孤独のすすめ


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2013年ロッテムダム国際映画祭観客賞受賞、
モスクワ国際映画祭最優秀観客賞批評家賞受賞、
2014年SKIPシティ国際Dシネマ映画祭コンペティション長編部門最優秀作品賞受賞
世界各国の映画祭で大絶賛

『孤独のススメ』原題Matterhorn 
製作年2013年   製作国オランダ   配給アルバトロス・フィルム
上映時間86分   映倫区分G
スタッフ: 監督ディーデリク・エビンゲ  脚本ディーデリク・エビンゲ
キャスト:
トン・カス: フレッド/ ルネ・ファント・ホフ :テオ/ポーギー・フランセ:カンプス アリアネ・スフルーター
オフィシャル・サイト: http://kodokunosusume.com/
2016年4月9日(土)より 新宿シネマカリテほかにて全国順次ロードショー


『孤独のススメ』-オランダの面目躍如たる秀作

                     清水 純子

なんと素晴らしい映画だろう! 我々映画ファンは、こういう映画をずっと待ちわびていた!
『孤独のススメ』は、オランダの新人監督ディーデリク・エピンゲの手になる秀作である。
この映画のすてきさは、地味な宣伝用写真とタイトルからは簡単には想像できない。
映画のスチールも地味――年配のおじさまがぽつんと一人で列車の座席に座っている、窓ガラスにはその顔が分身のように映って本人を見返している、まさに孤独そのもの! 
なんの変哲もない、どこにでもいる、初老のサラリーマンのわびしい、しょぼくれた光景でしかない。
この映画のどこがそれほどいいのか?
しかし、映画を見終わったあとでは、過剰な宣伝を排して見栄をはらない、この静かな謙虚さが、逆にサプライズ効果を発揮して、中味を引き立てていることがわかる。

原題の「マッタ―ホルン」も余韻があっていいが、邦題の『孤独のススメ』 は、アイロニカル(皮肉)な響きを持たせて、味わいを増す。
『孤独のススメ』は、地味で奇をてらうことなく、平々凡々な日常性を淡々と映し出してスタートする。
緑豊かな美しいオランダの田舎町、バスの乗客は初老のフレッドだけである。
フレッドは、同じたたずまいの一軒家が何棟も並ぶ中の一つに一人で住む男、室内には妻と息子の写真が飾られている。
フレッドは、時計がきっかり6時をさすのを待って規律正しく一人で夕食を始める。
献立はバスに乗ってスーパーに買い出しに行った時の品々――スラーヴィング(ベーコンを巻いた俵状の合いびき肉)、ふかしジャガイモ、インゲン、それにジュネバ(オランダのアルコール度数35度のジン酒)――いつも同じものをきまって一人で機械的にロボットのように黙々と食べる味気ない夕食である。
フレッドは、田舎町に住む模範的良識的市民としての義務を怠らず、毎日曜日には必ず地元のカルビン主義の教会の礼拝に出席する。
ある日、フレッドのその規律正しい生活を脅かす浮浪者が現れる。
若くもないこの男は、嘘をついてガソリン代を巻き上げた償いにフレッドの家の草むしりを命じられてから、この家に居ついてしまう。
物言わず、知能もふつうではなさそうなこの妙な男を、フレッドは、息子の部屋に寝泊まりさせて、食事と衣服を与え、体を洗って世話を焼き、教会やスーパーに連れ歩く。
この男テオは、フレッドが自分を見て、妻や息子を思い出したと感じたのか、今はいない家族の役割を黙って演じる。
幼かった息子のサッカー・ボールを蹴り、妻が残したドレスを着て外出する。
狭い田舎町でフレッドとテオはたちまち「噂の二人」になり、家の壁には「ソドムとゴモラ」(『旧約聖書』の悪徳がはびこり、神の怒りにふれて滅ぼされた町)と落書きされる。

フレッドは、妻にプロポーズした思い出のマッタ―ホルンに、テオを連れていくことにする――「妻に結婚してくれるか?と聞くと、ハイと答えた」とフレッドが言うと、奇妙なことにテオが「はい、僕もあなたと結婚する」と答える。フレッドとテオの噂を心配した牧師が家にやってきて、テオを施設に預けるよう説得するが、テオには妻がいることがわかる。
テオは自動車事故で頭を打ち、瀕死の重傷を負ってから徘徊がとまらないが、フレッドの家が気に入ったようである。
フレッドは、事故ですべてを失って知的障害者になったこの男が、奇妙なことに自分の分身であり、息子や妻の投影像であることに気づく。

映画のチラシには「すべてを失くした男が何も持たない男から学んだ幸せとはーー?」とあるが、厳密に言うならば、「すべてを失くした男が同じくすべてを失くした男から学んだ幸せとはーー?」ということであろう。

孤独なフレッドと窓ガラスに映った分身を双子のように並べたスチール写真は、フレッドが喪失者同士顔を突き合わせることによって「ありのままの自分」を発見して再生する物語である。

キリストの「幼子(おさなご)のようになりなさい」 という言葉にある「無垢」を具現化したようなテオによって、フレッドは自分の不寛容とマイノリティーへの偏見を自覚して、一皮も二皮も向けて大きく羽ばたく。

最後の場面で、息子は死んだのではなく、フレッドが自分の意識から葬っていたことがわかる――深夜のバーで 「天使の声」で“ This is my Life: La vita“ を熱唱する息子に向かって、父フレッドが息子の名前を呼ぶ場面は感動的である。

シャーリー・バッシ―のこのヒット曲――「これが私の人生なの/ 今日も明日も私に愛が訪れる/ でもこれが私の生き方よ/ これが私なの/ これが私なの// これが私の人生なの/ 昔の気持ちはどうでもいいの/ 私は愛でいっぱいだから分けてあげる/ 私を生きさせて/ 私を生きさせて」 
(This is my life/ Today, tomorrow, love will come and find me/ But that's the way that I was born to be/ This is me/ This is me// This is my life/ And I don't give a damn for lost emotions/ I've such a lot of love I've got to give/ Let me live/ Let me live) (sung by Shirley Bassey, 1968) は、息子の魂の叫びである。父フレッドも今、息子の生き方を認めたのである。

『孤独のススメ』では、しつこいほど教会での礼拝場面と、牧師をはじめとする聖職者の日常生活への関わりが映し出される。
人間同士の愛を説く教会の教理(教え)が、実は差別を助長してきた事実をチクリと指摘しているのである。
おもしろいことは、悔い改めを説く牧師自身が、妻とテオの獲得において常にフレッドのライバルであった事実が判明するあたりである。
ものものしく堕落などと言わずに、コミカルで情けなく、人間は皆寂しいのだとヒューマンなタッチで描くところに、この映画のやさしさと温かさがある。  
 
参考資料:
『孤独のススメ』 プレス・シート 配給:アルバトロス・フィルム 後援:オランダ王国大使館 テキスト協力:落合有紀 kodokunosusume.com 2016年  

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