エクソダス

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『エクソダス:神と王』 原題Exodus: Gods and Kings

配給 20世紀フォックス映画  監督 リドリー・スコット 製作 ピーター・チャーニン、リドリー・スコット、ジェンノ・トッピングマーク・ホフマン
出演: クリスチャン・ベール(モーゼ)/ ジョエル・エドガートン(ラムセス) / ジョン・タトゥーロ(ジセティ王)/ アーロン・ポール(ヨシュア) / ベン・メンデルソーン(ヘゲップ)/シガニー・ウィーバー(トゥーヤ)/ベン・キングズレー(ヌン)
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2015年1月30日 よりTOHOシネマズ日劇ほかにて公開

エクソダス:神と王』ーヘブライ人の自由への闘争                 

清水 純子

『エクソダス:神と王』は、400年の間、エジプト人の奴隷として酷使されていたヘブライ人(古代イスラエルに住んでいた人々)40万人を率いてエジプト脱出を成功させたモーゼの物語である。
時は紀元前1300年、つまりイエス・キリストが誕生する1300年前、場所はラムセス二世統治下の栄華を誇るエジプトである。

映画は、モーゼ(クリスチャン・ベール)が王宮で王子ラムセス(ジョエル・エドガートン)と共に成人し、仲よく王に仕える場面から始まる。
モーゼは、前途有望なはつらつとしたエジプトの青年として登場する。
旧約聖書によれば、ヘブライ人の人口増加を怖れたファラオ(古代エジプトの君主)によってヘブライの男児は殺害されたが、
モーゼの姉ミリアムは、赤子のモーゼをパピルスの籠に乗せて流し、水浴びをしていたエジプト王女に拾わせた。
映画は、赤子の籠が川に浮かぶ有名なシーンを省き、いきなりエジプトの王子として成人したモーゼをスクリーンに映し出す。

モーゼにヘブライ人であることを告げて民族意識を覚醒させるのは、ヘブライの長老ヌン(ベン・キングズレー)である。
モーゼは同胞への愛からエジプト兵士を殺害したために王宮を去り、放浪の末、遊牧民のヘブライ娘と結ばれるが、シナイ山の山頂で神のお告げによってヘブライの民を約束の地カナンに導く使命を負わされる。
モーゼの前に顕れた神は、疑いもなく実在する者としての「在る者」(“I AM THAT I AM”)つまりヤハウェ(YHWH)である。

それまでの自然神多神教信仰を排したヤハウェは、一神教の人格神としてヘブライ人と契約を結び、ヘブライ人を庇護する存在として顕現された。
モーゼの十戒は、多神教の遊牧民が一神教の定住民へ転換する画期的事件であった。

映画では神は幼い少年の姿で現れ、モーゼは「使いの者ではなく、神ご自身と直接お話ししたい」と不満をもらすが、神は人間の前に様々な姿で顕示することを表現しているのであろう。
神の命を受けてモーゼは、ヘブライ人の自由への闘争の指導者になる決意をかためる。

しかしエジプトが貴重な労働力であるヘブライ人奴隷を簡単に手放すはずはない。ヘブライの神は十の災いナイル川の水が、1.赤い血に変わる、2.カエルの異常発生、3. ブヨの異常発生、4. アブの異常発生、5. 疫病による家畜の死、6.腫物の流行、7. 雹(ひょう)による作物の全滅、8.イナゴの異常発生、9.エジプト中が暗闇に、10.初子殺戮)を引き起こしてモーゼを助ける。
十の災いは、3D技術の威力を発揮したスクリーンによって臨場感あふれる迫力で観客席に押し寄せる。
やむことのない災害に根負けしたファラオは、ひとたびヘブライ人を解放するが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とやら、再び欲に駆られ、大群を率いてモーゼたちを追いかけてくる。

ここでまたモーゼの杖による紅海の海水の満ち引きの有名な奇跡のシーンが、3Dによって画面いっぱいに広がる。
神はヘブライ人を通すために引かせた海水をエジプトの軍勢にかぶせて滅亡させた。
その後モーゼは40日間シナイ山に籠り、人間が犯してはいけない十の戒めを神から授かり、石版に記す。
その時神と結んだ契約が「十戒」(1.あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
2.あなたはいかなる像も造ってはならない。
3.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4.安息日を心に留め、これを聖別せよ。5.あなたの父母を敬え。6.殺してはならない。7.姦淫してはならない。8.盗んではならない。9.隣人に関して偽証してはならない。10.隣人のものを一切欲してはならない)である。
モーゼはエクソダス(出エジプト)を達成し、ヘブライの神の約束はひとまず果たされた。

ユダヤ系の人々の「約束の地」を求める苦悩と自由への闘争は現在も継続中だが、映画はカナンの地を目前に40年の放浪生活を経て老いたモーゼの姿をとらえて終わる。

『エクソダス』は聖書になじみのない日本人には異文化体験であるが、欧米やイスラエルの人々にとっては身近な物語であるばかりでなく史実でもあり、彼らの文明の根幹をなすイデオロギーである。
特にユダヤ系の人々が数多く働くハリウッドでは、聖書に基づく話は頻繁に映画化される。
モーゼに関する映画だけでもチャールトン・ヘストン主演の『十戒』(1956)、ウォルト・ディズニーのアニメーション『プリンス・オブ・エジプト』(1998)、ベン・キングズレー主演の『十戒』(1996)、ダグレー・スコット主演の『キング・オブ・アーク』(2005)が挙げられる。

聖書の物語は欧米ではあまりに身近で古典的であるために、映画化に際しては奇をてらった極端な解釈によって観客の心をとらえようとする傾向があるが、リドリー・スコット監督の『エクソダス:神と王』は、聖書に忠実にオーソドックスに
まとめながら、退屈させることがなくかつ新鮮である。
3D技術を駆使した映像上の工夫に加えて、主演のクリスチャン・ベールの魅力と演技力も貢献しているためであろう。
『エクソダス』は、宗教映画としての側面を持つが、抹香(まっこう)くさくなく、スぺクタクル・アドベンチャーとして楽しむこともできる。
ハリウッド映画は、幅広い観客層を意識して作られるため、大衆性と専門性を兼ね備えた二層仕立てになっているからである。

ただし聖書になじみのない日本の観客が『エクソダス』を見る際に注意することがある。
それはこの映画の表向きの娯楽作品としての体裁にとらわれすぎてはいけないということである。
『エクソダス』は、神と人間との関係を描いているので、理屈では理解不能な現象が多く現れる。
神がヘブライ人救済のために起こされた「十の災い」やモーゼの杖による紅海での潮の満ち引きは、
異常な自然現象として理性的に解釈するのは無理である。
ヘブライ人の守護神としてのヤハウェが行った奇跡だと理解すべきである。

聖書の物語は、ヘブライ人の歴史であると同時に神話でもある。
「神を無条件に受け入れて信じる」ということは、ユダヤ教、そしてそこから派生したキリスト教、イスラム教の基本的姿勢であり、彼らの文化および文明の根源をなしている。
皮肉なことに今日の国際的紛争の根は、モーゼ以来の唯一絶対神による一神教信仰にある、つまり宗教的不寛容ゆえだと考えることもできる。
『エクソダス:神と王』のサブタイトルの「神」と「王」は、英語では “s” がついて複数表示である。
この“s” は、エジプト人もヘブライ人もそれぞれ自分たちの神と王をいただき、それゆえに相容れることなく殺し合ったことを示唆する。
ヘブライ人の「自由への闘争」を可能にしたのは唯一絶対神信仰の成立である。

しかし、モーゼはこれらの異なる宗教を信じる者が共通に讃える偉大な人物として描かれている。
この映画ではC.ヘストンの『十戒』同様に「ユダヤ(の)」(Jew, Jewish)という表現は聞かれず、「ヘブライ(の)」(Hebrew)が使用されている。
ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人の区別にはいく通りもの定義の仕方がある――定義1.「ヘブライ人」は古代イスラエルに住んでいた人、「ユダヤ人」は民族をさすのではなく、ユダヤ教を信仰している人、「イスラエル人」はイスラエル国籍を持つ人(Yahoo 知恵袋)、定義2. 「ヘブライ人」は、紀元前2000年から紀元前1235年までイスラエルで遊牧民族であった民、「イスラエル人」は紀元前1235年から紀元前1210年まで一神教を信仰して定住する民、「ユダヤ人」は紀元前586年以降世界各地に離散するようになってからの民(白取36)がある。

映画『エクソダス:神と王』を見た観客は、ヘブライ人の自由への闘争が現在の複雑な中東情勢の発端の一つをなすことに
思いをめぐらすことであろう。

参考文献:
Yahoo Japan 知恵袋 「ヘブライ人=イスラエル人=ユダヤ人 という考え方は合っていますか?」23 Jan. 2015  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413547204 .
白取晴彦 『この一冊で「聖書」がわかる』 三笠書房 

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