ハロルドが笑うその日まで

 

『ハロルドが笑う その日まで』(原題 Her er Harold 英題 HERE IS HAROLD)
製作年:2014年 製作国:ノルウェー  上映時間:1時間28分  言語:ノルウェー語 スウェーデン語   配給:ミッドシップ   カラー/シネマスコープ
日本公開:2016年4月 (YEBISU GARDEN CINEMAほか)
スタッフ:監督 グンナル・ビケネ   脚本 グンナル・ビケネ
キャスト:ビョルン・スンクェスト: ハロルド・ルンデ/ ビヨルン・グラナート:イングヴァル・カンプラード/ ファンニ・ケッテル:少女エバ 
公式サイト:http://harold.jp/

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『ハロルドが笑う その日まで』―イケアの創業者誘拐!金銭か?怨恨か?

                                     清水 純子

スウェーデンの世界的家具メーカー「イケア」(IKEA)の創業者が誘拐されたとしたら? 目的は金銭か? 怨恨か?
『ハロルドが笑う その日まで』は、閉店に追い込まれた家具屋のハロルドが、イケアの創業者イングヴァール・カンプラード氏を誘拐したら?と想定した悲喜劇(悲劇性と滑稽感が混在する劇)である。

ノルウェーのオサネで40年以上、良質で伝統的な家具を売ってきたハロルド・ルンデは、隣のライバル国スウェーデンの大衆向け家具イケアのチェーン店が近くにオープンしたために、店じまいを余儀なくされる。
仕事と家を失ったハロルドに追い打ちをかけるように、糟糠(そうこう)の妻マルニィがショックで倒れ、他界する――「ホームに入れたら死んでやる」という言葉を実行してホームで、「この売女、どあほ!」の罵り文句と共にマルニィは昇天する。
失意のどん底のハロルドは、長年大切にしてきた家具店と共に自分も燃え尽きようと放火する。
店は見事に焼け落ちるが、ハロルド自身は室内消火装置のスプリンクラーが作動して死にそこなう。
ずぶぬれで息子の家を目指して運転中のハロルドは、火事になった自分の店に向かって疾走する消防車とすれ違う。

怨みの矛先(ほこさき)をイケアに、その創設者カンプラードに、向けたハロルドは、カンプラード誘拐を決意する。
ハロルドは、計画をまず息子に打ち明けて爆笑され、次に道すがら出あった少女エバに話して受ける。
ところが、道に迷っている老人を車に乗せると、その人はなんとお目当てのイングヴァール・カンプラードだった。
「飛んで火にいる夏の虫」とばかりハロルドは、カンプラートの手足を縛って口にテープを張ってホテルの自室に監禁、カンプラードのアドヴァイスに従って、エバの携帯でカンプラードを撮影してマスコミに送りつける。
不思議なことにカンプラードも、のんびりと人質状態を楽しんでいる様子、ハロルドもカンプラードに怨みをぶつけるが、大成功したはずのカンプラードが息子たちの攻勢に悩まされている様子に逆に同情してしまう。

映画の中でカンプラード自身が語ったように、彼は若い頃ナチスに傾倒したことがあり、そのためかどうかはわからないが、いまだに黒い噂が絶えないとされる。
イングヴァール・カンプラードは、1943年にわずか17歳で雑貨販売店をルーツとする家具店を創設、商才を発揮してそれまでの重厚で高い家具のイメージを一掃する使い捨てのお手頃な大衆向け家具店を世界規模で「ファスト家具店」(坂口)を展開して、グローバルな売上高は約293億ユーロ(約4兆円)という巨大な企業に成長させた。

しかし、カンプラードの息子たちは、15歳になると乗っ取りを計画し、今はうるさく引退を迫っているという。
この上ない成功者であっても新興勢力の台頭に悩まされていることに共感を覚えたハロルドは、
カンプラードを解放する。
カンプラードの自宅まで車で送ったハロルドは、カンプラードに「一杯やっていかないか」と勧められる。
カンプラード誘拐によって怨みがお門違いであったことを反省して、再出発を決意したカンプラードは、失職して家を追い出された息子のアパートのベルを鳴らす――「やあ、パパ」 と笑顔で出迎える息子・・・

「ハロルドが笑う」のは、イケアの創業者誘拐が成功して、大金をせしめたからではない。
ハロルドの笑いは、成功者イケアも敗者ハロルドと同じく悩める老人であることを知り、人生を達観した末の「ほろ苦い勝利の笑い」である。
有名人を誘拐したいと思っていたら、その人が偶然自分の車に乗ってきて、誘拐しても身代金もとらず、友好的に別れ、犯罪にもならない、とは中高年男性向けのフェアリー・テイルである。
実在するイングヴァール・カンプラード氏を実名で登場させているのもご愛嬌だが、イケアの名前が映画と共に世界に向かってさらに配信されるので宣伝にもなることだろう。

★意識改革を迫られる男性
20世紀後半のフェミニズム運動の拡張と成功によって、21世紀に生きる男性も意識変革を迫られている。
ハロルドの老妻マルニィは、夫を支え、夫と二人三脚で生きてきた伝統的女性だが、ハロルドの事業閉鎖と共に舞台を去る、それも満足してではなく、わけのわからない悪態をつきながらである。
マルニィは、自分の生き方を納得していたかどうかは不明だが、ともかく旧式のハロルドの家具店の店じまいと共に旧式女性は不要品とばかりに姿を消す。
マルニィとは対照的に、ハロルドの息子の妻は、二人の子供を育てながら自立している女性である。マルニィとは違って、表向きも夫を支えて従うような姿勢は見せない。
記者の仕事を首になり、酒場で酔ってけんかして、自宅の地下室を射撃場に変え、子供たちの前で性的禁句を口にする老人ハロルドを引き込むような夫を用済みにする。
かくして、妻を亡くしたハロルドと妻に追い出された息子は男同士の連帯感でつながる。
成功者カンプラードにも妻の影はない、どことなく孤独が漂うカンプラードも心理的に妻不在の状況であろう。

★女性も孤独
21世紀の男性は、経済的に失敗すれば女性から三行半、成功してもそれはそれで周りの人々からその富を狙われ、それゆえに孤独感を増す。
フェミニズム浸透と共に家父長制は崩壊し、男性も一人で生きる覚悟をしなければならない。
その裏を返せば、家を離れ、家父長を離れた女性も孤独を避けられないということである。
女には子供がいるが、いずれ巣立つのだから、それまでに自立できなければ子供のお荷物になる。
エバの母親は、「誰もあたしを愛してくれない、孤独で死んでしまう」と酔っ払って絶叫する。
エバの母は、若い時スポーツでチャンピオンになったが、行きずりのトラックの運転に身をまかせてエバを身ごもり、今も行きずりの男とのアバンチュールによってしか孤独を癒すすべを知らない。

★ハロルドの少し希望のある苦笑い
ハロルドは、カンプラード誘拐によって、人間は皆孤独であり、一人で生きていかなければないことを会得した。
古い伝統にしがみついてもしかたがない、時代に即して、できることをしながら、人と交流して、人生を楽しむこつをハロルドはつかんだのである。「ハロルドの笑い」 は、苦い経験を経た後に、新たな出発をめざす、少し希望を取り戻した高齢男性ハロルドの苦笑いである。観客は、ハロルドのあきらめの上にたった再出発を共感をこめて、温かく見守るであろう――最後まで人生を捨てずに自分なりに生きる男が一番りっぱなのだ、と納得して・・・

参考資料:
坂口 孝則 「イケアは、なぜ多くの人を惹きつけるのか」『東洋経済オンライン』 10.Feb. 2016. 〈http://toyokeizai.net/articles/-/62577〉.

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved.   2016. Feb. 9


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