ヘイル シーザー


『ヘイル シーザー』 (原題Hail, Caesar!)
製作年 2016年    製作国 アメリカ    上映時間  106分    映倫区分G
配給 東宝東和
スタッフ:
監督 ジョエル・コーエン、 イーサン・コーエン
製作 ジョエル・コーエン、イーサン・コーエンティム・ビーバン
キャスト:
ョシュ・ブローリン:スタジオ何でも屋のエディ・マニックス/ジョージ・クルーニー: 誘拐されたシーザー役者のベアード・ウィットロック/ アルデン・エーレンライク:アクション大根役者のボビー・ドイル/レイフ・ファインズ:英国の名監督のローレンス・ローレンツ/スカーレット・ヨハンソン: 水着の女王女優のディアナ・モラン/ティルダ・スウィントン:双子のジャーナリストのソーラ・サッカー&セサリー・サッカー /チャニング・テイタム:ミュージカル・スターのバート・ガーニー/
フランシス・マクドーマンド:ベテラン女映画編集者のC. C.カルフーン /ジョナ・ヒル: 映画会社専属公証人のジョー・シルバーマン/ヴェロニカ・オソリオ:カーロッタ・バルデス/ヘザー・ゴールデンハーシュ:秘書ナタリー/アリソン・ピル: マニックス夫人/クルストファー・ランバート: アルネ・セスラム
2016年5月13日よりTOHOシネマズシャンテ他全国順次公開
公式HP: http://hailcaesar.jp/
(C)Universal Pictures

『ヘイル シーザー』―スタジオ・システムの黄昏時1950年代

              清水 純子

『ヘイル シーザー』 は、ハリウッドのスタジオ・システムの黄昏時(たそがれどき)1950年代初頭を背景に、架空の主役スター誘拐事件をコミカルにシニカルに描く。

キャピトル・フィルムのフィクサー、エディ・マニックスは、スタジオ・システムの中枢に君臨して、映画制作の運営管理のみならず、お抱えのスターたちの公私共に管理し監視する役目を担っている。
『ヘイル シーザー』 の撮影開始と共に、マニックスはカトリック、プロテスタント、ユダヤ教のリーダーを呼んで意見交換会を持つ。
新作映画では、シーザーが十字架上のキリストを見て啓示を受ける場面がラスト・シーンにあてているので、宗教論争や世間の非難などの厄介ごと回避のために、あらかじめ手を打っておく必要を思いついたのである。

かくも用意周到で細心なやり手のマニックスですら防ぎえない困難が、突然持ち上がる。
シーザー役の大スターのベアード・ウィットロックが、撮影中にエキストラ役者がこっそり盛った薬で眠らされ、左翼の抗議団体に誘拐されてしまったのである。
10万ドルという破格の身代金を用意したが、ウィットロックはすぐには戻らない。
マニックスは、誘拐事件をマスコミに知られないように手をうち、ウィットロック不在の間にかさむ撮影費用の捻出と代替案に追われる。

四苦八苦するマニックスに、水着の女王ディアナ・モランの妊娠騒動が追い打ちをかける。
清純さが売りのモランのイメージを壊さないように、実子を養子縁組見する形にして世間の目を欺こうとするマニックスの妙案が功を奏す直前に、モランが子供の父と婚約して一件落着となる。

マニックスは、プロデューサーと映画監督と出演俳優の仲裁役も追わされている。
西部劇では人気者だが、演劇的にはずぶの素人ボビー・ドイルをキャピトル・フィルム幹部は推薦してきた。
演技どころか、監督の名前も強い訛りのためにきれいに発音できないボビーに業を煮やした英国人監督は、マニックスに文句を言う――マニックスは、「へたな役者を育てて、何とか形にするのも監督の手腕だ」 と慰め励まして、撮影を継続させる。

大スターのベッドロックのわがままで横柄だけれど、間抜けでお人よしなところがおかしい。
おおげさな演技でスタジオ関係者を煙に巻き、ふんぞり返っているかと思うと、映画界の権力者の前には頭があがらず、小僧っ子のように従う。
左翼に誘拐中に「役者は資本家の映画会社に搾取される使用人でしかない」と洗脳され、スタジオに戻ってから生意気なことを言うので、マニックスに平手打ちされると、しゅんとなって飼い犬のようにおとなしくなる。
ベッドロックは、終始、時代遅れで大げさな剣を持ったシーザー用衣装で通しているのも滑稽である。
役者はいったん役作りに入ったら、その人物になりきって、変身したまま日常に戻れないという風刺だろうか?

水着の女王エスター・ウィリアムズを彷彿とさせる人魚姫のようなディアナ・モランは、華麗な水中演技終了後、水から引き上げられると、ガスを連発して下品な言葉でわめき散らす。
世話役の若者が「マダム!」と呼びかけると、気に障って「あたしが結婚しているってわけ? そう見えるかってことよ!」 と毒づく。
そう、モランは結婚していないことが問題なのである――駄目男と二回の離婚後、モランはまたもや妙な男と付き合って、その結果、今は妊娠中だからである。 これが清純派看板女優の実態であるとは!

カウボーイの見事な投げ縄と馬術を披露して面目躍如のボビー・ドイルは、正当派演劇の基礎もない。
西部訛りのひどい英語を話し、イギリス人監督の名前も正確に発音できず、監督指導のせりふには舌がもつれる。
タキシード・スーツも首がしめられてがまんできず、紳士淑女の立居振舞からは程遠い類人猿の仕草である。
アルデン・エーレンライクのとぼけているが、自然で素朴な演技が嫌味がなく、コミカルで良い。
製作者は、お金を出して取り立てる事しか頭になく、映画を芸術だとも文化だとも思っていないので、役者の選別など念頭にないという皮肉であろう。

最後にキャピトル・フィルムを陰で支えるマニックス自身にも、魔の手は忍びよる。
TVの台頭と普及、1948年以来審理中の「パラマウント判決」(パラマウント、MGM、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、RKOの5大メジャー映画会社に対して独占的な映画の製作、配給、上映を禁止する裁定)の困難を抱える映画会社の足元を見たロッキード社が、転職の誘いを執拗にもちかける。
映画のように夢物語を売る地に脚がつかない産業よりも、実業である飛行機会社は安定していて利も大きいと将来性をアピールしてマニックスの気を引く。
幼い子供のいる家庭を返り見る間もないマニックスにとって、破格の高給、時間的余裕、将来性は魅力である。
それでもマニックスは、映画人として歩むことを決心して『ヘイル シーザー』をクランク・アップにこぎつける。
コーエン兄弟が、一番感情移入して好意的に描くのは、マニックスである。
映画制作の裏側を描いたメタ・シネマ『ヘイル・シーザー』の主役は、映画会社の裏方、何でも屋のマニックスである。
観客に姿を見せずに陰で映画の製作を助け、支えているのは、裏方の実力であるとコーエン兄弟は主張する。

コーエン兄弟は、映画への愛と批判を、1920年代から50年代まで続いた本映画の「スタジオ システム」黄昏時(たそがれどき)に埋め込む。
「スタジオ・システム」 時代には、製作総責任者が脚本、演出までの製作すべてを掌握して監督する体制をとっていたため、その下で働く者の作業内容が徹底的に特化された。
30年代の8大メジャー(MGM、パラマウント、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザース、コロンビア、ユニバーサル、RKO、ユナイテッド・アーティスツ)あるいは50年代の5大メジャー(パラマウント、MGM、20世紀フォックス、ワーナー・ブラザーズ、RKO)は、確立したシステムの下に、映画産業を独占し、製作・配給・興行の一括支配をめざした。
そのために独占禁止法に触れて1958年の 「パラマウント判決」は、「ブロックブッキング」(映画館が特定の映画会社の作品だけを上映することに基づいたフィルム賃貸契約)を違法としたために、スタジオ・システムの縦系列支配は終わる。
「スタジオ・システム」 は、その中で働き、活動する個人の自由を縛り、監視するマイナス面もあったが、世間の荒波から構成人員を守り、育てるという利点も持っていた。
システム内のメンバーたちは、偽善的虚像を作りだし、演じ続ける枷(かせ)を負わされたが、その反面、疑似家族関係による強い絆で結ばれ、守られていた。
この時代には、スタッフは長期契約によって雇用されていたため、そういう関係が自然に築かれたのである。
何でも屋マニックスは、本家のキャピトル・ピクチャーズを支える、やんちゃな子供の役者や監督を抱えた分家の家父長なのである。

スタジオ・システムでは、西部劇やメロドラマ、ミステリー、ミュージカルが人気のあるジャンルであった。
チャニング・ティタムが披露する水兵たちのミュージカルも、この時代を想定した見事さである。
コーエン兄弟は、過去のミュージカルの実績にひねりを加えて、現代の味を加えることを忘れていないーー「海には女性(dame)はいない」とぼやく出航前の若者たちは、踊る最中に偶然仲間のお尻を押し付けられて「ここはそういう場所ではない」とはねつける。

『ヘイル シーザー』 は、繰り返して何度も見たい映画である。
知的でユーモラスなうえに、役者の達者な演技は観客を喜ばす。

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 19 March 2016