ダーティ・コップ

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『ダーディー・コップ』
原題 The Trust/ 製作年 2016年 / 製作国 アメリカ / 配給 KADOKAWA / 上映時間 92分/ 映倫区分R15+ / オフィシャルサイトhttp://dirty-cop.jp/
スタッフ: 監督アレックス・ブリューワー ベン・ブリューワー/ 製作モリー・ハッセル、ブラクストン・ポープ、ブラッド・シュレイ/
キャスト: ニコラス・ケイジ:ストーン /イライジャ・ウッド: ウォーターズ /スカイ・フェレイラ / ジェリー・ルイス


『ダーティー・コップ』―地獄の道を掘る警官の欲望


               清水 純子

★役者のキャラのおもしろさでひきつける
映画をおもしろくする要素には、1.ストーリーのおもしろさ、2.映像のすばらしさ 3.演出のたくみさ、4.出演俳優の持ち味などがあるが、『ダーティー・コップ』は、主に4の出演俳優のキャラクターで観客をひきつける。

a.イライジャ・ウッド
映画の冒頭シーンに映るのは、イライジャ・ウッドのとる奇妙な体勢――肉の削げ落ちた夢魔のような顔に大きな二つの目をぎょろつかせて、何かにリズミカルに動かされているが、まったく無表情、小刻みに律動的にゆさぶられる小さな体は栄養失調気味の少年のように痩せこけて貧相、そしてウッドの上にのしかかるのは、豊満な娼婦の肉体である。このシーンの異様さは、ウッドの貧弱な骨と娼婦の豊かな肉の対比、セックスの最中にもかかわらず、顔色一つ変えず、無表情で神経衰弱気味に憂鬱な表情のままエクスタシーも示さないこの男の無機質な存在である。娼婦との完全に受け身のセックス・シーンは、ウッドが映画の中で受け手の立場であることも暗示する。

b. ニコラス・ケイジ
イライジャ・ウッド扮する悪魔の弟子ウォーターズが使える悪魔は、ニコラス・ケイジが演じるコップ(警官)ストーンである。ニコラス・ケイジは、フランシス・フォード・コッポラ監督の甥であるが、叔父の名声に頼ることなく独自の道を切り開いてきた。お茶目な役から陰りのある役、くたびれて堕落した役柄まで幅広くこなす繊細な演技派である。本作では神経過敏でひとりよがりな下っ端悪魔ウォーターズの緊張を解く、大魔王の包容力を示している。 

うだつの上がらない警官の転機
ストーンとウォーターズは、押収物の横流しによって小遣い稼ぎをするラスベガスのうだつの上がらない警官である。ところが、ドラッグの売人の保釈金の出どころから巨万の富を埋蔵する隠し金庫のありかをつきとめたストーンは、ケチな人生を一転させる契機だと部下のウォーターズを強奪作戦に誘う。慎重なウォーターズは、はじめは断るが、誰も殺さず、誰にも知られずに、二人だけで大金持ちになって高跳びするという悪魔の計画に魅入られ、周到な準備にかかる。悪魔と悪魔の弟子に変貌したストーンとウォーターズだが、お茶目でリラックス派のストーンとシリアスなウォーターズのキャラの違いは、二人の信頼関係に徐々にひびをいらせる。

★ 「ザ・トラスト」(信頼)の崩れが破滅原因
映画の原題は、「ザ・トラスト」(信頼)なので、二人の信頼関係が崩れたことによって、ひとたび成功した犯罪は水の泡に帰する。繊細で緻密で、人を容易に信頼しないウッドの張りつめた神経を逆撫でするようなストーンの冗談(車を用意するのを忘れた?)の数々、予想外の殺人を繰り返す行動は、ウォーターズに計画の妥当性と成功を疑わせる。客観的に見れば、犯罪計画を成功させるにあたってストーンのとった悪魔的に見える行為は、おおむね間違っていない。しかし、優柔不断で腰砕けの悪魔の弟子ウォーターズには、その妥当性が理解できなかった。いったん悪事に手を染めたにもかかわらず、妙な同情心を起こして人質にした女、スカイ、の言うなりに電話を取り次ぐウォーターズは軽率である。ストーンの綿密な指示で金庫の鍵を開けて宝の山を発見したにもかかわらず、女を殺すというストーンに反発して、反逆したウォーターズは頭がない。

チンピラのへまによって強奪計画がつぶれるフィルム・ノワールといえば『地下室のメロディー』(原題 Mélodie ensous-sol、1963年製作のフランス映画)が思い浮かぶ。綿密な計画が功を奏して、地下室からの札束強奪に成功したのに、プールサイドで刑事の視線に怖気づいたアラン・ドロンは、札束入りのバッグをプールに沈める。バッグの口が開いてプールの水面いっぱいに札束が浮かび上がるラスト・シーンは圧巻である。あまりのへまに肩を落とす青年アラン・ドロン、唖然とするが、そ知らぬふりを通し新聞を読み続ける親分の老人ジャン・ギャバン。しかし、このフランス映画では、少なくとも親分ギャバンと子分ドロンの心は犯罪の成就を願うという点で心はつながっている。ドロン青年の浅はかさが親分の信頼を裏切って計画は頓挫(とんざ)するが、青年はギャバン親分を人間として裏切ったわけではない。しかし『ダーティ・コップ』では、親分と子分の信頼関係そのものに亀裂が入り、両者共に滅亡する。親分はなぜ子分に殺されたのかも理解できないであろう。さらに正義に味方して悪に立ち向かうという警官本来の職務への信頼を裏切っている。ここには究極の人間不信がある。

★掘削作業は地獄への道
『地下室のメロディー』の軽業師のようなドロンの盗みの手口は、スタイリッシュで爽快だった。それだけに最後のばかげたしくじりがコントラストをなして際立つ。それに対して、『ダーティ・コップ』の麻薬保管金庫をめざす種々の器具を用いた掘削作業は、陰鬱で悪魔的である。作業をすすめるために、男を殺害して血まみれのままバスタブに押し込み、暗い表情の悪魔の情婦のような女を監禁したうえでの作業である。悪事に手を染める二人の警官の地下へ通じるパイプを掘る作業は、地獄に通じる道を模索する悪魔とその弟子の所業に見える。二人の悪魔は、自分たちの墓穴を掘っていたことが最後にわかる。

★成功しない犯罪の映画
『地下室のメロディー』をはじめとして犯罪が失敗に終わるクライム・サスペンスの映画は多い。たとえフィクションであっても、モラルのうえでも、治安維持のうえでも、悪事は成功しないというメッセージは大衆を安心させるのかもしれない。しかし、『ダーティー・コップ』のように、警官が悪事にかかわって、地獄の道を切り開いて自らを埋葬していく映画というのも珍しい。悪魔の誘惑に負けて欲望に狂ったあげく、自らが悪魔になって自滅する警官を演じて映画を成功に導いたのは、二人の性格俳優ニコラス・ケイジとイライジャ・ウッドの演技力と複雑なキャラクターである。特に『ロード・オブ・ザ・リング』や『ホビット』の子役出身であるウッドが、アイドルを脱皮して性格俳優の地位を獲得したことは、『ダーティ・コップ』を見れば明らかである。

        

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2016. July 27

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