ディスコ(清水)

『ディスコ』 原題Disco
製作作2019年/ 製作国:ノルウェー/言語:ノルウェー語、英語/95分/カラー/
スタッフ:監督&脚本:ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン/撮影:マリウス・マッツォヴ・グルブランセン/ 音楽:トマス・ヘッラン/ 美術:エレン・オーセング/
キャスト:ミリアム:ヨセフィン・フリーダ・ペターセン/ ヴアニ:シャスティ・オッデン・シェルダール/ ペール: ニコライ・クレーヴェ・ブロック/ ブリギッタ:アンドレア・ブライン・ホーヴィグ/ サミュエル:エスペン・クロウマン・ホイネル/ アーダ:フレデリッケ・ルスタ・ヘッレルー/ ケント:タリエ・シーヴェシェン/
HP:https://youtu.be/PlVxtcTa5uU?t=28


『ディスコ』―カルト宗教の功
                   清水 純子

 ノルウェーの新作『ディスコ』は女性監督ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェンと主演女優ヨセフィン・フリーダ・ペターセンが東京国際映画祭のインタビュー(2019年10月30日)に臨んだ。大輪の花のように華やかで、しかも知的雰囲気をふりまく。女優のペターセンはスクリーンで見る以上に美しく可憐で、やはり普通の人とは違うと見とれてしまう。そして二人とも流暢な英語を話した。国際的に認められる映画人になるには、英語は武器という以上に今や必需品なのだと改めて認識させられた。

★主題はダンスではなく宗教のあり方
 シーヴェシェン監督が明らかにしたように、この映画は、宗教が成長期の少女に及ぼす影響を描いたものである。タイトルが「ディスコ」なのは、19歳のヒロインのミリアムがフリースタイルディスコダンスの世界チャンピオンだからである。
 ミリアムは、キリスト教系カルト新興宗教のカリスマ教祖の義父を持つ。家族は義父の他に母と父違いの幼い妹である。一家は「フリーダム」信仰に身を捧げ、団結して布教に励んでいる。厳しいけれど愛情深い家族の元でミリアムは、幸福に平和に暮らしているように見える。美人でダンスの名手のミリアムは、一家ばかりでなく地域の期待の星である。
 しかし、ミリアムは、ダンスの練習の合間に幾度もトイレで嘔吐する。案の定ミリアムはダンス試合の最中に転倒して座りこんでしまう。健康を害しているのかというと、そうではない。ミリアムの不振は、体ではなく、心からきているらしい。神を讃える歌と踊りに余念のないミリアムだが、最近神に対する反発と疑念が抑えきれなくなってきた。それに神への愛と献身を説く両親は、夜も眠れないぐらい大声で夫婦喧嘩をする。赤字続きの教団は火の車、家計も行き詰まって、牧師の義父は妹を連れて家を出ると息巻く始末である。それに母はミリアムにはやさしいが、ミリアムの実の父のことをひた隠しにする。父は、姪への性的暴行のために処罰され、それが離婚の原因だったことがわかる。ミリアムは、父母の偽善性と宗教への不信から、心のバランスを崩し、ダンスにも集中できなくなっていった。

★神の必要性と教との距離の取り方
 人間は弱いものである。一人では生きられない。しかも人間の生命には限りがある。それだから人は自分以外の永遠に存続しうる強者を信じ、頼り、全能の存在である神の庇護を求める気分になる。それだからいつの世にも、世界中どこでもそれぞれの神が存在する。人間にとって必要な存在である神を否定すべきではないし、神を信じる者を軽んじてはいけない。
 でも、この映画に示されているように、神への信仰もほどほどにしておかないと、人間自身が破壊されてしまうこともある。完全な人格の神の下にひざまずいて、自分の過ちを悔い改め、反省する習慣は尊いが、罪人だの、不信心者だの顔を見るたびに責められていたのでは、普通の人間は気がおかしくなる。特にミリアムのような創造性を発揮しなければならないアーティストには、自由に考え、表現する幅を狭めることになりかねない。芸術性と信仰心の間に葛藤が起きて当然である。
 ミリアムは気分転換のために、キリスト教のキャンプに参加して、少し平静を取り戻したようである。若いミリアムの今後は示されていない。ミリアムは、宗教を捨てて芸術を選ぶのか? 芸術はそこそこにして宗教に入れ込むのか?
あるいは、宗教と芸術の折り合いをつけて平衡感覚を得て、カルト宗教フリーダムのダンサーとして返り咲くのか? 結論は出ていない。

★苦笑を禁じ得ないカルト宗教の実態
 『ディスコ』を発表すると、シーヴェシェン監督はキリスト教系団体や信者から手厳しい攻撃を受けたと言う。国民の多くがキリスト教を信仰するノルウェーにおいては当然の反応であろう。キリスト教にも様々な宗派があるが、『ディスコ』はカルト系の宗派に焦点を当てたため、秘教的な儀式、カリスマ的指導者への熱狂的崇拝が目を引く。特に「聖霊のバプテスマ」を受け、エクスタシー状態になるとされるプロテスタントの「ペンテコステ派」を参考にしているために、信者は前近代的なヒステリー状態になる異様な雰囲気がみられる。キャンプで、袋に口を当てて息を吸い込み続け、二酸化炭素中毒状態になって若い信者が次々と気絶する場面には苦笑を禁じ得ない。

稀に見る美しいカルト映画
 しかし『ディスコ』は、カルト宗教の恥部を扱っているにもかかわらず、不気味な醜さやグロテスクは全く感じられず、爽やかですらある。新興宗教サイエントロジー創始者をモデルにしたホアキン・フェニックス主演の『ザ・マスター』のエログロのおどろおどろしさと比較すると、『ディスコ』がいかに美しい映画なのかがよくわかる。『ザ・マスター』は、あのえぐさが魅力であり、好む観客も多くいると思うが、万人向きではない。しかし『ディスコ』に拒否反応を示す観客は少ないだろう。特に宗教に過剰な思い入れを持たない国民であるとされる日本人には受家入れやすい映画である。
 ミリアムがブルーグリーンの目が覚めるような美しい海水に、長い金色の髪をゆらめかせながら、うつ伏せに浮いている最初のシーンから映像美は明らかである。ミリアムを中心に据えた華麗でモダンなテンポの速いディスコ・ダンスのシーンには観客の心も躍る。
 カルト宗教の功罪を『ディスコ』ほど美しく、不快感なく描きえた映画は例をみない。映画は、メッセージを持つべきだが、その内容を観客に咀嚼しやすく、楽しませて伝えるべきである。その意味で『ディスコ』は映画作りのお手本を示していると言ってよい。女性監督と主演女優の共に美しく爽やかで知的な女性二人が、息の合ったスクラムを組んで製作に臨んだ成果であろう。

©2019 J. Shimizu. All Rights Reserved. 5November. 2019 

©Mer Film


記者会見に臨むヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン監督とミリアム役ヨセフィン・フリーダ・ペターセン

©2019 TIFF

(下二枚は清水純子撮影)

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