ヘイトフル・エイト

    
第88回アカデミー賞3部門(助演女優賞、作曲賞、撮影賞)ノミネート
『ヘイトフル・エイト』(原題 The Hateful Eight)
製作年:2015年    製作国:アメリカ    言語:英語    配給:ギャガ    
上映時間:168分
スタッフ:
監督&脚本:クエンティン・タランティーノ /
製作:リチャード・N・グラッドスタイン、ステイシー・シェア、シャノン・マッキントッシュ
製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン、ジョージア・カカンデス  
撮影:ロバート・リチャードソン  美術:種田陽平  衣装:コートニー・ホフマン  
編集:フレッド・ラスキン  音楽:エンニオ・モリコーネ

キャスト:
サミュエル・L・ジャクソン:マーキス・ウォーレン 、カート・ラッセル:ジョン・ルース 、ジェニファー・ジェイソン:リーデイジー・ドメルグ 、ウォルトン・ゴギンズ:クリス・マニックス 、デミアン・ビチルボブ:ティム・ロスオズワルド・モブレー 、マイケル・マドセン:ジョー・ゲージ 、ブルース・ダーン:サンディ・スミザーズ、ジェームズ・パークス、デイナ・グーリエ 。ゾーイ・ベル 、リー・ホースリー、ジーン・ジョーンズ 、キース・ジェファーソン、クレイグ・スターク、  ベリンダ・オウィーノ、チャニング・テイタム
公式サイト :gaga.ne.jp/hateful8
2016年2月27日(土)全国ロードショー

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ヘイトフル・エイト』― 8人の悪党が雪山の密室ですること

 清水 純子

時代は南北戦争が終わって10年後(1875年頃)、場所はワイオミングの激しい吹雪の雪山の中。
賞金目的の首吊り人のジョン・ルースが、レッドロックでの処刑をめざして女囚人デイジー・ドメルクを馬車で護送中である。
そこへ同じく賞金稼ぎの黒人マーキス・ウォーレンが凍結した罪人の死体を三体、馬車の上に積んでやってくるが、激しい吹雪で老馬が動けなくなり、ルースに助けを求める。
ルースはしぶしぶウォーレンを馬車に乗せてやると、今度は新任保安官を名乗るクリス・マニックスが脅したり、すかしたりして、同乗を求める。 
ルースはこの男も仕方なく乗せて、ミニーの洋品店に休憩をとるために立ち寄る。
ところが、ミニーはいつになく不在で、すでに3人の先客――英国出身の絞首刑人オズワルド・モブレー、カウボーイのジョー・ゲージ、南軍の元将軍サンディ・スミザーズがすでに陣取っていた。
馬小屋は先客に使われ、おいしいはずのミニーのコーヒーも吐き出すほどまずい。
それに何よりも得体の知れない男たちの存在に、ジョンはあてがはずれるが、外は猛吹雪でお互いにこの小屋に留まるしかない。
ただ一つの出入り口は、すさまじい暴風のために壊れ、何重にも釘を打たなければ閉じない。
凍死を避けて命をつなぐために8人の悪党は、選択の余地なく、「出口なし」 のこの山小屋に事実上監禁される。

7人の荒くれ男と1人の女が山小屋に長時間軟禁状態と聞くと、色っぽいできごとを想像するかもしれないが、それはまったく期待はずれである。
唯一の女性である人殺しのデイジーは、外見も内面も女といえるようなしろものではないからである。
顔は薄汚れ、器量も悪く、年齢不詳、長年風呂にも入らない不潔さで、近づけば臭い匂いが漂いそう、唾や痰を吐きちらし、口を開けばヒキガエルや蛇のような悪口雑言が飛び出す女である。
どんな男であっても、せがまれても、決してねんごろにはなりたくない最低の女である。 
こんな女しか、ここには生息していなかったのかと思わせる。
この蜜室で、食わせ者で大嘘つきの悪党の男たち7人と最低のあばずれ女1人は、野獣のように唸り声をあげてとびかかり、互いを滅ぼそうとして戦う。

偶然集まったかのように見えた8匹の野獣たちは、過去においてお互いに見えない糸でつながれ、ここにたぐり寄せられたことがしだいに明らかになる。
逃げも隠れもできない蜜室で、お互いに偽っていた過去が明るみに出され、偽装がはがれて正体が暴かれた後、8人の敵意むき出しの死闘が始まる。
陰謀、策略、裏切り、取引き、甘言などの心理的暴力のみならず、銃や農機具を武器にして、毒薬まで持ち出して互いの破滅を願い、もくろむ。
脚本と監督を担当したタランティーノが、なぜ荒くれ男の中に紅一点を交えたのかが次第に明らかにされていく。
『ヘイトフル・エイト』は、「事件の陰に女あり」というジンクスを汚い女ディジーを使ってパロディー化して、皮肉に応用したことがわかる。 それでも、どんな女でも女は女なのだというさらなる皮肉も表明される。

タランティーノの脚本のすぐれている点は、その構成力と、したたかなからくりにある。
映画の前半は、単なる8人の野蛮人の殺戮ゲームのように見せておきながら、後半になると推理小説の「密室殺人」の様相を帯びてくるように仕掛けられている。
「密室殺人」は、密室とみなされる閉鎖下にある空間、あるいは自然の造形によって隔絶した空間、たとえば「雪の山荘」、「雪の密室」など自然現象のために密閉されている中で殺人が起こる設定になっている。
推理小説の密室殺人のトリックは、概して生き残りの中に犯人がいるという前提に立つ。
しかし、その意味では『ヘイトフル・エイト』は、推理小説の密室殺人の常とう手段の裏を
かいてパロディ化して伝統的手法をあざ笑っている。
はたして生き残る者がいるのか、もしいたところで、その者が犯人だと言えるのか、死体になった者たちがみな無実だと言えるのか?
密室とは外部の者が踏み入った後で、そこがそれ以前は密室であったと判明するのだが、
『ヘイトフル・エイト』の8人(としておこう、とりあえず)が籠るミニーの洋品店は、以後誰かに発見されるのだろうか? 雪解けまで待たされるのか? 
それまで誰が生き延びるのか? あるいは誰も残らないのか?

『ヘイトフル・エイト』では、登場人物は全員嘘つきで互いにだましあっている。
そして作者のタランティーノも観客をだますことを楽しみ、観客もだまされて喜ぶ。
標題の「8(エイト)」という数字自体が疑わしいことが、観客にはだんだんわかっていく。
タランティーノは、全員が加害者であり、被害者であるという、
アガサ・クリスティ女史も真っ青の裏の裏をかくトリッキー(巧妙)な映画を作ったのである。
観客はタランティーノの作ったジグソー・パズルのような画面にはめられる。
『ヘイトフル・エイト』 は、暴力と殺戮に満ちたアクション映画に見せかけて、実は知的でひねった西部劇あるいは推理劇のバーレスク(戯画,パロディー; こっけいな模倣,ちゃかし)なのかもしれない。

『ヘイトフル・エイト』 は、映画としても楽しめるが、舞台化の可能性も秘めている。
緊密で迫力のある台詞、限られた使用空間、役者の演技力の見せどころを持つ演劇にうってつけのこのシナリオは、映画だけの世界に閉じこめておくべきではない。
映画『ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ』 (Dirty Rotten Scoundrels 1988) が舞台化されて大ヒットしたように、『ヘイトフル・エイト』 もブロードウェイやウェスト・エンドで拍手喝采を浴びるに足りる水準の脚本である。
タランティーノの演劇化への意欲は不明だが、演劇化も期待したいところである。

参考資料
「密室殺人」 Wikipedia. 30 Jan. 2016.
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©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved.   2016. Jan. 31

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