ゲティ家の身代金(清水)

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原題All the Money in the World/ 製作年 2017年/ 製作国アメリカ/
配給 KADOKAWA/上映時間 133分/
オフィシャルサイト

スタッフ: 監督 リドリー・スコット/ 製作 ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス、クエンティン・カーティ
 ス、クリス・クラーク/
キャスト: ミシェル・ウィリアムズ : アビゲイル(ゲイル)・ハリス / クリストファー・ プラマー:
 ジャン・ポール・ゲティ/ マーク・ウォールバーグ: フレッチャー・チェイス/ ロマン・デュリス: チンクアンタ /
  ティモシー・ハットン: オズワルド・ヒンジ/

5月25日(金)よりTOHOシネマズ新宿その他にてロードショー



『ゲティ家の身代金』――世界一の富豪が支払う代償

                       清水 純子

大金持ちの祖父ジャン・ポール・ゲティ
 『ゲティ家の身代金』は、実際に起きた大富豪の孫の有名な誘拐事件の映画化である。1973年7月10日ローマのファルネーゼ広場で、17歳のジョン・ポール・ゲティ3世(以後ポール)が誘拐された。ポールの祖父は、世界一の金持ちであるアメリカの石油王ジャン・ポール・ゲティ(以後ゲティ)である。誘拐の目的は、当然祖父の金である。大富豪であると同時に大いなるケチである祖父ゲティは、1,700万ドルという途方もない額の身代金支払いを拒否する。理由はポールのために身代金を払ったら、14人いる孫全員が誘拐されかねないからということである。あせったギャングは要求額を下げていくが、祖父は高価な絵画を買い求めてもギャングの要求には応じない。映画は、遊び人で麻薬中毒のポールの父が、祖父の金を騙し取るために狂言誘拐を画策したと疑われたとする。
 長引く交渉に嫌気がさしたギャングは、ポールを大物マフィアに売り渡すが、それでもらちがあかない。ついにマフィアは、ポールの片耳を切り落として脅迫状と共に送る。離婚後、ポールら子供たちを引き取っていた母のアビゲイル・ウィリアムズは祖父に懇願する。祖父ゲティは、節税を認められた金額までだったら支払うと譲らない。孫の命の危機を秘書が知らせても、株式の動向に余念がない祖父は動じない。お抱え弁護士のチェイスがあきれて「どれだけもうければ気がすむのですか?」と聞くと、「もっと、もっとだよ」と平気で答える。ポールを見殺しにすることができない母アビゲイルは、マスコミの前で一芝居うつ。自身はまったくお金がないのに、ゲテ
ィ家は犯人の要求をのむことにしたと発表する。嫁に追い込まれたゲティは、しぶしぶ支払いに応じる。ポールは、マフィアの追手をまいて、母の元に戻る。聖母子の絵を抱きしめて亡くなった祖父の後釜には、母アビゲイルが子供たちの監督者として就任する。映画はハッピーエンドで終わる。

祖父ゲティの尋常でない?倹約ぶり   
 映画内の祖父ゲティは、大富豪であるのと同じほど、つまりものすごく、節約家であることが強調されている。使い切れないほどお金を持っているのに、ゲティはホテルに長逗留する際には、高いルームサービスを使うのが嫌で下着を自分でバスルームで洗う。結婚していた頃のポールの両親が、アメリカからイタリアへと祖父を頼って行くと、豪華なホテルの一室で祖父は洗い立ての真っ白な下着が干された中に埋もれて暮らしていた。
 部屋に飾ってある“priceless”「値のつけられないほど貴重な」古代彫刻を祖父は気前えよく孫のポールに与えるーー「どんなに高価なものでも値がつけられないものはないんだ、ものには必ず値段というものがある」、「今ではとてつもなく貴重なものだが、私は昔これを値切って買った、買う時は必ず安くするよう交渉するものだ」と商売のKnow-Howを教えるのにいとまがない。嫁のアビゲイルはいたく感激した様子である。ポールの身代金が払えず困ったアビゲイルは、ポールの部屋に大切に保管されたこの彫刻をサザビーの古美術商に売りに行く。値がつかないほど高価なはずのこの古代彫刻は、おみやげもの品店で10ドル前後で売られている偽物であった。
 極めつけなのは、孫の命と引き換えでも自分の金は減らしたくない、とゲティが破廉恥にも公然と言い張るところである。普通の神経の人間は、脅迫状が届いた時点で動揺して犯人の言いなりになってしまうものだが、ゲティは冷静を通り超して冷淡に割り切る。

ゲティは救いがたい吝嗇か?
 映画は、ゲティを吝嗇であるとして非難してはいない。ゲティの冷たく見える、聞こえる所作は、ゲティが大金持ちであるにもかかわらず、普通の庶民感覚を持った人物であり、ゲティの堅実な倹約精神の哲学を表す。ゲティをけちだと見るのは、ゲティを大金持ちにふさわしい態度という固定観念の枠組み、あるいは富豪に期待する金のばらまき方という公式に我々庶民が無理やりはめ込んだうえでの評価なのではないか? 常に金欠病にあえいでいる庶民にとって、ホテルの自室で下着を手洗いして干すことは、普通の行動パターンである。またおみやげ物品店で買ったまがい物を麗々しく応接間に飾って恥じることもない。気に入っていればいいではないか、ということになる。身代金問題はそれらとは次元の違う話だが、庶民はそもそもそんな大金と関わることなど一生に一度もないことだろう。狂言誘拐を疑うゲティが最初渋ったのは当然であり、要求に屈していたら悪事は延々と続き、きりがないと考えるのも筋は通っている。ゲティを大金持ちだからということで色眼鏡で見るので、変人、吝嗇、冷たいという評価に導かれるが、ゲティは日常的には庶民感覚の持ち主だったのである。ゲティが紀元前のローマの皇帝に自分をなぞらえる誇大妄想癖と比べるとこの感覚は奇妙であるが、人間はちぐはぐなものものである。


努力によって金持ちになったゲティ
 ゲティは、弁護士であった父親と二代で石油会社を設立して財をなした。昔の王侯貴族のように贅沢三昧に明け暮れるよう生まれついた富豪ではない。斬新なアイディアに加えて買いたたきと見切り価格の良さの商才、商売に長けたセンスと血のにじむような努力で富豪にのし上がった人物である。働きバチのようなゲティの日常生活は、ビジネスと金で埋め尽くされている。ゲティは、家族との団らんも趣味や娯楽も犠牲にして仕事にだけ我が身を捧げる。贅沢に見える高価な美術品のコレクションは、ゲティの心を癒すものに見えたが、実は税金対策であったことがゲティの死後に判明する。ゲティは、頭の天辺から足の爪先まで金儲けビジネスで色付けられた男であった。
 しかし、ゲティは倹約を卑しいこととは考えず、金持ちであり続けることが自分の義務だと心得ている。ゲティは言うーー“getting rich”(金持ちになること)は馬鹿でもできる、しかしゲティのように“being rich”(金持ちである状態を維持すること)は、誰にでもできることではないと自負する。ゲティにとって、金を儲け続けることが成功の証であり、自己の存在証明だった。


利潤を肯定する禁欲的プロテスタンティズムの思想
 ゲティ家は、祖父の代に北アイルランドからアメリカに移民した長老派の一派である。キリスト教のプロテスタントの長老派の家庭に生まれたことが、ゲティの並外れた勤労意欲と強い関連性がある。なぜならば近代資本主義の発達に大きな影響を与えたのは、プロテスタンディズムだとされるからである。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に明らかなように、禁欲的プロテスタンティズムは、信仰と労働に禁欲的に励むことが社会に貢献することであり、この世において神の御心にかなう栄光をあらわす行為であるとする。それゆえに、勤勉に働いて成功した人間が救われるという確信を生み出した。つまりプロテスタンティズムの禁欲的に労働に励むことをよしとする姿勢が、「利潤の肯定」と「利潤の追求の正当化」を生んだことになる。その結果、金儲けは正当化され、禁欲的に働いて多く儲けるものは神の御心にかなった義人であり善人だとされる。それだからゲティが「もっともっと儲けるのだ」と答えたのは、強欲というよりも、禁欲的プロテスタンティズムの基本的精神の根本を示しただけである。その精神から見ると、親の経済力に溺れて怠惰で働かずにぼんやり暮らしている息子や孫たちは、卑しい認められない存在なのであろう。
 ゲティの徹底した儲け主義のビジネス感覚は、アメリカの資本主義の根幹をなすプロテスタンティズムの禁欲的勤労精神の賜物なのである。

ゲティ家の富裕は幸福を生みだすか?
 大富豪の孫ポールの誘拐によって露呈した祖父ゲティの富裕へのたゆまぬ努力と執着、極端な合理主義は、きわめてアメリカ的な現象に見える。ゲティは、富み栄えることを全面的に肯定したまま生涯を終えた。しかし、祖父ゲティの財産が子供や孫の人生を逆に食いつぶしたとは言えないだろうか? 孫のポールも祖父が大富豪でなければ誘拐されて耳を切られることはなかっただろう。息子たちもあり余る富を前にして、人生を甘く見てやる気をなくして薬中毒、離婚などの不幸を招いてきた。中流家庭でも起こりうる現象ではあるが、ゲティ家に限れば、過ぎたるはおよばざるがごとしと言えないだろうか? 豊富すぎる富と知名度は、人間から安逸という幸福を奪うのではないだろうか?

 映画製作にあたって主演予定だったケヴィン・スペーシーのセクハラ疑惑浮上のために、公開直前でキャスティングをクリストファー・プラマーに交代したという。それでこれだけの出来栄えとはすばらしい。プラマーは言うまでもなく、監督リドリー・スコットをはじめとするスタッフの総力結集の成果は見事である。

©2018 J. Shimizu. All Rights Reserved.  April 5, 2018.

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