ハリウッドがひれ伏した銀行マン 横田

 

(C)Don Camp

『ハリウッドがひれ伏した銀行マン』
原題 Hollywood Banker/製作年 2014年 / 製作国 オランダ / 配給 アークエンタテインメント、東北新社/ 上映時間82分/
映倫区分G オフィシャルサイト /言語:英語、オランダ語/
監督・脚本:ローゼマイン・アフマン/
登場する人々:アンニャ・アフマン/ スティーブ・ブルーム/ ケヴィン・コスナー/ ガイ・イースト/ ハロルド・フリードマン/ デレク・ギブソン/ ヨーラン・グローバス/
メナヘム・ゴーラン/ ピーター・ホフマン/ ロス・ジョンソン/ アーノルド・コペルソン/ マーサ・デ・ランレンティス/ ブルース・マクナル/ ジョン・ミラー /スカイラー・ムーア/ バックリー・ノリス/ スティーヴン・ポール/ ミッキー・ローク/ ジョン・シュルマン/ フレッド・サイドウォーター/ ピエール・スペングラー/ オリヴァー・ストーン/ ジェームズ・トーマ/ アンディ・ヴァイナ/ ポール・ヴァーホーヴェン
公式サイト:http://www.hollywoodbk.com/
2016年7月16日(土)より[渋谷]ヒューマントラストシネマ渋谷他にてレイトショー


『ハリウッドがひれ伏した銀行マン』--娘が父に捧げるオマージュ

                                  横田安正

 1970-90年にかけてハリウッドを陰で支えたと云われるオランダ人銀行家フランズ・アフマンのドキュメンタリー映画である。監督は主人公の娘、ローゼマイン・アフマン、彼女にとって初めての映画制作である。

 1970年代、イタリアの映画プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンテイスと意気投合したアフマンは『コンドル』、『キング・コング』を制作、大成功を収めた。当時、ハリウッドは大手のメジャー・スタジオ映画会社に牛耳られており、振興映画会社をサポートする投資家、銀行は少なかった。アフマンは「プリセールス」という新たな資金調達システムを編み出した。これは世界の配給会社に配給権を前売りして制作費に回すもので、独立系映画会社にとって大きな朗報であった。彼の資金提供によって作られた映画は900作を超え、アカデミー作品賞に輝いた『ダンス・ウイズ・ウルブズ』や『プラトーン』のような質の高い作品から『ターミネーター』、『スーパーマン』、『ロボコップ』、『ランボー/怒りの脱出』などのブロックバスター作品、『薔薇の名前』、『トータル・リーコール』、『蝿の王』と言った異色作、『氷の微笑』、『恋人たちの予感』のような話題作に及ぶ。

 映画はフランズ・アフマン自身のインタヴューは勿論、彼の助けを借りた多くの映画人の証言を集め、オランダ人の銀行家が生き馬の目を抜くと云われるハリウッドの映画ビジネスでいかに戦い、生き延び、成功したのか、その波乱万丈の軌跡を描いている。ドキュメンタリー映画といえば、退屈で堅苦しいというのが定番だが、この82分の作品は初めから終わりまで緊張感を失わず、観客の関心をつなぎ留めており、新人監督の作品としては立派なものである。その辺を分析して見たい。

 世界中のドキュメンタリー作品で定着している作り方がある。作品の骨格が無数の「トーキング・ヘッド」、つまりインタヴューによって構成されることである。筆者は勝手にそれを「BBC方式」と呼ぶ。しかし、延々と人の喋りを聞かされるのは観客にとって辛いものである。退屈きわまりないからだ。BBCの制作担当者と話したことがあるが、「本人が喋っているのだから、これ以上の真実はない」という牢固とした信念を彼らは持っている。筆者は逆に「本人が喋ることは必ずしも真実ではない」と思っているので「BBC方式」は許容出来ないのである。代わりに筆者は新しいドキュメンタリー作法である「質量構成法」を生み出した。これは拙書「ドキュメンタリー作家の仕事(フィルムアート社)」で詳しく解説しているが、要はトーキング・ヘッドを使わず(使うにしても最小限度にして)、映像で全てを語るというものである。名匠マーティン・スコセッシはボブ・ディランを描いた3時間のドキュメンタリー作品を完全な「BBC方式」で作ったが、映像の90%が「人の喋り」で退屈きわまる駄作であった。このように「BBC方式」は使い方を誤ると非常に危険なドキュメンタリー作法なのである。

 さて、『ハリウッドがひれ伏した銀行マン』はご多分に漏れず「BBC方式」をとっているが、その弱点を補う様々な工夫が凝らされている。先ず冒頭で、この作品が「娘が父に捧げるオマージュ」であることを宣言する。ここで観客は、この作品が事実を無味乾燥に並べるドキュメンタリーではなく、娘から父親に送られる「愛のメッセージ」であることを刷り込まれる。第2の工夫は、証言の内容を一種のスリラー仕立てにしていることである。証言者の多くは資金不足で崖っぷちに追い込まれたところを助けられたという人たちなので、その生々しい証言は迫力と人間味に満ちている。また、主人公自体が非難・中傷で追い詰められるシーンも語られる。監督は証言者の並べ方、配置に最大の注意を払い、ドラマ性を確保している。第3の工夫は、最も大事なことだが、映像におけるものである。「喋り」という単調な映像に、絶妙のタイミングで放り込まれる「古い写真」、誰でも見たことのある懐かしい「映画の中の1シーン」が、得も云われぬ家族愛、時代に対するノスタルジアを感じさせるのである。また、この監督は「音声先行」というテクニックも使っている。画面が変わる前に音が1-2秒早く聞こえるので、観客はハッとさせられるのだ。映像と音声で「観客をハッとさせる工夫」こそ、この映画の成功の根本である。言ってみれば、ローゼマイン・アフマン監督は処女作にも関わらず、涙ぐましい気遣いで「BBC方式」の弱点をカヴァーしたのである。本来、映画に対する関心が高く勉強していたのかも知れないし、良きアドヴァイザーがついていたのかも知れない。何はともあれ、ローゼマイン・アフマン監督の努力に拍手を送りたい。

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23 July 2016.

 

(C)Don Camp

 

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