ボヴァリー夫人とパン屋


『ボヴァリー夫人とパン屋』(Gemma Bovery)
製作国:フランス    製作年:2011  配給会社:配給:コムストック・グループ
配給協力:クロックワークス
コピーライト:© 2014 – Albertine Productions – Ciné-@ - Gaumont – Cinéfrance 1888 – France 2 Cinéma – British Film Institute
上映時間:99分
7月上旬よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

【キャスト】
ファブリス・ルキーニ(『屋根裏部屋のマリアたち』)/ジェマ・アータートン(『アンコール!!』)/ジェイソン・フレミング(『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』)/ニール・シュナイダー(『マイ・マザー』)

【スタッフ】
監督・脚本:アンヌ・フォンティーヌ(『ココ・アヴァン・シャネル』)/脚本:パスカル・ボニゼール、アンヌ・フォンテーヌ/音楽:ブルーノ・クーレ(『オーシャンズ』『コーラス』)/
原作:ポージー・シモンズ(「ねこのパンやさん」「せかいいちゆうめいなねこ フレッド」)

公式HP:http://www.boverytopanya.com/

(c) 2014 - Albertine Productions - Cine-(a) - Gaumont - Cinefrance 1888 - France 2 Cinema - British Film Institute

『ボヴァリー夫人とパン屋』――ノルマンディー・パンの美味のあとで

                      清水 純子
       
物語は、ノルマンディーの片田舎のパン屋の隣に英国人夫妻が引っ越してきたことから始まった。
夫妻の名前は、英国人なのにボヴァリー、しかも若く美しく、男心をそそる夫人は、ジェマ・ボヴァリー(ジェマ・アータートン)。
フランスの文豪ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert 1821年 - 1880年)の小説『ボヴァリー夫人』のヒロインのエマ・ボヴァリーと一字違いの名前「ジェマ・ボヴァリー」とはなんという偶然!

パン屋のマルタン(ファブリス・ルキーニ)は、7年前まで出版社に勤めていた大の読書家、しかもマルタンの愛読書は『ボヴァリー夫人』。
偶然の一致に胸を躍らせたマルタンは、ジェマに近づき、さっそく『ボヴァリー夫人』を読むことを勧める。
思春期の男の子とうるおいを失った妻を持つマルタンは、はつらつとしたジェマとの語らいに、久しぶりに、実に10年ぶりに欲望のうずきを覚える観察好きで空想家のマルタンは、ジェマがボヴァリー夫人の生まれ変わりだと夢想する。
小説によれば、エマは若い男と不倫に走り、借財がかさんで破滅したのち自殺する。
ジェマの夫チャーリー(ジェイソン・フレミング)も、誠実でやさしそうだが、年配の再婚男で留守がちだから、若くて魅力的なジェマは必ずや不倫に走るはず。
マルタンは、ジェマと蜂にさされた時に車で病院に送った年下の美青年(ニールス・シュナイダー) があやしいとにらんで、二人をひそかに観察し、監視する。
青年の一人住まいの屋敷の窓ガラスに顔をつけて、ジェマと青年の逢引の現場を覗いて、自分の考えの確かさに満足したマルタンの空想はどんどん膨らんでいく。
このままいくと、小説のエマのように、隣のジェマも不倫の末に死ぬことになりかねない。
ジェマに夢中のマルタンはなんとかして食い止めようと心をくだく・・・
恋人の青年のふりをしてジェマに別れの手紙を送ろうか? ジェマがパンを買いに来た時に言おうか、いや、マルタンのパンが大好物のジェマには、パンを使って注意するのがいい。
マルタンは、「ジェマ」(Gemma)の名前を焼き入れたパンの贈り物をきれいなバスケットに入れて戸口に置いておく。
室内のジェマは、大好物のマルタンのパンをほおばりながら、夫の留守中に復縁を迫って押しかけてきたもと彼の要求を拒んでいたが、マルタンですら予想もしていなかったことが起きる。
パン屋のマルタンは、もともと想像力過多の夢見る文学中年男である。
マルタンは、ジェマという美女を得て、小説という夢想の世界に閉じ込められていたヒロインのエマ・ボヴァリーが自分の住む現実の世界に飛び出してきたような錯覚に陥る。
チラシには「あなたは私を発酵させる」とあるが、これはパン職人マルタンのジェマに対する妄想の高まりを表している。
ジェマがボファリー夫人と同じく年下の若者と不倫関係に落ちたことを知った時、マルタンの想像力は、そのパンのように発酵してパンパンにふくらむ。
この物語は、マルタンの視点を通して語られ、観客に披露される。
観客は、マルタンの視線のとおりに動くカメラの目にそって、隣に住むジェマの行動を見張り、覗き見させられる。
マルタンの空想が発酵してふくらむのと並行して、観客の好奇心もどんどんふくらむ。
観客はマルタンのひとりよがりの思いこみに苦笑するが、映画のひねりは、マルタンの妄想が思わぬハプニングで現実になるところにある。
小説とはちがう形でジェマ・ボヴァリーは、現代版ボヴァリー夫人であったことが証明されてしまう。
アンヌ・フォンテーヌ監督は、物語を何度も回転させ宙返りさせて、あっと驚く結末に導く。
哀しいのだが、妙におかしくて、やりきれないようでいて、くすくす笑いを抑えきれない、不思議なブラック・ユーモアで作品をつつみこむ。
マルタン役のファブリス・ルキーニの演じる、まじめくさった純情な中年男マルタンのジェマをまじまじと見つめる視線が滑稽さを高める。
そのマルタンの視線に反応するかのように、マルタンの焼いたパンを官能的なうめき声をあげながら、ぱくつくジェマの姿も笑いを誘う。

ジェマに惚れている四人の男たち(マルタン、夫チャールズ、美青年、もと彼)は、そろいもそろって思いこみが激しく、早とちりで失敗を重ねるたちであり、なによりもヒロインのジェマが滑稽なまでにそそっかしい。
登場人物たちのうかつな性格が物語の滑稽さであり、悲劇であると同時に喜劇でもある。

マルタンの息子は、父マルタンの夢想癖と思いこみの激しさをからかって言う—「今度のお隣さんは、ロシアのアンナ・カレーニナだよ、あの悲劇のヒロイン」。
マルタンはまたまたその気になって、新人女性に自己紹介を始める。
フランス人である彼女をアンナ・カレーニナだと思いこんだマルタンは、またもや積極的に接近する。
『ボヴァリー夫人とパン屋』は、フランス映画ならではのエスプリとユーモアにあふれている。
アンヌ・フォンテーヌは、『恍惚』(Nathalie、2003)、『ココ・アヴァン・シャネル』(Coco avant Chanel, 2009)を生み出した監督だと聞けば「なるほど」と思う。
『恍惚』も、ひねりのきいた上質のセンスとユーモア、さりげなく文化の香り高さを漂わせた作品で「さすが、おフランス!」とうならずにはいられなかった。

ヒロインと偶然同じファースト・ネームをもつジェマ・アータートンについては、「なんとフランス的な女優だろう!」と思ったら、英国人ということで驚いた。
「フランス語も話せず、フランス文化にも親しみがなかった」(パンフレット『ボヴァリー夫人とパン屋』)そうだが、顔立ち、表情、しぐさなどが、いかにもフランス的である。
ジェマは、演技や演出の仕方でフランス的に見えるのかもしれないが、やはりフランス人好みのタイプなのであろう。
唇をとんがらせて、すねて甘えて相手をみつめるところなど、ブリジット・バルドーを思い出させるし、雰囲気は、オドレイ・トトウにも似ている。
一番重要な主人公であるマルタン役のブァブリス・ルキーニが、コミカルでありながら、ひょうひょうとして自然な演技によって映画の成功に大きく貢献しているのは言うまでもない。

 Copyright © J. Shimizu All Rights Reserved. 2015. April 26


(c) 2014 - Albertine Productions - Cine-(a) - Gaumont - Cinefrance 1888 - France 2 Cinema - British Film Institute

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