ジェイド


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第16回ゴールデンラズベリー賞 最低脚本賞
最低新人賞: デヴィッド・カルーソ(『死の接吻 (1995年の映画)』と同時ノミネート)
『ジェイド』(原題 Jade )(JSB衛星放送『欲望の女ジェイド』、テレビ東京の地上波放送『魔性の香り/ジェイド秘められた快楽に迫る殺意』)、 1995年(劇場未公開)制作アメリカ、上映時間 95分(劇場公開版)、配給 パラマウント映画、言語 英語/ DVD発売、パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン、発売日 2005年

スタッフ:監督ウィリアム・フリードキン / 脚本 ジョー・エスターハス、 ウィリアム・フリードキン(ノンクレジット)/製作 ゲイリー・アデルソン他/ 音楽 ジェームズ・ホーナー / 撮影 アンジェイ・バートコウィアク
キャスト:デヴィッド・コレリ: デヴィッド・カルーソ/ カトリーナ・ギャヴィン(ジェイド):リンダ・フィオレンティーノ / マット・ギャヴィン: チャズ・パルミンテリ/ ルー・エドワーズ :リチャード・クレンナ/ ボブ・ハーグローブ: マイケル・ビーン /パトリース: アンジー・エバーハート


『ジェイド』―紳士はあばずれがお好き
                            清水 純子
★「ジェイド」=翡翠+あばずれ
表題の「ジェイド」(“Jade”) は、ダブル・ミーニングである―― ①翡翠(ひすい)、玉(ぎょく)、②あばずれ、浮気女――の二つの意味を持つ。①翡翠は、緑色の半透明の光沢を持つ東洋原産の宝石で、古くは「玉」と呼ばれていた。それだから映画の冒頭のクレジットタイトルで、「玉」という漢字が大写しになる。さらに殺害された富豪のコレクションの中に「玉」と書かれたピルケース状の銀色の容器が見つかる。中には、ダークブラウンの陰毛らしきものがある。ここで、「玉」と呼ばれる翡翠と「あばずれ女」の二つのものが関連づけられる。②銀色の容器内の毛は、娼婦ジェイドのものである。以前、この中国産の容器をある美女が大富豪にプレゼントしたことが舞台となるサンフランシスコ中華街で判明する。その美女がジェイドらしい。ジェイドとは何者なのか? 性的豊饒を意味する仮面や東洋趣味の装飾品で飾られた豪奢な居間の壁に、磔にされて血まみれの遺体を無残にさらす富豪との関係は?

現代版「昼顔」
富豪の紳士、政財界の大物がこぞってベッド・インを切望する娼婦ジェイドは、美と知性にあふれ、そのうえ性の技にたけたテクニシャンである。殺された富豪は、ジェイドをはじめ多くの娼婦を有力者の紳士に秘密裡に提供する売春ビジネスの元締めであった。富豪の提供する別荘には、隠しカメラが仕掛けられ、紳士と娼婦との痴態が一部始終収められていた。暖炉の焼け残ったカセット・フィルムから、州知事がジェイドと一戦を交え、ジェイドの卓越した性技にあられもなくエクスタシーを示す映像がみつかる。敏腕検事補のコレリと警察陣は、ジェイドの顔を拡大してあっと驚く。ジェイドは、コレリの昔の恋人で、今も惚れているカトリーナ、つまりギャビン夫人であった。カトリーナは、コレリではなく、コレリの親友で弁護士のギャビンを夫に選んだ。心理学博士で、今も黒い蘭のようにあでやかに咲き誇るカトリーナをコレリはあきらめきれず、いまだに独り者である。贅をつくしたパーティのダンス会場で、夫ギャビンからカトリーナを奪って踊り、最後にはギャビンに奪われる場面は、女一人を男二人が狙った三角関係を図式化して示す。
何一つ不足のない、贅沢で恵まれた生活をエンジョイしていたはずのカトリーナがなぜこんなことをしているのか? ルイス・ブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演の『昼顔』のセブリーヌを思い出させる。エリート外科医の妻セブリーヌは、夫相手では味わえない倒錯した欲望を満足させるために、昼間だけ「昼顔」を名乗る高級娼婦に変装する。夫の帰宅時間に合わせて、娼婦の下着を焼き捨てて良家の奥方に戻る。尻尾をつかまれたカトリーナは告白するーー「誰も私のことは知らないし、自由になれるから」と。カトリーナを熱愛しているはずの敏腕弁護士の夫ギャビンは、秘書をはじめとして次々と女を漁っていた。カトリーナは、知りながらそのことを夫に話せない。カトリーナはストレスを売春によって発散し、夫に仕返ししているつもりだったのか?
この夫婦は、円満を見せかけているけれど、仮面夫婦である。欲望を覚えた夫を受け入れるカトリーナの苦痛に歪む表情と涙が彼女の感情を表している。この夫婦の間には、『昼顔』と同じく、子供がいない。共通の次世代への遺産である子供を持たない二人を結びつけるものは、「権力、セックス、金」なのだろうか? 何をしようが、より力のある夫ギャビンの傘下から抜け出せないカトリーナは、籠の鳥状態を脱することは今後もないだろう。

★ジェイド(あばずれ)に魅せられる紳士の群れ
翡翠のように妖しく神秘的輝きを持つ美女ジェイド(=カトリーナ)に紳士が群がっていることは、パーティのダンス・シーンの夫ギャビンと検事補コレリのカトリーナ取り合い合戦でわかる。大学の同窓生らしきこの三人は、カトリーナの結婚後も心理的三角関係を清算できないでいる。コレリは独身で、カトリーナに未練たっぷりで、ギャビン夫妻の仲が冷めたら、彼女をいただこうと思っているし、夫のギャビンも知っていて冗談半分でコレリを挑発する。インテリおすまし美女のカトリーナは、男どもの熱い視線なしにはいられない依存体質を併発している。カトリーナは秘密の高級娼婦ジェイドとして州知事を手始めに、有力者の紳士たちに体を与えることが息抜きであり、生きがいになっている。
インテリ女性の売春というテーマは、映画『ミスター・グッドバーを探して』(Looking for Mr. Goodbar, 1977) でおなじみだが、あくまでフィクション(つくりもの)の世界のできごとだと思われていたのに、日本でも同様の事件が現実に起こり、世間を騒がせた。美女に男が群がるのはふつうだが、美女自身が金銭に困っていないのに、快楽目的で自分を売るところに尋常ならぬものがある。カトリーナのパワーは、表向きは美貌と知性と社会的地位によっているが、本当の武器は、セックスである。カトリーナは自分が危うくなると、セックスの力を利用して逃げようとする。検事補のコレリは、さすがにあわやというところで回避するが、夫ギャビンは妻の正体を知っても別れられない。ますますカトリーナにそそられ、「僕もジェイドに会ってみたいな」と囁くところで映画は終わる。女の性的魅力のとりこになった男たちは、身を危うくし、犯罪に手を染めても、女から離れられない。カトリーナ(ジェイド)同様、男たちもセックスの魔力の囚われ人なのである。しかし、こんなことがいつまで続くというのか? 人は必ず老いて朽ち果てる。ジェイドの性的パワーも永遠ではない、男たちの欲望もいずれは枯渇する。金と権力とセックスにおぼれた刹那的男女の生態を映画『ジェイド』に見ることができる。

★サスペンス映画の七つ道具満載
『ジェイド』は、スリラーの七つ道具満載の贅沢で楽しめるサスペンス・ドラマである。
映画のはじめから現れるエキゾチックな東洋趣味の美術調度品のコレクションと音楽、ゴージャスな館に飾られる原始的豊饒を表す不気味な仮面の数々、姿を見せない殺害者と姿の見えない被害者の悲鳴とどす黒い血が閉じられた戸の隙間からあふれ出る場面。陰惨な場面は打って変わって華麗で贅沢なダンス・パーティ会場に移り、美しい紳士淑女の姿が映し出される。本映画のヒロインであるカトリーナ(ジェイド)の知的で硬質な美貌とワイルドな雌豹への変身、やさしい夫を装うが淫蕩で悪辣な素顔を持つパルミンテリの悪徳弁護士ギャビン、少年のように見えて辣腕検事補であるカルーソのコレリのサンフランシスコの急こう配の坂を利用したすごいカー・チェイスは見ものである。この映画は、謎の殺人、脅迫、エリートの犯罪、変態セックス、過激なベッドシーン、覗き用隠しカメラ、異国趣味、スリルに富むアクション、そして最後の思いがけないひねりなどサスペンス映画の七つ道具を満載している。それぞれのシーンは楽しめるし、全体としても印象に残る映画なのに、大赤字だったとか! どうしてなのか? 脚本にまとまりがないとか批評する人もいるけれど、そうともいえない。本当にどうしてなのかな? 映画は観客動員に関しては予想不可能で、映画製作って実にむずかしい。DVDになって人気が出てきているそうだから、それはそれでいいけれど・・・個人的には、美人のフロレンティーノさんのドレスは、黒と白、それにグレーばかりだったけれど、もう少し色にヴァラエティがあった方がよかったのではないか。あれはあれでシックだけれど、ジェイド(翡翠)は緑色なので、せめてグリーンのあでやかなドレスぐらい着せてほしかった。さぞ似合ったことでしょう!。

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2016. June. 10


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