完全なるチェックメイト


 

(C) 2014 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. Photo Credit: Tony Rivetti Jr.

『完全なるチェックメイト』(原題:Pawn Sacrifice)
スタッフ: 監督 エドワード・ズウィック / 脚本 スティーヴン・ナイト/ 原案 スティーヴン・ナイト/スティーヴン・J・リヴェル /クリストファー・ウィルキンソン/製作 トビー・マグワイア /エドワード・ズウィック /ゲイル・カッツ
キャスト: 
トビー・マグワイア:ボビー・フィッシャー /
リーブ・シュレイバー:ボリス・スパスキー
ピーター・サースガード:神父ビル・ロンバーディ /マイケル・スタールバーグ:ポール・マーシャル /リリー・レーブ:ジョーン・フィッシャー/
ロビン・ワイガート:レジーナ・フィッシャー
配給: ギャガ  115分    製作国: アメリカ合衆国  言語: 英語
公式HP: http://gaga.ne.jp/checkmate/
2015年12月25日(金) TOHOシネマズ シ
ャンテ他 全国順次ロードショー

『完全なるチェックメイト』―ふつうでない人「天才」の苦悩

    清水 純子

あなたは 「天才」、「天才的だ」 と一度でいいから言われてみたいと思ったことはないだろうか? 
「天才」と言われて気を悪くする人はいない。
人の能力に対する最大の賛辞が「天才」という表現だからである。

「天才」とは、「生まれつき備わった優れた才能、あるいは優れた才能を持って生まれた人」をさす。
「天才」とは、傑出した才能を天から備わった状態、あるいは人、をいうのであり、
努力したからといってなれるものではない。
「天才」とは、石油やダイヤモンドのような貴重で高価な天然資源をもともと埋蔵した土地の ような存在である。
ふつうの人でない「天才」は、「ギフテッド」、「神に愛でられし者」、「神童」などと呼ばれて、その才能をもてはやされる。
ふつうには手に入らない宝の山を内蔵した「天才」は、人々の投機の対象になり、高値で値踏みされ、 誰もが手に入れたいものとなる。
ひとたび「天才」であることがわかると、その人は注目を浴びて大スター扱いされる。
しかし、天才であることは、その人に幸せをもたらすのか?

『完全なるチェックメイト』 の実在のチェスの天才ボビー・フィッシャー
(Bobby Fischer、1943~2008)の生涯は、天才であることの光と影、栄光と悲惨を見事に体現している。

チェスボード Wikipedia Commons より

チェスをするボビー・フィッシャー  Britannnica Com より


☆天才の光と影
天才チェス・プレイヤー、ボビー・フィッシャーの名前を天下に轟かせたのは、1972年にアイスランドのレイキャビクでのチェスの世界王者決定戦である。                                       
フィッシャーは、「神の一手」と呼ばれる歴史に残る名プレーを展開して、24年間王座にあったソ連のボリス・スパスキーを下した。
フィッシャーは、単純なミスによって第一局を敗退、第二局を会場の設備と観客への不満からボイコット、心配したアメリカ大統領ニクソンとキッシンジャー補佐官の懇願によってやる気を取り戻し、次々と勝ち進む。
決勝戦となる第六局で、誰も見たことのない、想像もしなかったような奇想天外な独創的戦法によって「チェックメイト」(相手のキングが逃げられないように追い詰めて、 王手詰めにして勝つチェック)して、スパスキーを負かしてしまった。
フィッシャーの芸術的で美しく、完璧で見事な手に、負かされたスパスキーまでもが立ち上がり、拍手の後、握手を交わしてフィッシャーの勝利を讃えた。
世界を東西に二分したアメリカとソビエトの冷戦時代に、武器を用いないチェス盤による
戦争に勝利したアメリカ側の喜びもさることながら、潔いさぎよく負けを認めて相手を讃えたソ連の王者スパスキーの紳士的態度が感動を呼ぶ。


この場面で映画が終わるならば、天才の栄光の物語ということになるのだが、そうはならない。
世界チャンピオンになった後のフィッシャーの影の部分、つまり後半生が待っているからである。
もともと気まぐれで非社交的、非常識で突飛な行動と要求の際立っていたボビー・フィッシャーの精神状態は、以後悪化の一途をたどり、チェス協会と対立して王者のタイトルを剥奪される。
かっての「アメリカの英雄」フィッシャーは、世界中を放浪したあげく、日本とフィリピンに滞在後、 日本で拘束されるが、応援する人々の尽力によって、勝利の地アイスランドに永住する。
映画の最後の場面では、髭ぼうぼうの薄汚い浮浪者になったフィッシャーが登場して、その零落ぶりによって人生の悲惨を表現する。

☆天才とパラノイアを誘発したもの
IQ187のフィッシャーは、ニューヨークの貧しいユダヤ系家庭でシングル・マザー によって育てられた。
幼少時、落ち着きがなく、心配した母親レジーナがチェス盤を与えてみたところ、めきめきと頭角を現し、独学によって14歳でアメリカの王者になる。
両親とも非常に優秀であったからフィッシャーの天才は親譲りであり、また母親は幾分精神不安定だったのでその点も母親に似たのかもしれない。
しかし、フィッシャーの天分もパラノイアも、生来の資質に加えて環境によって誘発された と考えることもできる。
もしフィッシャーが幼い頃にチェスにめぐり会う環境にいなければ、光の部分である その天才は磨かれなかったかもしれない。
またその反対の影の部分である神経症、特に監視されているという被害妄想も環境が招いたとも言える。
有名になってからのフィッシャーは、常に報道陣に追い回され、 記事のたねにされていたのは事実である。
またFBIに監視されているという被害妄想も根拠のないものではない。
母ジーナは、共産主義者であり、現実にFBIに監視されていたので、 幼いフィッシャーも警戒するようにしつけられていた。
フィッシャーのFBIへの被害妄想は、幼児体験に基づくものであるから、 単純に精神障害によるものとは言えない。
さらに「チェスそのものにも、ある種のパラノイアを誘発する性質があるとも言われている。
フィッシャーのドキュメンタリーの中で、彼のメンターの一人が『どんな時も150手先を考えるのに慣れてしまい、その認知プロセスが日常生活に入り込めば、誰もがいくぶん パラノイア的になるだろう』と語っている」  (『完全なるチェックメイト』 「Production Notes」 プレスシート)

☆原題の “Pawn Sacrifice” (チェスのポーン(歩)の犠牲)の二つの意味
フィッシャーの天才は、アメリカ合衆国によって政治的に都合よく利用されたのも本当である。
原題の “Pawn Sacrifice” (チェスのポーン(歩)の犠牲)は、「より優位な状況を作り出すために、駒を犠牲にする“サクリファイス” の手」を意味するが、 明らかにダブル・ミーニング(2つ以上の解釈の可能性をもつ意味づけ)である。
“Pawn Sacrifice” (チェスのポーン(歩)の犠牲) が第一に意味するのは、ボビー・フィッシャーが勝利した時の奇想天外な「神の一手」をさすのはいうまでもない。
第二の意味は、二人の天才がアメリカとソ連の二大国同士の権力争い、 見栄の張りあいの駒として利用され、犠牲になったことを暗に語っている。
“Pawn Sacrifice” としてアメリカ合衆国が利用したのはボビー・フィッシャーの頭脳、ソ連はボリス・スパスキーを利用した。
ちょうどボクシングの試合を見た観客が、現実に戦わないのに、戦闘意欲を満たして すっきりするように、二つの優秀な駒を用いてアメリカとソ連は実戦を経ずして、精神的ガス抜きに成功した。
“Pawn Sacrifice” (犠牲の駒)である二人の男を利用して、アメリカの民衆もソ連の人民も精神のバランスを保った。
祖国の犠牲の駒となった、フィッシャーとスパスキーの二人の男は、 共に生涯と頭脳を他人のために捧げたことになる。

☆天才は神の贈り物? それともモンスター?
天才は、神の気まぐれな人類への贈り物なのだろうか? 
天才といえども努力なくしてその天分を開花させることはできないが、 天才はふつうの人をはるか超えた能力を埋め込まれて誕生した人である。
天才と狂気は紙一重という俗説を裏付けるように、芸術的創造性は精神疾患と共通の遺伝子(DNA)で発現することを英科学誌「ネイシャー・ニューロサイエンス」 (Nature Neuroscience)は発表した(AFP BBニュースhttp://www.afpbb.com/articles/-/3051149)。
天才は、ふつうの人とは違う考え方を持ち、行動を起こすので、周囲に理解されず、 孤立しがちでコミュニケーションがへたな場合が多い。
それゆえに斬新な着眼力や独創性を持つのだけれど、天才本人は苦しむことが多いのではないだろうか?
自尊心は満足できても、幸福に生きられるとは限らない。
その意味で、天才は神の作りだした傑作なのか、いたずらなのか、あるいは偶然の手違いによるモンスターなのか、意見が分かれるところである。

☆チェスの達人も素人も楽しめる映画
『完全なるチェックメイト』 は、チェスの専門家だけが楽しめる映画ではない。
チェスのことをまったく知らない人、チェスの駒を見てチョコレートを思い浮かべるレベルの人でも、 息をつく暇がないサスペンスを心地よく味わえるヒューマン・ドラマである。アメリカン・ヒーローであるはずのフィッシャーは、そのわがままと変人ぶりによって アンチ・ヒーローにも見える。
一方、敵方ソ連のスパスキーは、悪役のはずなのにナイス・ガイに見える。 
1970年代は、アメリカとソ連が冷戦状態にあったむずかしい時代なのに、チェスの白と黒のように味方と敵が単純に色分けされていない複眼思考の視点で描かれて いるところが小気味よい。

製作と主演をつとめたトビー・マグワイアの心意気には拍手、スパスキーを好演した リーヴ・シュレイバー、ボビーの守り神の神父ビルロンバーディのピーター・サースガード、 同じく弁護士ポール・マーシャルのマイケル・スタールバーグにも声援を送りたい。

参考資料 『完全なるチェックメイト』プレス・シート ギャガ 2015年
「芸術的創造性、精神疾患と共通の遺伝子で発現か アイスランド研究」『AFP BBニュース』2015年10月24日 http://www.afpbb.com/articles/-/3051149. opyright © J. Shimizu All Rights Reserved.