チャーリー・モルデカイ

 

(C)2014 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved

『チャーリー・モルデカイ~華麗なる名画の秘密~』
原題: Mortdecai
製作:Lionsgate Entertainment, Inc.
配給:角川映画
監督デビッド・コープ、製作アンドリュー・ラザー、ジョニー・デップ、
クリスティ・デンブロウスキー、パトリック・マコーミック
出演:ジョニー・デップ(チャーリー・モルデカイ)、グウィネス・パルトロウ(ジョアンナ)、
ユアン・マクレガー(マートランド)、オリビア・マン(ジョージナ)、ポール・ベタニー(ジョック)
公式HP:http://www.mortdecai.jp/
公式Facebook:https://www.facebook.com/mortdecai.jp
公式Twitter:https://twitter.com/mortdecai_jp
2015年2月6日 よりTOHOシネマズスカラ座ほかにて公開

~~~~~~~~~~~~~

『チャーリー・モルデカイ~華麗なる名画の秘密~』―ージョニー・デップの挑戦
                               清水 純子


『チャーリー・モルデカイ~華麗なる名画の秘密~』(原題Mortdecai)は、ハリウッドの人気俳優ジョニー・デップが出演するばかりでなく、妹と共にプロデュースもつとめた野心作である。
デップが記者会見で言うように「僕の心がつまっている」、つまりデップの映画への愛が満載の映画なので、ファンならずとも必見である。

原作は、1970年代の英国のキリル・ボンフィリオリのユーモア・スパイ冒険小説『チャーリー・モルデカイ1.英国紳士の名画大作戦』(角川文庫)である。
デップは、モルデカイの人物造詣にあたって、尊敬する英国のコメディアン俳優テリー・トーマス(Terry Thomas, 1911-1990)の演技を参考にしたと言っているが、写真を見ればうなづける。

テリー・トーマス

『チャーリー・モルデカイ』で話題になっているのは、デップ扮する英国没落貴族モルデカイのちょび髭、厳密にはカイゼル髭(ドイツ皇帝ウィルヘルム二世がはやしていた左右の両端が上へはねあがった口髭)である。

モルデカイは、先祖代々の習慣として生やした髭の手入れに余念がないが、髭アレルギーの美人妻ジョアンナ(グゥイネス・パルトロウ)は、夫モルデカイのキスに吐き気を抑えきれない。吐き気が伝染する体質のモルデカイも妻と一緒にゲーゲー、夫婦間の溝は広がる。

しかしモルデカイ夫妻の悩みは、髭以上に由緒あるモルデカイ家の財政難である。
モルデカイ家は税金を支払えず、家宝を次々と処分して破産をまぬがれる惨状を呈している。
金欠病のモルデカイは、いかさま美術品販売のために香港マフィアに命を狙われているが、イギリスの諜報部員M15警部補マートランド(ユアン・マクレガー)に盗まれたゴヤの幻の絵画の行方の捜索を依頼される。
この名画の裏にはナチの財宝の口座番号が記されているため、国際テロリスト、ロシアンマフィア、香港マフィア、アメリカの大富豪を交えた争奪戦が繰り広げられ、争いに巻き込まれたモルデカイの命は危うくなる。

英国発のコメディー『モルデカイ』は、階級や身分、見栄と実像のギャップによるキャラクタライゼーションが笑いを提供
する。モルデカイのプライドと見栄は、そのちょび髭が暗示している。
この時代錯誤で流行遅れの髭が夫婦仲を裂く元凶であり、モルデカイの場違いな自己顕示欲と現実認識のずれを象徴する。
まじめ一徹な堅物紳士に見えるM15マートランドは、オックスフォード大学時代からモルデカイとはジョアンナをめぐって恋敵であった。
いまだに思いを断ち切れないマートランドが、隙を見てはジョアンナにこっそり言い寄る姿は滑稽である。
モルデカイに仕える忠実な執事兼用心棒のジョックは、御主人様のためには命を惜しまない忠義男だが、実は無類の女好きの絶倫男である。
妻に拒絶されて悶々とするモルデカイとは対照的に、次々と女を征服して問題の種をまきちらすジョックは、色事において階級と身分の威光を逆手に取る猪突猛進のコミカルなキャラクターである。

『モルデカイ』のもう一つのおもしろさは、ピリリと辛い、気が利いたきわどいセリフにある。
パブリック・スクールの名門校の名前が出ると「あそこでは男が男のかまを掘って問題になっている」、モルデカイの時代錯誤のセリフの「僕はアメリカなんてあんな植民地に行く気はない」に表れている。

記者会見でデップが指摘した“open balls” 「タマを開く」は、『モルデカイ』で幾度か聞かれる言い回しである。
デップが「わからないでしょ?僕も聞いたことがなかったし、使ったこともなかったけれど、あの映画には出てくるんだよね・・・」(通訳の女性に)「あなたが日本語でどう訳すかなと思ってわざと意地悪に言ってみたのだけれど、そのまま英語で“open balls” と言って訳さなかったようですね・・・」と茶目っ気たっぷりに
指摘した卑語である。
映画では、マフィアに囚われたモルデカイがパンツ一枚にされて“open balls” と脅かされる。
ジョックに助けられたモルデカイは “ I feel dirty “ と言ったあとで「そんな言葉、僕聞いたこともない、意味を教えて!知っているくせに君は教えてくれないんだね」とすねる。
デップの日本の報道陣に対する問いかけは、映画内のモルデカイを反芻しているようである。
こんなところにも頭の回転が速く、ウィットに富んだデップの魅力がスクリーンの内外で発揮されていた。
“open” は「切開する、開口する」、“ balls” は、「睾丸、度胸」の意である。
香港マフィアがジョックの「指をつめる」行為によって仕置きをしようとしていたのとほぼ同じコンテクストで使われる言葉であろう。

この映画は、軽妙なブラック・ユーモアを巧妙にそこかしこにちりばめているために、一度ではつかみきれない深いおもしろみがある。
来日前にハリウッドの映画の授賞式で、プレゼンターのジョニー・デップが酔っぱらってスピーチをして放送禁止用語を発するハプニングが伝えられたが、映画『モルデカイ』にすでにその事態を告げるセリフが存在していたのには驚かされた――「どこかの国のバカな俳優のように、酔っぱらってスピーチをして、放送禁止用語をわめくようなバカはしないんだよ」という箇所があった。
日本における記者会見の席で“open balls” を日本語に訳していないと言うデップに、通訳の女性が「日本のマスコミはまじめですからね、また誤解されても・・・」と答えたのも事情を配慮したのかもしれない。
この表現は「俳句のようにいろいろな意味があって、後でいろいろに考えられる」とデップが茶目っ気たっぷりに言っていたのも示唆的である。
ともかく『モルデカイ』は「僕の心がつまっている」映画だけあって、デップの力の入れ方もひとしおである。

英米の映画批評家たちは辛らつな映画批評をしているようだが、『モルデカイ』のような軽妙で洒脱なブラック・ユーモアが復活する余地がハリウッドにもほしい。
政治的な関わりや社会的主張を前面に据えたトルー・ストーリー(実話)、あるいは3D利用映像がもてはやされているハリウッドだが、肩の力を抜いて楽しめるフィクションに基づく映画が実は必要なのかもしれない。
製作や批評に関する映画人の複雑な関係や背景がアメリカには存在するのかもしれないが、映画そのものを見てほしいと思う。
セレブの地位に慢心せずに、アーティストとして新境地開拓に熱心なデップの意欲を買うべきである。

Copyright © J. Shimizu All Rights Reserved.