肯定と否定(横田)

(C)DENIAL FILM, LLC AND BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2016

原題Denial/ 製作年 2016年/ 製作国 イギリス・アメリカ合作/ 配給 ツイン/ 上映時間 110分/ 映倫区分 G/ オフィシャルサイト
スタッフ: 監督ミック・ジャクソン/ 製作ゲイリー・フォスター、ラス・クラスノフ/製作総指揮ジェフ・スコール、ジョナサン・キング/
キャスト: レイチェル・ワイズデボラ・E・リップシュタット/ トム・ウィルキンソン: リチャード・ランプトン/ティモシー・スポール: デイヴィッド・アーヴィング / アンドリュー・スコット: アンソニー・ジュリアス /ジャック・ロウデン;ジェームズ・リプソン/


『否定と肯定』--スリリングな法廷劇

                      横田 安正

はじめに
 ナチによるホロコーストは無かったと主張する人間が存在することは折りにふれニュースで散見する。しかし、法廷で堂々とこの考えを強弁する “歴史学者” が存在することは驚異というしかない。ホロコーストはアウシュヴィッツを占領したアメリカ軍が撮影したフィルムによっても明々白々であり、それを否定するのは、“1923年の関東大震災は無かった” と主張するに等しい。しかし、これは実際に起こった“実話”なのである。この裁判劇は日本における裁判のあり方にも大きな1石を投ずることになるかも知れない

訴訟
 アメリカのホロコースト研究家のデボラ・リップシュタット教授(レイチェル・ワイズ)は自身の著書の中デホロコースト否定論者として有名なイギリスのナチス・ドイツ学者デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)を激しく非難した。怒ったアーヴィングは彼女の教室に出向き、学生たちの前で「ヒットラーが署名したホロコーストの命令青を発見した者には1000ドルをあげよう」といってお金をばらまいた。
 その後アーヴィングはデボラに対し、著書の中で彼の名誉を毀損したとしてイギリス裁判所に訴訟を起こした。デボラはアメリカ人だが、彼女の著書がイギリスでも出版されているためイギリスでの訴訟が成立たのである。しかもイギリスでは名誉毀損の立証責任は被告に課せられる。彼女はアーヴィングの名誉を毀損していないことを証明しなくてはならなくなった。

弁護団の結成
 デボラはイギリスで著名な法律家を集め弁護団を組織した。主なメンバーは事務弁護士アンソニー・ジュリウス(アンドリュー・スコット)と法廷弁護士リチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)である。彼らはポーランドに渡り、地元の歴史学者ロベルト・ヤン・フアン・ペルトを伴ってアウシュヴィッツを訪れた。ユダヤ系のデボラはペルトの説明を聞いて激しく感情を揺さぶられる。しかし、弁護団のランプトンとジュリウスは極めて冷静で実務的、立証できる証拠にしか興味は無いとペルトに言い渡す。次第にデボラは弁護団の姿勢に疑問を抱くようになる。

弁護団の意図
 1988年、カナダで行われた裁判では、有名なロヒター報告書により、「アウシュヴィッツに処刑用のガス室が存在する事実はない」とされており、アーヴィングの嘘を実証するためには、ロヒター報告書を避けて通ることは出来なかった。しかし、弁護団からデボラは驚くべき戦略を知らされる。
 先ず、裁判を有利に進めるため、裁判員制度ではなく、裁判官制度で争うこと。そして、争点をアーヴィング個人に絞って、彼が過去に積み上げた嘘の数々を暴くことに焦点を絞るというものだった。ホロコーストの有無を議論すれば、アーヴィングの思うツボ、泥沼に引き込まれるというのだ。そのため、デボラには証言台に立たせず。ホロコースト生き残りの人たちも証人として呼ぶことはしないという。この作戦にデボラは激しく反発する。ストレートな論争を好むアメリカ人としてこうした裏技を使うことには賛同出来なかった。イギリスのユダヤ人コミューニティのメンバーも「アーヴィングの言いなりにならないで欲しい。デボラの出廷、ホロコースト生き残りの証言を望む」と申し入れてきた。イギリス人からなる弁護団とアメリカ人デボラの間の激しい軋轢は両者の文化的な違いを示すもので説得力がある。しかし、ランプトンの決心は固く、全てを任して欲しいと彼女を説得する。デボラはしぶしぶ従う他はなかった。

裁判
 いよいよ裁判の火蓋が切られた。原告アーヴィングと法廷弁護人ランプトンの一騎打ちである。アーヴィングはポーランド学者のペルトを証言台に呼び、アウシュヴィッツのガス室にガスの噴射口が存在したという証拠がないことを主張した。「ノーホール、ノーホロコースト(穴が無ければ、ホロコーストは無い)」というキャッチフレーズが新聞紙面を賑わした。
ここでランプトンはデボラの予想をはるかに越えた力量を発揮する。綿密に収集したアーヴィングの過去の発言、著作の内容の嘘を白日の元にさらすという試みは完璧に作動した。ある時はアーヴィングの虚栄心をくすぐり、ある時はわざと怒らせ、ある時は安心させるなど虚々実々の駆け引きで彼の本音、つまり嘘を引き出す老獪な技を存分に発揮したのである。
数日に渡る裁判で、ランプトンの鋭い舌鋒はとどまることを知らず、アーヴィングが稀代の大嘘つきであることを次々に実証した。ところが、誰にも勝敗は明らかと思われた最終日の弁論が終わった時、裁判官は不思議な発言をする。「アーヴィングが純粋に自説を信じているのであれば、その自説が間違っているとしても、嘘をついてはいるということにはならないのではないか」というものだった。デボラを不安に落とすには十分の発言である。

結審
 結審の日、結果は自分自身を弁護したアーヴィングとランプトン法廷弁護士には “他言無用” の条件で知らされていた。何も知らないデボラは裁判官の最後の発言が気になって焦燥の極にあった。しかし、彼女の心配をよそに結果は大勝利であった。記者会見で彼女は弁護団に深い感謝の言葉を述べ、アーヴィングに対しては何もいうことは無く、ホロコーストの被害者に対しては今後も長く語りつがれてゆくだろう、と語りかけた。ホテルでデボラはランプトンとシャンペンで乾杯、勝利の美酒を噛みしめた。
 1方、アーヴィングは敗訴したにも拘らず、テレビでホロコーストは無かったと相変わらず自説を述べていた。

終わりに
 この裁判劇は日本人にとっては衝撃的である。ミック・ジャックソン監督はイギリスにおける裁判の実態を冷徹に描いて見せた。弁護団が作戦を練る前半はやや退屈だが、法廷論争が始まる中盤からは息もつかせぬスリリングな展開を演出する。法廷弁護士ランプトンを演ずるトム・ウイルキンソンは、それまでの風采の上がらないくたびれた老人から1挙に変身、颯爽とした法廷弁護人を見事に演じて見せた。そこにあるのは言葉と言葉、ロジックとロジックの“木で鼻をくくるような”ガチンコ勝負だ。モラル・情といったあやふやなものは無い。情状酌量の余地などは一切出て来ない。日本の裁判で良く云われる「被告は充分に反省している」とか「同情する部分がある」とか「止むに止まざる状況があった」とかいう文言とは無縁である。日本人も世界にはこういう司法文化があることを知る必要があるのではないか、と筆者は思う。上映館はほぼ満席で中年以上の男性客が多かったが、彼我における裁判の違いに興味を持ってのことであろう。こうした海外における裁判の実態を日本人は認識し、活用すべき時が来ているのではないか。例えば、日韓で争われている「慰安婦」問題でも、我々は冷徹なロジックをもって対処し、勝利すべきである。それは充分に可能だと筆者は思いたい。

©2017  A. Yokota. All Rights Reserved.  17Dec.2017

 

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