サムライ』に近い感触を持っている。
寡黙で抑制のきいた演技で勝負し、目の力で威圧するジョニー・デップのダークで妖しい怪演は、アラン・ドロン的ですらある。そして女よりも男同士の絆に信頼を置いているところもドロンのギャング映画よりである。

★売りはジョニーの怪演
『ブラック・スキャンダル』 は、アメリカ犯罪史上名高い、実在のギャングを描いた話題作だが、なによりもジョニー・デップの怪演が見ものであり、売りである。
ジョニーの熱演は、繊細で抑制がきいているのに、ドスもきいている。
ハリウッドの男優にありがちな大声を出したオーバーなアクションによる演技とは一線を画すので、見ていて疲れない。
観客は、肩の力を抜いて、リラックスして違和感なく共感し楽しめる。
ジョニー・デップの怪演にこそ、アメリカの映画界は賞を与えるべきだと思わずにはいられない。

参考資料:
映画パンフレット 『ブラック・スキャンダル』 発行: ワーナー・ブラザーズ映画、松竹2016年1月30日

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2 March . 2016
 

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