沈黙ーサイレンスー 横田

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『沈黙ーサイレンスー』(原題Silence
製作年2016年/ 製作国 アメリカ/ 配給 KADOKAWA/ 上映時間162分/ 映倫区分 PG12 /
オフィシャルサイト http://chinmoku.jp/
スタッフ: 監督マーティン・スコセッシ/ 製作: マーティン・スコセッシ、エマ・ティリン 他/ 製作総指揮デイル・A・ブラウン、マシュー・J・マレク他/ 原作: 遠藤周作/ 脚本ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ/ 撮影:ロドリゴ・プリエト/ 美術:ダンテ・フェレッティ/ 衣装:ダンテ・フェレッティ/ 編集:セルマ・スクーンメイカー/音楽: キム・アレン・クルーゲ/キャスリン・クルーゲ/
キャスト: アンドリュー・ガーフィールド: セバスチャン・ロドリーゴ / アダム・ドライヴア―: フランシス・ガルーペ / 浅野忠信: 通辞/ リーアム・ニーソン: クリストバン・フェレイラ/ 窪塚洋介: キチジロー / イッセー尾形: 井上筑後守/ 塚本晋也: モキチ/ 小松菜奈: モニカ/ 加瀬亮:ジュアン/ 笈田ヨシイ: チゾウ/
2017年1月21日よりTOHOシネマズ スカラ座 他にてロードショー公開


沈黙―サイレンスー』――神はなぜ沈黙するのか? スコセッシ監督渾身の力作

                                  横田 安正
      

 ジャパン・タイムズ紙の映画評論家James Hadfield氏によると「この映画はアメリカの大方の有力評論家から冷遇され、興行成績も芳しくないスタートを切った。観客は日本語のセリフが多く、161分もする長い映画に辟易している」ということだ。これは驚くに当たらない。『沈黙』は一言でいえば「キリスト教が東洋の小国である日本および日本人に完敗する話」だからである。

 マーティン・スコセッシは2016年、芸術界のノーベル賞といわれる「高松宮殿下記念世界文化賞 Praemium Imperiale 」の演劇/映像部門で受賞した。筆者は1998年から同賞の翻訳業務を務めており、今回もスコセッシの1時間半におよぶインタヴューを訳したが、その内容は実に面白く示唆に富むものであった。スコセッシ監督が遠藤周作の『沈黙』に出会ったのは1988年のことである。当時彼はキリストを描いた「最後の誘惑」でキリスト教右派から猛烈な抗議と暴力的な脅迫・上映妨害を受け苦しんでいた。キリストが十字架上でマグダラのマリアと結婚し世俗的な幸福に得るという幻想を見るシーンが宗教界の逆鱗に触れたのである。その時、NY聖光会の大司教ポール・ムーアから思いがけない言葉をかけられた。「映画はとても良かった。アイデアが抜群でした。もし貴方が本当に信仰についての本を読みたかったら、本当に信仰について知りたかったら、遠藤周作の小説『沈黙』を進呈します」と・・・。手にした『沈黙』は想像以上にショッキングかつ自分の疑問に応えてくれるものだった。彼はすぐ映画化を熱望するようになったという。映画化権を獲得したものの、脚本作りは難航した。自分は魂の遍歴を充分していない、魂の葛藤を充分に経験していなかったことを痛感したからである。結局、構想から28年たって映画化はようやく実現したのである。「映画化は長い学びの旅でした」とスコセッシは述懐する。

 遠藤周作は中学生のとき、家族の勧めでカソリックに入信した。しかし、成長するにつれて信仰に多くの疑問を抱くようになった。スコセッシもカソリックの家に生まれ、将来神父になろうと思ったことがあったという。カソリック大国フランスに留学したが、そこで彼はキリスト教徒であるフランス人から深刻な人種差別を受けたという。こうして出現した『沈黙』は極めて日本的な感性がもたらした宗教小説なのである。大上段からキリスト教の「絶対正義」を説き、迫害する敵を「絶対悪」として断罪するのではなく、弱い人間の魂の葛藤を見据えるものである。敵に屈するとはどういうことか。心が弱いとは何を意味するのか。自分の弱さを克服して再び強くなるとはどういうことなのか。スコセッシは言う、「これら全てのコンセプトはロドリーゴという人物に集中される。自分の真の信仰を取り戻すため自分の信仰を捨てる―これをどう映像化するか、これが難しい問題でした」。

 ストーリーはほぼ原作の通りに進む。イエズス会のポルトガル人宣教師ロドリーゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルーペ(アダム・ドライヴァー)は彼らが尊敬する先輩フェレイラ師(リーアム・ニーソン)が日本で棄教し日本人になっているらしいという噂を確かめるため、鎖国下の日本に密航を図る。隠れキリシタンの村で匿われたものの、そこで見たものは日本の為政者による残虐きわまるキリシタン弾圧であった。悪いことに道案内の若者キチジロウの裏切りで2人は捕まってしまう。日本側は捕まえた隠れキリシタンたちを逆さ吊りにし、2人の宣教師が自ら棄教しなければ、百姓たちを皆殺しにすると脅す。百姓たちの生命と自己の信仰の狭間でロドリーゴは苦悩する。しかし、どんなに悩んでも神の声は聞こえない。「神よ、そなたはどうして沈黙なさるのですか」という悲痛な叫びはイエスが十字架の上で「わが神よ、わが神よ、そなたはどうして私をお見捨てになるのですか」と言った言葉に重なる。日本側はロドリーゴに澤野忠庵という日本人になっているフェレイラ師を会わせる。フェレイラは「日本にキリスト教は根付かない。日本は全てのものを腐らせてしまう沼であり、キリスト教の根もここでは腐ってしまう」と言う。そして信者たちの命を救うためにキリスト像を踏むことは神の意に反することでは無いと説得するがロドリーゴは受け入れない。同僚のガルーペは船から突き落とされる信者たちを助けようとして海に飛び込み、半ば自殺のような形で死に至る。しかし、数名の信者たちが逆さ吊りにされて、耳の後ろに開けられた小さな傷口から少量の血が滴り落ちる姿を目の前にしたロドリーゴは遂に踏み絵に屈するのである。ロドリーゴは名を岡田三右衛門と変え家族を持ち、江戸でフェレイラと共に幕府に仕える。時が流れ、死を迎えようとするロドリーゴの前にキチジロウが現れ、小さな十字架を手に握らせる。神を捨てた筈のロドリーゴは十字架を手に死んで行くのである。

 映画《沈黙》の画作りはこれまでのスコセッシのものとは違っている。細かいショットを積み重ねるスコセッシ独特のカッティングは影を潜め、カメラはひたすら登場人物の苦悩に寄り添う。映画の主題はカッティングの技術で表現出来るようなものではないからだ。

《沈黙―サイレンスー》は日本人を扱ったハリウッド映画の常識を全ての面で覆えす作品である。先ず、日本人に対する優越感、蔑視の念が全く無い。従ってハリウッドに付き物の変チクリンな異国趣味が見当たらない。また、これほど多くの日本人俳優が登場し、それぞれが実に伸び伸びと演じたのも画期的なことである。隠れキリシタンの長老ジイサマを演じた笈田ヨシの凛とした佇まい、殉教者モキチを演じた映画監督でもある塚本晋也の心揺さぶる演技、通辞役の浅野忠信の余裕に満ちたセリフまわし、ユダ役イチジローを演じた窪塚洋介の力演、中でも井上筑後守を演じたイッセー尾形の清濁併せ持った幅の広い演技は出色であった。この時代の日本の為政者は戦国の世を生き延びただけあって”したたか”かつ”老練”である。現代日本のナイーヴな政治家とは雲泥の差だ。かくして、大多数のアメリカ人が信奉するキリスト教が東洋の小国日本で一敗地に塗れるという話になったのである。しかし、ロドリーゴは決して敗北したわけではない。棄教して百姓たちの命を救った時、はじめて「汝を許す」という神の声を聞くのである。ハリウッド関係者にとってこの映画は全てが逆さま、まさに奇妙奇天烈な作品なのである。大多数のアメリカ人が不快感を持ったとしても不思議ではない。これほど中身の濃い大作でありながらアカデミー賞では辛うじて撮影部門でノミネートされただけというのも頷ける。
 
 蛇足だが、キチジロウを演じた窪塚洋介がこの役に挑むに当たって行き着いたキーワードは "innocence" (無邪気さ)だったという。これは大島渚監督の「戦場のメリー・クリスマス」で残忍な上等兵を演じた “ビートたけし” を思い出させる。終わりの場面で “たけし” はカメラに向かって無邪気に微笑み「メリークリスマス、ミスター・ロレンス」と言って無邪気さの怖しさを存分に見せつけた。これは “たけし” だから出来たことで、窪塚は “たけし” ではない。窪塚ならではの別の引き出しがあっても良かったのではないかと筆者は思う。スコセッシ監督は彼の演技を絶賛したというけれど、無いものねだりかも知れないが、窪塚にはプラスアルファを期待してしまうのだ。

 またロケーションが全て台湾で行われたのも残念なことである。これは傑作『ライフ・オヴ・パイ』を撮った台湾出身のアン・リー監督の助言もあり、日本より台湾での撮影のほうがストレスが少ないとスコセッシ監督が判断したと伝えられている。日本では撮影を規制する条例が色々あり過ぎるらしいのだ。そのせいもあってか、日本家屋のセット、長崎の町並みなどがかなり安っぽい感じを与えるのは否めない。この映画の唯一の欠点である。

 何はともあれ、《沈黙―サイレンス》は2時間40分という時間を感じさせない緊張感にあふれた傑作であり、人間の魂にこれほどの誠実さで向き合った映画に触れることの幸せに筆者は感動せざるを得ない。

©2017 Ansei Yokota. All Rights Reserved. 29 Jan.2017.

 

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