ぼくらの家路

ドイツ映画界のアカデミー賞 ドイツ映画賞作品賞銀賞獲得
『ぼくらの家路』 原題Jack
製作年2014年   製作国ドイツ 上映時間 103分   映倫区分PG12  
言語:ドイツ語   配給ショウゲート
スタッフ:
監督エドワード・ベルガー/ 製作ヤン・クルーガーレネ・ローマート/脚本エドワード・ベルガー ネル・ミュラー=ストフェン
キャスト:
イボ・ピッツカー/ ゲオルグ・アームズ / ルイーズ・ヘイヤー /ネル・ミュラー=ストフェン / ビンセント・レデツキ
2015年9月19日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町 他 にて公開
公式HP:http://bokuranoieji.com/

(C) PORT-AU-PRINCE Film & Kultur Produktion GmbH

『ぼくらの家路』――生母が聖母でない現代のヘンゼルとグレーテル
 
               清水 純子

一つのベッドで、すやすやと眠る天使のようにあどけない二人の男の子――黒髪の10歳のジャック(イヴォ・ピッツカー)と金髪の6歳の弟マヌエル(ゲオルク・アームズ)のかわいらしい寝姿が画面に映る。

『ぼくらの家路』は、この幼い兄ジャックが、子供離れのした決意に導かれる3日間の母探しの旅路を描く。
母に養育を遺棄されて、巨大都市ベルリンに放り出された二人の幼い兄弟ジャックとマヌエルは、グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』を思い出させる。

ジャックは、幼い弟マヌエルの世話と慣れない家事を受け持っている、というか行わざるを得ない環境にある。
二人の幼い兄弟には母がいないわけではないが、彼らの生母は聖母ではない、これが問題なのである。
シングル・マザーの母ザナ(ルイーズ・ヘイヤー)は、若くて美しいため、男にもてる。
ザナは、子供たちの世話はそっちのけで、毎晩夜遊びに興じて、新しいボーイフレンドを取り換えひきかえ家に引き込んでいる。
おなかがすいたジャックは、母と男のセックスの最中に部屋に入ってきて食べものを要求する。
突然の子供の乱入に慌て、ザラが二人の子持ちであることを知ってさらに驚く、その夜の彼氏。
ザラは、悪びれることなく、素っ裸でキッチンに入って、パンにバターを塗り、冷蔵庫からジュースを出してジャックに与え、セックス再開のためにいつものように寝室に戻っていく。

母親の代わりに家事に忙しいジャックは、風呂のお湯の温度調節を誤って弟に火傷をさせてしまう。
ザナの育児放棄は、児童福祉事務所の知るところとなる。
その結果、ジャックは児童福祉施設に預けられ、マヌエルは母ザナの監督下に置かれることになるが、事態はうまく運ばない。
ジャックが待ちに待った夏休みなのに、母ザナは新しい男にかまけて迎えにきてくれない。
ジャックは、同じく居残りをする施設の不良にからまれたので、殴って気絶させてしまう。
慌てたジャックは、施設を飛び出して苦労の末、家に戻るが、母不在のうえ鍵がなくて中に入れない。
浮浪児になったジャックは、有料トイレに忍び込んで水を飲み、駐車場の車をベッドの代わりに夜を過ごす。
母の友人の家に預けられた弟マヌエルも、母が約束を守らずにほったらかしにされている。
やっと弟の居場所をつきとめたジャックが迎えにいくと、洋服ことマヌエルは扉から放り出される。
母を求めてアパートに戻ると、施設の職員関係者がジャックを捕まえようと見張っている。
施設の友のために望遠鏡を万引きしたジャックを、ベルリンの迷路のような街中を店員が狼か悪魔のように追跡してくる。
母の元彼(モトカレ)が食物を食べさせてくれてほっとしたのもつかの間、彼も味方ではなく、二人を警察に連れて行こうという魂胆だった。
ジャックは、車から強引に飛び降りて、弟と共に逃げ出す。
三日の間、二人の兄弟は浮浪児となって、子供離れした気転と勇気によって、ようやく母親の戻った我が家にたどりつく。
和気藹々(わきあいあい)の母子だが、ジャックが知ったこととは? ジャックは、再び弟を連れて決然とした行動に出る。
グリム童話では、子供を養えない貧しい木こりの夫婦が、森の中にヘンゼルとグレーテルを置き去りにする。
幼い子供たちは、機知と叡智を振り絞って、苦難を協力して乗り越えて我が家に戻ると、継母はすでに亡くなり、実の父と幸せに暮らす。
グリム童話の幼児虐待は継母によってなされるため、ありうることかなとも思う。
ジャックの場合は、母ザラは生みの親である。しかしザラは、悪意をこめて積極的に育児放棄したわけではない。
単に母親としての自覚が足りないだけである。
子供を愛していないわけではないが、子供より男に目がない。
ザラは、性欲も物欲も抑えて子供のためにつくすようなことはしない女であり、生母であって聖母でないだけである。
現実には、わが子を殺める鬼母(虐待母の別称)もいるのだから、ザラは子供たちに積極的に危害を加えないだけましかもしれない。
どこの国においても、子供はかけがえのない社会的財産であり、未来を担う希望である。

WHO(世界保健機構)は、児童虐待(Child Maltreatment、Child Abuse、Cruelty to Children)には、児童に暴力を加えることだけではなく、育児放棄(ネグレクト)も入ると定義する。
WHO(世界保健機構)によると、失業と経済的困窮は、児童虐待の増加と関連があるとされる。
「ヘンゼルとグレーテル」も、ザラの場合も、経済的困窮は明らかである。
また片親で育てられる子供は、両親がそろった家庭の子供の二倍の確率で児童虐待が起こるという。

ザラもアルバイト程度の仕事で、母子手当をあてにしながら子供たちを養っている。
「今度の男は親切そうよ!」といってダイヤの指輪を見せびらかすところに、ザラの男選びの価値観と目的が表れている。
美貌と肉体を餌に、親切で優遇してくれる男を漁る母に見切りをつけたジャックは、本当に賢い。
だめな母親に頼るより、最良とはいえないにしても、社会的ケアに身をゆだねる方が安全だからである。

生母が聖母でないのは、どこの国でも同じである。
しかし親になるには、欲望をある程度抑えられる成熟が必要である。親になるための教育も必要である。
それでもだめな場合は、鬼母の出現を防ぎ、鬼母から子供を守る堅固な仕組みが社会には必要である。
ドイツの場合、ケースワーカーの責任も含めて、周囲の監視の目が重視されていることがわかる。
ジャックを待ち伏せした福祉事務所員は魔女ではない、追いかけてきた店員は狼ではない、ジャックを警察に渡そうとした母の元彼も悪者ではない。
利発なジャックは、彼らの行動が適切だったことを最後に悟ったから決断したのである。

Copyright ©J. Shimizu All Rights Reserved.    2015. August 21

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