ダウンサイズ(横田)

(C)2017 Paramount Pictures. All rights reserved.

原題 Downsizing/ 製作年 2017年/ 製作国 アメリカ/ 配給東和ピクチャーズ/ 上映時間135分/ 映倫区分G/ オフィシャルサイト/
スタッフ: 監督アレクサンダー・ペイン/ 製作マーク・ジョンソン、 アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー/ 製作総指揮ミーガン・エリソン/ キャスト: マット・デイモン: ポール・サフラネック /クリストフ・ワルツ/ ホン・チャウ/ クリステン・ウィグオードリー/ 配給:東和ピクチャーズ/
2018年3月2日 TOHOシネマズシャンテ 他全国ロードショー

 

『ダウンサイズ』――”奇抜な発想”がもたらした意外な展開


                横田 安正

 時代は近未来、ノルウェイの科学者ヨルゲン・アスビョルンセン博士(ロルフ・ラスゴード)が人間を12-13cmに縮小する技術を完成させた。爆発的な人口増加、気候変動による資源の枯渇という問題を抱える地球人にとっては朗報であった。また縮小人間になればそれまで所有していた財産価値は何千倍に増えることになる。ダウンサイズしてリッチになろうという人たちが急増し、世界中で“小人のコミューニティ”が出現した。

 ネブラスカ州オマハの片田舎にすむ夫婦、ポール・サフラネック(マット・ディモン)とオードリー(クリステン・ヴィヴ)は本気でダウンサイズ手術を受けることを考えていた。ポールは医者になることが夢であったが挫折し、現在はある医療コンサルタント会社に勤めている。妻のオードリーはもっと大きな家が欲しかったが、ポールの稼ぎでは無理な相談だった。しかし小人になれば全ての財産が劇的に膨れ上がり、一挙に豊かな生活が手に入るのである。

 ネブラスカのオマハはペイン監督の生地である。彼はこの地方に生まれ育ったうだつの上がらない白人層を描くのが得意とされるが、ポールもそういう人物に入る。ファミリーネームのサフラネックは冒頭の「サ」にアクセントのあるのだが、人々は「ラ」にアクセントを置いて発音する。その度に彼は正しいアクセントを教えなければならないのだが、こういう演出で監督はポールが廻りの人々にとってどうでもいい人間であることを暗示するのである。

 ダウンサイズ手術が始まった。このシーンは面白いディテールが満載である。金歯は全て抜かれる。そうしないと縮小の過程で顔が破裂してしまうからだ。また,髪の毛、眉毛、陰毛など全ての毛は剃られてしまう。手術が終わり、手術室の扉が開くと屈強な男どもの裸の肉体はパンダの赤ちゃんにも満たない肉片に変容している。大柄な看護婦たちが肉片をヘラのような物を使ってかき集める。観客からはあっと云う驚きと笑いが起こる。しかし、ホットしたのも束の間、ポールは妻オードリーが手術直前に逃亡したことを知らされる。手術を拒否したのだ。縮小した人間は元には戻れない。愛していた妻に裏切られ怒り狂い、呆然とするしかないポール。

 ここまで来ると観客は当然ながら、ある種の毒を含んだ“風刺コメディ”を期待するであろう。しかし、この期待は大きく裏切られることになる。アレキサンダー・ペイン監督はメチャメチャに大真面目なのだ。ここから“人類滅亡の危機”という大問題に突き進むことを誰が予想できようか?

 小人たちのコミュニティ“レジャーランド”の豪奢な邸宅に住むポールはそこで色々な人間と遭遇する。善人も悪人もいる。上階に住むパーティ魔でセルビア人のドゥシャン(クリストフ・ヴァルツ好演)はキューバの高級葉巻を細分して小人たちに高値で売りつけ大金を掴んだ。元船長のコンラッド(ウド・キア好演)は麻薬の売買で儲けている。そのうちポールはヴェトナムから送られて来た片足の無い女性ノク・ラン・トラン(ホン・チャウ好演)に出会う。彼女を通し、ポールは小人のコミュニティにも貧富の格差があり、スラム街があることを知った。ヴェトナムで反政府の闘士だったというノクはスラムで貧しい人たちを助けることに命をかけていた。ブロークンな英語を操り、言動は荒いが天使のハートの持ち主である。(ホン・チャウの演技は異彩を放つ)。ポールの人生は彼女の出現で根本的に変わって行く。ポールがノクに従い、傾倒していく姿は“アメリカ人がヴェトナム人に対して抱く原罪意識の顕れ”のようにも思えるほどだ。(ヴェトナム戦争で米軍は大量の枯葉剤をまき国土を汚し、多くの奇形児を生むきっかけを作った)。

 ヨルゲン・アスビョルンセン博士が興したノルウェイのコロニーから緊急物資の輸送を要請する報せが届いた。博士たちは人類の滅亡を救うため、地下に大規模な自給自足の基地建設を目論んでいたのだ。ポールはデゥシャンとコンラッドと共にノルウェイ行きを決心する。ノクはポールに対し強引に同行を迫った。一行は物資を満載した2隻の船を操り出発する。

 ノルウェイの美しい湖畔にコロニーはあった。博士たちは互いに助け合い、慈しみ合う理想郷を実現しつつあった。遠く離れたノルウェイの地でポールとノクはやっと結ばれる。博士の人間に対する想いに感銘を受けたポールは彼らと共に地下基地に移り住むことを決心するのだが、ノクたちは地表に残り人類救済のため闘うという。ポールの決心はどうなるのか?

 このようにペイン監督はポールの人間としての生きがいを見つめるだけで無く、最終的には人類の消滅という大問題に正面切って挑むのである。深刻な人類史に直面した小人たちが挑む壮大な“決死のエクソダス”に観客は付き合うことになる。なにしろこの映画は2時間15分に及ぶ大作なのだ。

 「人間を縮小したらどうなるか?」という発想はペイン監督と片腕の脚本家ジム・テイラーと彼の弟でアシスタント・プロデューサーのダグラス・テイラーが考え出したというが、問題はその発想をペイン監督がどういうストーリーに展開したかということである。この映画の成否はこの一点にかかっている。まずペイン監督が冒頭での大方の予想を裏切って“大真面目な叙事詩”を創り上げたことを可(よし)とするか否(いな)とするかである。“人間縮小”という科学的大ブレイクスルーを取り上げた以上、“人類滅亡”という主題は決して誇大妄想とは云えない、という意見もあるに違いない。一方で、“人間縮小”から“人類滅亡”まで大真面目に持ってゆくのは飛躍し過ぎると思う観客も多いことであろう。

 筆者の意見は後者である。人類滅亡に飛躍するのは“続編”のため取っておいた方が良い。人類の3%を占める小人の人間模様を描いているが、残り97%の普通サイズの人間には全く触れていない。ポールの前妻を含む“健常者(普通サイズの人間)”との軋轢・葛藤は無かったのか?政治・経済・人権・文化・安全保証など汎ゆる分野で問題が起こることは誰にでも容易に想像できる。それでこそ鋭い風刺、笑い、人間の不条理、愛の切なさなどがより豊かに描写できたのでは無いか?ポールとノクの恋もこの次元における方がより身近な切実感が出て来よう。人類滅亡という大命題を前にした時、2人の恋の重みは残念ながら薄れてしまうのである。

 結論を言えば、“人間縮小”という発想には脱帽だが、望むべくは、この映画で描写したストーリーの“前の段階”を見たかったということである。
 一方、小人たちの世界を違和感なく映像化した撮影・美術スタッフの労力と高度な技術は見事というしかない。

©2018 A. Yokota. All Rights Reserved. 22 Jan 2018

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