フューリー

『フューリー 』原題 Fury
スタッフ:
監督: デビッド・エアー
製作: ビル・ブロック、デビッド・エアー他
キャスト; 
ブラッド・ピット 、シャイア・ラブーフ 、ローガン・ラーマン
マイケル・ペーニャ 、ジョン・バーンサル
上演時間: 2時間15分   製作年2014年  製作国:アメリカ
公式HP: http://fury-movie.jp/
配給:KADOKAWA
公開日:2014年 11月28日(金)、TOHOシネマズ日劇他全国超拡大ロードショー

(C)Norman Licensing, LLC 2014

『フューリー』ーー戦車フューリーが再生産する「憎悪」
                            
                          清水 純子

映画のタイトル『フューリー』(原題Fury ) は「激しい怒り、憎悪、戦争などの激しさ」を意味するが、この映画ではドイツに進軍する連合軍の戦車の名前である。戦車「フューリー」の名づけ親は、ウォー・ダディの異名で呼ばれた百戦錬磨の勇士、ドン・コリアー軍曹(ブラッド・ピット)である。

戦車「フューリー」は、アフリカ戦線からフランス、ベルギーで活躍した後、1945年4月第二次世界大戦のヨーロッパ戦線終結の4週間前、連合軍のドイツ侵攻時の劇的な地上戦に使用された。
敗戦色が濃くなったナチス・ドイツ軍が切り札とするのは、火力と装甲を強化した重戦車ティーガー、対抗する連合軍の戦車は、アメリカ製のシャーマン戦車である。

ティーガーは一台でシャーマン4,5台を相手にできる圧倒的有利を誇り、連合軍の脅威になっていた。
しかし、怪物として恐れられたティーガ―には重量過多なために部品の消耗が激しく、
故障、加熱や火災を起こしやすいうえに整備に多大な時間と労力を要する欠点があった。
だがそれ以上に、アメリカ製のシャーマンM4中戦車の戦闘能力は高いものではなかった。
そのうえシャーマンは炎上しやすく、ドイツ軍から「アメリカのストーブ」と嘲られていた。
この映画は、イギリスのボービントン博物館から借り出したティーガ―戦車が走行するのを初めて映像化した。

ドイツ軍の優秀なティーガ―戦車によって、連合軍の脆弱なシャーマン戦車は次々と破壊される。
最後に残ったのは、ウォー・ダディ指揮下の5名の兵士のみだった。
この一台のシャーマン戦車に乗った5人の兵士は、偶然出くわした300名のドイツ軍と勇敢に戦ってドイツ軍の進撃を阻止する。
だが堅い絆で結ばれた兵士たちは次々と命を落し、生きのびるのは18歳の新兵ノーマン・エリソン(ローガン・ラーマン)だけである。
命知らずのコリアー軍曹も戦車内に投げ込まれた砲弾によって爆死する。
ノーマンは、最後まで部下を気づかうコリアーによって床下ハッチから脱出して車輪の下に隠れる。
やがて助けにやってきた赤十字軍に「英雄」と賞賛されるノーマン。

ノーマンは、事務担当のタイピストで戦闘経験がなく、銃の引き金すら引けなかった。
「お前が奴らを殺す、さもなければ奴らがおまえを殺す」とウォー・ダディに諭されてもピンとこないノーマン。
だが、ノーマンの優柔不断が指揮官の死を招く。
ヒトラー青少年団の子供によって指揮官は火だるまになり、悶絶して銃で頭を打ち抜く。
ウォー・ダディに「おまえのせいだ」と殴られてノーマンは変わる――戦車の中からドイツ兵をゲーム感覚で撃ち殺し「楽しかった」というノーマン。
戦車内にこびりついた兵士の肉片を掃除させられ、血の匂いに嘔吐したノーマンは、
凄惨な戦場ではモラルもルールも通用しないことを体得したのである。敵を倒すことのみが自分を守る、
やらなければやられる究極の弱肉強食の世界であることをノーマンは知った。
戦場では仲間を殺された憎悪だけが自分たちを守る楯になりうる。

生き残ったノーマンは、戦争によるフユーリー(憎悪)だけを抱き続けるのか?
それとも戦争の悲惨さの生き証人として平和を叫ぶのか?
仲間を殺されれば憎悪が生まれ、その憎悪が敵を倒し、そのことが新たなる憎悪を生み、さらなる報復を呼び、絶えることのない悪しき連鎖が永続する。戦争の仕組みは、憎悪の連鎖なのだが、途中で断ち切るのはむずかしい。
そのうえ戦争には個人間の憎悪以前に、もっと大きな枠組みとしての国の利益や思惑が絡んでいる。

戦争の英雄は究極の人殺しである。味方であれ、敵であれ、人間同士だからである。『フューリー』は、勧善懲悪の英雄造詣型の戦争アクションではない。
また兵士の士気高揚のためのプロパガンダ映画でもない。
『フューリー』は、戦争映画だが、敵も味方も同じ人間だという認識のもとに描かれている。
敵国のドイツ人も同じく苦しんだことは、みせしめに街中につるされたドイツ人戦争反対者の遺体によって示される。
ノーマンが一度かぎりの契りを結ぶドイツ娘は、レイプによってではなく、恋愛感情の末に自主的に行う。
うら若いドイツ兵が戦車の下で降参するノーマンを見つけたようだが、何もせずに立ち去る。
彼は何を思ったのか? とにかく彼のおかげでノーマンは生きた。 
『フューリー』は戦争の憎悪を訴えるが、同時に戦争においても人間は人間でありうることを示す。
『フューリー』は、第二次世界大戦を舞台にしているが、時代と国境を越えて戦争の悲惨さを訴え、極限状況における生と死を冷徹にみつめている。
『フューリー』は、グローバル化によって緊迫の度合いを強める世界情勢に警告を与える映画でもある。

Copyright © J. Shimizu All Rights Reserved.

    (C) Norman Licensing, LLC 2014

50音別頁にもどる