ジュディ(清水)


『ジュディ 虹の彼方に』原題Judy
2019年/上映時間 118分/ 製作国 アメリカ合衆国、イギリス/ 言語 英語 /
スタッフ:監督ルパート・グールド/ 脚本トム・エッジ/ 原作ピーター・キルター『エンド・オブ・ザ・レインボー』/ 製作 デヴィッド・リヴィングストーン/ 音楽 ガブリエ ル・ヤレド/ 撮影 オーレ・ブラット・バークランド/ 製作会社BBCフィルムズ他/配給 ロードサイド・アトラクションズ、LDエンターテインメントパテ、ギャガ/ 
2020年3月6日ロードショー
キャスト:ジュディ・ガーランド--レネー・ゼルウィガー / 青年期: ダーシー・ショウ/シド・ラフト(ジュディの3番目の夫で興行主)--ルーファス・シーウェル/マイケル・ガンボン--バーナード・デ ルフォント/ミッキー・ディーンズ--フィン・ ウィットロック/ロザリン・ワイルダー--ジェシー・バックリー/ローナ・ラフト(ジュデ ィとシドニーの娘)-- ベラ・ラムジー/ライザ・ミネリ(ジュディと2番目の夫の娘)--ジェマ・リア=デヴェロー/

ジュディ 虹の彼方に』―階段から突き落されたシンデレラ
         
                清水 純子

★レネ・ゼルウィンガーの見事なジュディ
 映画の成功はまずなんといっても、レネー・ゼルウィンガーの見事なジュディ・ガーランド像にある。レネーの顔はジュディにまったく似ていないのに誰が見てもすぐにジュディだとわかる。顔立ちは巧みなメーキャップのお蔭であるにしても、姿勢や立ち居振る舞いまでジュディにそっくりなのである。そのうえ天才歌手と呼ばれたジュディの歌をレネー自ら歌うとはすごい。レネー・ゼルウィンガーの歌唱力やダンスのうまさは、ミュージカル映画『シカゴ』で検証済みだが、ここまでやれるとは想像していなかった。
 天才と呼ばれた人の伝記を演じるのは役者にとって概して荷が重い。まず、本人に似ていなければならない。似ていなくていいと突き放す場合もあるが、ジュディのような有名人で比較的記憶に新しい人物は似ていなければ話にならない。しかし似せると言っても、天才と呼ばれた人物の中核を担う部分を実演するのは普通は無理である。ジュディの場合はあの歌声にあるのだが、レネは臆せず自分の声で表現した。ジュディに見劣りせず、いとも自然に大歌手ジュディを演じ切ったのは信じがたい。今回のレネー・ゼルウィンガーの熱演には大きな賞が与えられなければいけない。


ハリウッドスターという名の病(やまい)
 『ジュディ 虹の彼方に』は、薬物中毒のために47歳で亡くなった伝説のミュージカル女優ジュディ・ガーランド(1922~1969)の中年期のほろ苦い現実を、若い頃の回想を交えて情感豊かに美しく描く。
 ジュディは、MGM映画『オズの魔法使い』(1939)のドロシー役の成功によって大スターの道を歩む。抜群の歌唱力と可憐な容姿のジュディは、少女ドロシーにうってつけだったが、撮影当時17歳になっていたジュデイは、身体の成長と肥満を抑制するために過激なダイエットと薬の服用を強制された。MGM映画社は、女探偵あるいはシャペロン(お目付け役)を雇って、ジュディの食欲と性慾を監視した。お気に入りの相手役ミッキー・ルーニーとデート中、ハンバーガーを食べようとしたジュディを背後にいたお目付け役の女性が突然「食べてはいけません、太りますから」と制止する。怒ったジュディは、これ見よがしにハンバーガーにかぶりつく、するとその瞬間、待ち構えていたカメラマンがフラッシュをたく。
 映画会社は、大切な商品であるジュディをハリウッドという檻の中に入れることによって守り、育成した。この作戦はある段階まで功を奏するが、ジュディはサーカスの曲芸をする動物ではなかったので、次第に言うことを聞かなくなる。幼い頃から過重労働に耐えられるように服用させられていた薬物が常習となったジュディは、薬物乱用とアルコール中毒によって私生活は乱れ、仕事に支障をきたした。撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返し、自殺未遂まで引き起こしたジュディに業を煮やしたMGMは、ジュディを解雇する。
 映画は、幾度もの結婚に破れ、借金まみれでホテルからも宿泊を拒否される落ちぶれたジュディの姿に焦点を当てる。幼い二人の子供と共に場末の夜のステージをこなして疲労困憊、ずぶぬれになってやむなくタクシーで元夫ラフトの住む郊外の家にたどり着く。子供と一緒に過ごしたいジュディは、ロンドン公演を渋ったが、逼迫した経済状態から拒否できなかった。
 5週間に及ぶロンドン公演は大成功で、ジュディは若いミッキー・ディーンズを5番目の夫に迎える。しかし、ジュディの幸福は、薬物中毒とアルコール依存のために長続きしなかった。TV出演で、育児放棄を疑われたジュディは深く傷つき、ミッキーとは口論が絶えない。劇場から解雇を言い渡されたジュディは、最後の力を振り絞ってヒット曲『虹の彼方に』を熱唱し、スタンディング・オベーションの拍手大喝采を受ける。ジュディはその数か月後に薬物の過剰摂取によりロンドンで亡くなる。
 80年以上前のハリウッドでは、子供の労働に対する法的規制はなく、子供はおとなの都合で深夜労働や長時間過重労働に従事させられていた。そのうえ、役のイメージを守るために薬まで服用させていたとは信じがたい暴挙である。現代だったら児童虐待防止措置法違反で警察沙汰になるはずである。
 ジュディの場合、映画会社だけではなく、子供を働かさなければ食べていけないステージママも共謀していたと聞く。映画の中でMGMの重役がジュディを諭すように、ジュディは貧しい芸人の家に生まれ、ゲイの父は失踪していたので、歌によって生きる以外に道がなかった。
 MGMに見いだされてスターになったジュディはシンデレラだとも言えるが、会社の思うようにならなくなった時、不用品として捨てられた。ジュディが薬物依存になったのは、それまでの生活の積み重ねのせいなのに、そんなことは頓着しない。ハリウッドでシンデレラになったジュディは、撮影に遅れる厄介者になったので階段の頂上から突き落とされたのである。後に残されたガラスの靴を拾ってジュディをシンデレラに戻せるプリンスは現れなかった。ジュディの王子になった男たちは、ジュディがハリウッド時代に身につけた悪癖を矯正できなかったのである。「三つ子の魂百まで」というように、幼い頃から培われた誤った芸人養成方法は、ジュディの肉体と精神を歪めてしまった。ジュディにとってハリウッドスターであったことは終生の病であった。

★ジュディの功績:LGBTへの理解+娘ライザ
 ジュディの第一の功績は、素晴らしい歌唱力と演技によって多くのファンを魅了し、『オズの魔法使い』を始めとする名画を残したことである。それに加えてジュディのすばらしい点は、時代に先駆けてLGBTへの理解と庇護に努めたことである。映画の中でも、ロンドン公演中、ゲイのカップルと意気投合して彼らの家で夜を明かし、その二人が最終公演で感極まって歌を中断したジュディを支える場面が登場する。ジュディの父も二番目の夫ヴィンセント・ミネリもゲイであり、ジュディ自身がバイセクシュアルであったためでもあろう。同性愛解放運動の象徴がレインボー・フラッグであるのは、ジュディの『オズの魔法使い』の歌「虹の彼方に」にちなんでいる。同性愛者を隠語で「ドロシーの友人」と呼ぶのは、『オズの魔法使』のドロシーから来ている。
 ジュディの功績は、ことごとく失敗に終わった結婚にも見出せる。二番目の夫との間に生まれたライザ・ミネリは、この映画にも登場しているが、ジュディ顔負けの大スターになり、『キャバレー』(1972)でオスカーを獲得する。私にとっては、ジュディはライザ・ミネリのママだが、我が母はライザ・ミネリを見て、「声といい顔といい、ジュディ・ガーランドそっくり!親子ってこんなに似るものかしら? 才能も母親譲りね!」と驚いていた。私はライザは父親のヴィンセント・ミネリによく似ていると思うが、確かにジュディにも似ている。それに比べて妹のローナ・ラフトは、外見はジュディに全然似ていないし、歌声も母や姉ほど華やかでない。 大スターのライザは、母同様、薬物中毒とアルコール中毒のために入退院を繰り返し、苦闘しながらキャリアを継続していると聞く。プラス面だけでなく、マイナスの遺産も母から受け継いでしまったのかもしれない。映画の中で子煩悩のジュディは「子供なんて持つんじゃなかった、縛られてたいへん」と語るが、ライザには子どもがいない。ジュディのDNAが途絶えてしまったことはファンにとっても残念である。

©2020 J.Shimizu. All Rights Reserved.30 Jan. 

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