顔のない眼  

 



『顔のない眼』(原題:Les Yeux sans visageEyes Without a Face
製作国:フランス、イタリア/ 言語:フランス語/1959年製作/ 上映時間:88分/
モノクロ/ 配給: 東和
スタッフ:監督:ジョルジュ・フランジュ/ 原作:ジャン・ルドン/ 脚本:ピエール・ボワロー、トーマス・ナルスジャック、  ジャン・ルドン、クロード・ソーテ/ 撮影:ユージェン・シュフタン/ 音楽:モーリス・ジャール/ 製作:ジュール・ボルコ  ン/ 特殊効果:シャルル・アンリ・アッソラ/
キャスト:ジェネシュ博士: ピエール・ブラッスール/ ルイーズ: アリダ・ヴァリ/ジェネシュ博士の娘のクリスティーヌ:エデ ィット・スコブ/誘拐されて顔の皮膚を切除された娘のエドナ:ジュリエット・メニエル/ クリスティーヌの元婚約者パ ロー:  アレクサンドル・リニョー/ ポーレット: ベアトリス・アルタリバ      

 



顔のない眼』―「女の顔」の代償   

                            清水 純子


博士の悪魔の所業  
 『顔のない眼』は、人目にさらす顔を失った女の悲劇と恐ろしさ、そして「女の顔」の値打ちを改めて認識させる。「男は顔ではない」とよく言われるが、「女は顔ではない」とはあまり聞かない。古今東西を問わず、フェミニズムがいかに浸透しようとも、女はやはり顔なのであろう。
 『顔のない眼』において、顔を喪失した女のおぞましい状況に輪を掛けるのは、高名な整形外科医の悪魔の所業である。父ジェネシュ博士は、交通事故による火傷で顔の皮膚を失い、眼だけ残った娘クリスティーヌの顔を元通りにしようと、娘と同じ年頃の黒髪碧眼の美女を生け捕りにして麻酔をかけて顔の皮膚を剥ぎ、娘の顔に移植する。


無表情を通す女助手、博士、娘 
 皮膚提供の生贄にされる美女の誘拐を担当するのは、女助手のルイーズである。ジェネシュ博士は、すでに妻を亡くしているので、ルイーズは単なる助手ではなく愛人かと思わせる。ルイーズは、博士に自分の「女の顔」を再建してもらったことに恩義を感じて、法律もモラルも顧みず、博士に絶対服従を通して、感情を表に出すことはない。囚われた娘の顔の肌を剥ぐ瞬間に、ルイーズを演じるアリダ・ヴァリの大きな瞳がますます大きく見開かれ、剣呑(けんのん)な(=危険で不安を覚える)まなざしに変わるのが唯一の感情表現である。
 ジェネシュ博士も無表情である。博士は、若い娘の顔の皮膚を裁断するカッティング・ラインをペンシルで引いて、メスで切り裂き、ルイーズに手伝わせて両端をピンセットでつまみ、隣に寝ているクリスティーヌの顔に移植する。博士は、クリスティーヌが素顔を見せることを許さず、眼の部分だけくりぬいた白い仮面をつけさせている。切り取った皮膚も仮面も、女性が顔のパックに使用するフェイシャル・マスクのようである。この映画の最もリアルで、それゆえに不気味な点である。

 皮膚を移植された娘クリスティーヌも顔が崩れることを防ぐために、笑うことや豊かな表情を表すことを禁じられている。仮面をかぶるクリスティーヌが血が通った娘であることを示すのは、父の助手の元婚約者パローにこっそり電話をかけるところである。無言電話でパローの声を聞くことだけで満足していたクリスティーヌが、次第に我慢できなくなり、自分の肉声を発してしまうところにこの娘の心は、博士やルイーズほどは壊死(えし)していないことが表されている。
 始終無表情であった3人の登場人物の顔にかすかな笑顔と人間らしい血の気がさすのは、博士が度重なる失敗の末に、皮膚移植に成功したかに見えた時である。博士は、父親らしい慈愛に満ちたまなざしで娘をみつめ、クリスティーヌも外出するまで回復する。女助手のルイーズは、母のように暖かく、この父娘に笑いかける。特に博士とルィーズを演じる役者たちは、本来は豊かで魅力的な表情を持っているために、表情の変化が際立つ。


手術の失敗は拒絶反応のため 
 ところが、成功したように見えた手術はまたもや失敗であった。クリスティーヌの顔にのっかっていた皮膚が拒絶反応を起こして腐り出したために、また新たな生贄が必要になる。博士の絶望とクリスティーヌの悲嘆は頂点に達する。犬の皮膚の移植には成功したのに、なぜ人間ではうまくいかないのか?と博士は焦(じ)れて苦しむ。21世紀の今日では皮膚移植(植皮)する場合、他人の皮膚を使ってうまくいくことはないとされる。近年期待されるのは、培養皮膚、つまり本人の皮膚を少しだけ採取して体外で培養して戻す皮膚再生医療である。ジェネシュ博士の誤りは、クリスティーヌ以外の皮膚を使用したことにある。しかし、いかに名医であっても20世紀中庸ではそのような知識も技術も持ちえなかったので、博士の試みは当然のことながら毎回失敗に終わる。


解放によって空っぽになるお城  
 博士の人の道にはずれた実験が暴かれるのは、同じ年恰好の似通った容姿を持つ若い娘の連続失踪事件を警察が怪しんだためである。クリスティーヌの元婚約者パローの捜査依頼を受けて、警察は万引き癖のあるポーレットをおとり捜査に使った。ポーレットは博士に顔の皮を剥がれそうになるが、手術の無効性を認識して良心にめざめたクリスティーヌが、ポーレットを逃がし、抵抗するルイーズを切りつけ、実験用の犬たちを解放する。すると犬たちは一斉に博士に襲いかかって絶命させる。白い仮面をかぶったクリスティーヌは、夜の森の中を妖精のように飛び回って、奥へ奥へと進む。博士の実験施設であったお城は、人間を内包しない空っぽの容器、中身を奪われた皮膚のように残される。


悪を呼ぶ皮膚移植のオブセッション  
 ジェネシュ博士は、社会的に尊敬されている立派な医者だったはずなのに、愛娘の災難によって判断力も良識も失い、皮膚移植を成功させるというオブセッションにとりつかれる。女の命である顔を失った娘を救いたい一心から、他人の気持ちも立場も考えられないエゴイストに変貌した博士は、夜な夜な妙齢の娘の誘拐を命じて、顔の皮膚を求める。女の顔を奪われた代償に、新鮮な生き血ならぬ新鮮な顔を求めてさまよう吸肌鬼ジェネシュが誕生する。

 ジェネッシュ博士は、目的達成のためには手段を択ばす、モラルも法律も無視する狂った科学者の原型である。人間に奉仕するはずの科学が、人間を奴隷に使ったあげく、人間に復讐するというパターンを示している。自制心と道徳心を持たない人間の手に握られた科学は、逆に人間を滅ぼす凶器に変貌する。その意味で、ジェネシュ博士のオブセッションは、科学と人間の破綻した関係のひな型だといえる。映画のモラルは、博士の企みが失敗して博士が滅び、囚われていた人物や犬が解放されるところに表れている。


スタイリッシュなモード  
 『顔のない眼』は、その後の映画に大きな影響を与えた。ギレルモ・デル・トロ監督も(DVD『クロノス』「インタビュー」)、黒沢清監督も(2016年10月14日アンスティチュ・フランセにて「ティーチイン」)自分の作品に与えたこの映画の強い影響力を語る。ホラー映画が流布した21世紀の観客は、映画封切り当時の人々とは違って、どショッキングなテーマや場面のオンパレードだと感じないかもしれないが、この映画のスタイリッシュなモードには依然として魅了されることだろう。

 パリ郊外に建てられた博士の住居兼実験室のお城のような大邸宅は、ゴシック・ロマンスの背景をなすのに十分な貫禄と不気味な気品と陰翳を備えている。

 出演女優は、美貌のアリダ・ヴァリをはじめとして若手女優がすべて美しく、パリジェンヌらしい立ち居振る舞いがエレガントで洗練されている。クリスティーヌの元婚約者パローに扮するアレクサンドル・リニョーも最近ではめったに見られないほどの好男子である。悪役のジェネシュ博士役のピエール・ブラッスールも、重厚で味がある。この時代、映画に出られるのは、今以上に選ばれた人々であったことがわかる。

 女優の衣装も、今見ても古臭さを感じないモダンさと軽快さがある。アリダ・ヴァッリが車から死体を運び出して川に遺棄する時に着ている黒いコートはエナメル質で非常に画面映えがする。また森の木々、豪奢な車、お墓などの背景も陰翳をなしてモノクロ画面を引き立てる。

 かなりグロテスクな手術の場面があるのにもかかわらず、おぞましさよりも恐怖美の印象が強いのは、この映画がモノクロであることを逆手にとって効果をあげているためであろう。


 ©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2016. Oct. 19

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