ふたりのJ・T・リロイ(清水)


『ふたりのJ・T・リロイ―ベストセラー作家の裏の裏』
原題 Jeremiah Terminator LeRoy/ 製作年:2018年/ 製作国:アメリカ/
配給:ポニーキャニオン/ 上映時間:108分/ PG12/
2020年2月14日シネマカリテ他にて公開
スタッフ:監督ジャスティン・ケリー/ 制作パトリック・ウォームズリー他/ 脚本 ジャスティン・ケリー / 撮影 ボビー・ブコウスキー / 美術 ジャン=アンドレ・カリエール/ 衣装 エイバリー・プルーズ / 編集 アーロン・I・バトラー/ キャスト: サヴァンナ--クリステン・スチュワート/ ローラ--ローラ・ダーン/ ジェフ--ジム・スタージェス/ エヴァ--ダイアン・クルーガー/サシャ--コートニー・ラブ/                                                        
『ふたりのJ・T・リロイ―ベストセラー作家の裏の裏』―実話仕立てのフィクションがフィクションに復讐された実話
                        清水 純子

★J.T.リロイは誰? 彼の正体は?
 美少年J.T.リロイは、アーシア・アルジェント主演の映画『サラ、いつわりの祈り』の原作者として知られていた。シャイなJ.T.リロイは、マスコミの前ではいつも長い金髪のかつらと帽子、大きなサングラスで顔を隠し、カメラを避けるように同行するローラの後ろに隠れて言葉少なにインタビューに口ごもりながら答えていた。J.T.リロイの奇行は、天才ゆえに許され、その美貌とアンニュイな両性具有の雰囲気によって時代の寵児に祭り上げられた。 

 ところが『サラ、いつわりの祈り』は、J.T.リロイが書いたのではなく、J.T.リロイなる人物はもともと存在しなかった。『サラ、いつわりの祈り』を始めとするベストセラー小説は、ソーシャルワーカーの女性ローラ・アルバートが書いたのだった。ローラは、J.T.リロイというペンネームを使って執筆活動をしたが、サラ・シリーズがベストセラーになり、マスコミの執拗な要請によって、J.T.リロイなる人物の肉体を捏造せざるを得ない状況に追い込まれていた。ローラは、若くなく、容姿に引け目を感じていたため、自分の代りにパートナーの妹サヴァンナ・クヌープにJ.T.リロイ役を演じてもらうことにした。サヴァンナは、細身でボーイッシュな女の子であったから美少年への変装を難なくこなした。とはいえ、女の子のサヴァンナは、胸にさらしを巻いて凹凸を隠し、声を低くして苦心して男っぽい雰囲気を作り出した。サヴァンナは、作者ではないので、周到な準備によって原作の文章を覚え、人前では常にローラの庇護と監視の元で行動した。
 ローラとサヴァンナの見事な二人三脚が崩れ始めるのは、映画化決定以後である。男装したサヴァンナは次第に本物の男の気分になって、映画のサラ役と監督を狙う美しいエヴァに惚れてセックスまでする。しかし奔放なエヴァはサヴァンナを裏切って男友達といちゃつき、傷ついたサヴァンナは警戒を怠ってマスコミに正体を暴かれる。そもそもJ.T.リロイなる人物は存在せず、ローラとサヴァンナの合体した架空の人物であったことが記事になってしまう。

★覆面作家からゴーストライターへ
 本名を出すと本業に差し支える、危険が及ぶ、プライバシーや名誉を守るためにペンネームを使う人はいくらでもいる。ローラは、J.T.リロイのペンネームで執筆して、J.T.リロイの正体を明かさない覆面作家(素性やプロフィールをほとんど明らかにしない作家)でい続ければ話はややこしくならなかった。
 J.T.リロイという作家が存在せず、実は二人の女の連合体であることが暴露され、大スキャンダルになったということは逆に驚きである。マスコミを欺き続けた罪だというのか? 確かに、自分で書いたと言って実は嘘だった場合、イメージダウンを呼び、ファンへの裏切り行為だということはできる。でも、学生が試験としてあるいは宿題に出すレポートをネットもしくは本からコピペしたり、他人に書いてもらって自分で書いたと偽るのとは違う状況である。
 世に陰の作家、あるいは代筆者と呼ばれるゴーストライターはたくさん存在する。ある人名義の原稿や著作をその人に代わって執筆することは、違法ではない。たとえ秘密裡にゴーストライトが行われたとしても、当事者同志が承知していれば問題にならない。政治家、芸能人、スポーツ選手、財界人の話や体験談を基にしてプロの代筆家(ゴーストライター)が一般読者用にわかりやすく書き、書物という形で商品化するのはごく一般的に行われていることであり、社会的背信行為ではない。その意味で、ローラが執筆して、サヴァンナの肉体を借りてマスコミに顔を出したとしてもおかしなことではない。ローラがサヴァンナの肉体を借りてJ.T.リロイという架空の人物を表現せざるを得なかったのは、マスコミのあくことなき好奇心と執拗な正体開示への要求のためであった。

★マスメディアの功罪
 ローラがJ.T.リロイを覆面作家のまゝにおいておけなかったのは、『サラ』が自伝的小説であたったからだが、なんといっても素顔公開のマスコミの圧力に抗しきれなかったためである。ローラが自分の小説のイメージを壊さないために、サヴァンナを替え玉にしてマスコミに与えたとしても、それは読者の夢を壊さないためでもあった。J.T.リロイの姿を露わにすることを切に求めたマスコミが、再び介入してJ.T.リロイの変装を見破って読者の夢を壊した形になった。ローラがJ.T.リロイを覆面作家にしておけなかったのもマスコミのせい、J.T. リロイにゴーストライターがいることがばれてファンの夢が壊れたのもマスコミがでしゃばったためである。マスコミとは本来人が知らないことをスクープするのが仕事だからしかたがないのだが、そっとしておいてやればいいものを…と思うことも多い。
 しかし、マスメディアはうるさい反面、スポットライトを浴びた人を有頂天にさせる。 少女サヴァンナが数年間少年の姿になってJ. T. リロイを演じ続けたのは、マスメディアの注目に虚栄心を煽られて、自分の虚像に心地よく酔ったためである。マスコミが作り上げた虚像はマスコミによって砕かれたのだが、その時、サヴァンナとローラは本当の意味で覚醒する。ローラは、自分を偽ることなく、自信をもって作家として再デビューする。ローラと別れたサヴァンナも作家魂に目覚めて厳しい道を歩む決心をするからである。

★物語を複雑にする性別変更
 『ふたりのJ・T・リロイ』 を複雑にしているのは、ゴーストライター問題だけではない。
実在すると思っていた人物が虚像であり、そのうえふたりの女性の合体した人格であったという点はサイコホラー並みのスリルだが、さらにややこしいことに、性別の変更が行われたからである。幻の人物J.T.リロイは少年だが、少女的要素も持つ性的境界線上の人物であるらしい。J.T.リロイに扮するサヴァンナは少女であり、男の恋人を持つが、J.T.リロイ役にはまっていくうちに男性としての側面を成長させて女の恋人とセックスするに至る。サヴァンナは架空の少年役を演じているうちに、自己の性的アイデンティティが揺らぎ出すのである。そしてサヴァンナを演じるクリステン・スチュワートの両性具有の美貌は、この美人女優自身がバイセクシュアルであることも思い起させる。
 かくも現代的ナウい内容を持つ映画に、頭の固い御仁は、頭が混乱してストーリーの展開についていけなくなるかもしれない。しかし、悲鳴を上げずにこういう映画も理解するよう努めることが頭の体操になる。この映画に拒絶反応を起こす人は感性を鍛錬した方がいいのである。
 『ふたりのJ・T・リロイ』は、実話仕立てのフィクション(虚構)にさらなるフィクション(虚構)を重ねた欺瞞をマスメディアに暴かれたという実話である。現実と虚構が入り乱れる超今日的な『二人のJ・T・リロイ』は、老若男女を問わず、是非とも見るべき、おすすめの映画である。

©2020 J. Shimizu. All Rights Reserved. 23 Jan. 


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