毛皮のヴィーナス


(C)2013 R.P. PRODUCTIONS - MONOLITH FILMS

2014年12月20日より有楽町ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraルシネマ他 全国ロードショー
原題 La Venus a la fourrure  製作年 2013年製作国:フランス・ポーランド合作 配給:ショウゲート
監督ロマン・ポランスキー 製作ロベール・ベンムッサアラン・サルド
原作L・ザッヘル=マゾッホ  脚本:ビッド・アイビス
キャスト:エマニュエル・セニエ、マチュー・アマルリック
公式サイト:https://www.facebook.com/kegawa.venus

毛皮のヴィーナス』:倒錯の魅惑を放つ劇中劇

                        清水 純子 

待ちに待ったロマン・ポランスキー監督の『毛皮のブィーナス』が日本でも公開される。
ポランスキー80歳の新作である。

エンディング・クレジットの画面が入れ子細工の扉を次々と開いていくのを見せているように、この映画の構造は重箱細工形式で組み立てられている。
まず第一に映画の制作上の成り立ち自体が重箱形式である。
ポランスキーの『毛皮のヴィーナス』は、オーストリアのザッヘルマゾッホ(Leopold von Sacher-Masoch、1836~1895)の著名な『毛皮を着たヴィーナス』(Venus im Pelz 1870) をさらにアメリカの劇作家デヴィッド・アイビス(David Ives)がブロード・ウェイの舞台用(2011年)に脚色した同名の戯曲である。
映画のシナリオは、観客を一番外側に置くとすると、一番内側にあるのがマゾッホの原作である小説、それを包むのがアイビスの舞台劇、そして観客に一番近い位置である最も外側に存在するのが、アイビスとポランスキー共作による映画用シナリオである。
第二に内容が映画内に劇と小説を含む入れ子細工の劇中劇になっている。

映画は、舞台『毛皮のヴィーナス』の主演女優のオーディションの模様を映像化している。マゾッホの小説を翻案した舞台劇のオーディションに大遅刻してやってきたのは、得体の知れない不可思議な女である。
偶然なのか嘘をついているのか判然としないが、ワンダ役に応募してきた無名の女優は実名もワンダだと名乗る。
もっともらしい遅刻の言い訳を並べたてるが、応募リストにその名前はない。
オーディションであるにもかかわらず、原作の時代設定にぴったりの衣装と犬の首輪まで持参し、演出家のトマが操作できない舞台の照明装置を巧みに操る。

さらに驚いたことに、この女は手に入るはずのない台本を持っていて、しかもセリフを完全に暗記していた。
発声練習をして呪文を唱えると、舞台劇の中の貴婦人ワンダに完璧に変身する。
オーディション中の女優ワンダは、劇中の貴婦人ワンダの魂が乗り移ったかのように戯曲の解釈、脚本の長所と短所を的確に指摘する。
驚くトマを女優のワンダは挑発して、劇中の貴婦人ワンダに翻弄される作家役にトマ自身を据えることを提案する。
劇の外側つまり脚本の外の人物それも演出家という権力をふるえる立場に優越感と安心感を持っていたトマの立場は、劇内の人物に組み込まれることによって零落する。
劇の中の男優は貴婦人ワンダに虐げられることに快感を覚える作家役であるため、トマもワンダに支配される役を演じるはめになる。
女優ワンダは、トマが劇の外の映画内現実の世界に戻ることを阻止するために、トマの婚約者を利用して脅迫する。
劇中のマゾッホ役に落ちたトマが映画内現実に戻れる唯一の道具は、外部からかかってくる携帯電話である。
しかし劇中の貴婦人ワンダと劇外の女優ワンダは結託して、この文明の利器を逆手にとって彼女らの立場を有利に導く。
ワンダたちはトマを劇の内側に封じ込めるために、トマに携帯電話で婚約者に「今夜は戻らない」ことを宣言させる。
完全に二人のワンダの術策にはまったトマは、もはや言いなりである。
劇中の貴婦人ワンダにか、駆け出し女優ワンダにか、あるいはその両方に操られるトマは、ワンダとの役割交代を強要される。
女装させられたトマは、ワンダ役を押し付けられ、男役の作家を演じるワンダに折檻されて、至上の快楽を味わう。
この時点で劇と映画の境界線は消える。劇内の貴婦人ワンダと映画内の女優ワンダ、劇内の作家と映画内のトマは合体し、さらに二人のワンダと二人の男(作家とトマ)も一体化する。

ポランスキーは劇と映画の二つの世界の境界線を取り外すことによって、映画に劇を飲みこませた。
ポランスキーは、肥え太らせた映画をさらに拡大しようと仕組む。
第三の入れ子細工の作業として、映画が観客の生きる現実を飲み込むことを画策する。

魅惑のヴィーナスであるワンダ役を演じるのは、ポランスキーの30歳以上年下の愛妻エマニュエル・セニエである。
ワンダに権力を奪われて支配され、虐げられる演出家トマ役は、フランスのマチュー・アマルリックが演じる。
この芸達者で好感度の高い男優は、驚くほどポランスキーに似ている。
ポランスキーは、愛妻と自分と瓜二つの男優の起用によって、観客に実生活のポランスキー夫妻を想像させようと挑発しているのかもしれない。
『毛皮のヴィーナス』は、SM (サディズムとマゾヒズムを性的に楽しむこと)の語源となった男女の関係を描くため、ポランスキーは、言外のサービス精神、つまりゴシップ的好奇心を煽ることによって映画の外にいる観客の心を映画内により深く封じ込めるまじないをかけたのである。
女優ワンダの唱える呪文と同時に映画の世界に吸い込まれた観客は、映像の魅惑から逃げ出すことはできない。

ポランスキーが映画内のここかしこに仕掛けた魔法、つまり現実と虚構の倒錯、権力の倒錯、時空の倒錯、ジェンダーの倒錯の魅惑の罠にとらわれた観客に逃げ道はない。
『毛皮のヴィーナス』は、ワンダがその美しい肢体を官能と鞭を伴って披露したように、監督ポランスキーがその魅惑の正体を顕して映画内に観客を誘惑してひき込み離さないからである。

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