リリーのすべて

    
『リリーのすべて』 (原題The Danish Girl)
製作年 2015 年  製作国 イギリス   配給 東宝東和   上映時間 120 分  言語 英語   映倫区分 R15+ 
スタッフ: 監督トム・フーパー/ 製作ゲイル・マトラックス.アン・ハリソンティム・ビーバン. エリック・フェルナー
脚本:ルシンダ・コクソン
キャスト:
エディ・レッドメイン: リリー・エルベ/アリシア・ビカンダー:ゲルダ /ベン・ウィショー: ヘンリク/セバスチャン・コッホ: ヴァルネクロス/ アンバー・ハード:ウラ
配給:東宝東和
公開日:2016年3月18日(金)全国公開
オフィシャルサイト:http://lili-movie.jp/

(C)2015 Universal Studios. All Rights Reserved.


『リリーのすべて』―― “本当の自分”を生かす性別適合手術

清水 純子

『リリーのすべて』は、90年も前に性別違和(性同一障害)に苦しんだデンマークの若者が、勇気ある性別移行(性転換)手術を決行するまでを美しく繊細かつ感動的に描いている。

1926年、デンマークの風景画家アイナー・ヴェイナーは、肖像画家の美しい妻ゲルダと相思相愛の幸福な男であった。
ベッドで愛し合い、満ち足りたセックス・ライフを楽しむ二人の美しい男女、どこにでもいる普通のカップルである。
アイナ―の転機は、妻の絵のモデルになったことによって訪れる。
ゲルダのバレリーナの肖像画のモデルが突然休み、追い込みに入っていたゲルダは、しかたなく夫のアイナ―にモデルの代役を頼む。
アイナ―は、気恥ずかしさを抑え愛する妻のために慣れないタイツを履き、トウシューズを足に引っ掛け、純白のバレエ・ドレスのロマンティック・チュチュを体の上から押し当てる。
ところが、軽く、軽快に流れるロマンティック・バレエ衣装の甘く霊妙な感触は、アイナ―が隠し、抑圧してきた“本当の自分”を浮かび上がらせてしまう。
アイナ―は、自分の内に潜んできた“女”が産声を上げるのを自覚する。アイナ―は、“女” である
もう一人の “本当の自分” をリリーと名づける。
リリーは、アイナ―の従妹として、パーティでその美しさが評判になる。
リリーが、ゲルダの描く肖像画のモデルになると、売れない画家であったゲルダの人気はうなぎのぼり、パリでの個展も大成功を収める。
夫アイナ―は姿をひそめ、代わりに美しいドレスをまとった女友だちリリーがゲルダの前に出現する。
アイナ―を熱愛するゲルダは、リリーを認めながらもアイナ―の消滅に悩み、精神科医を訪ねるが無力である。
ゲルダは、アイナ―が幼い頃キスしたハンスを訪ねて悩みをうちあけるが、ハンスはゲルダに心惹かれる。
その頃、リリーにも相思相愛の男友達ヘンリクができて、心だけでなく、体も女になってヘンリクを受け入れたいと真剣に願うようになる。
悩むリリーの前に、性別違和(=性同一性障害)者の性別適合(=性転換)手術を研究するドレスデンの婦人科医ヴァルネクロスが現れる。リリーは、前例のない手術を受ける決心をする。

『リリーのすべて』の画期的なすばらしさは、性別違和(性同一性障害)に悩む者のアイデンティティーを茶化すことなく、異端視することなく、“本当の自分”探しを奇をてらうことなく、真摯に、真正面から描いている点である。
同じく性別違和による悲劇を描いた『殺しのドレス』(Dressed to Kill, 1980nen )は、出色の出来ばえだが、ホラー映画である。
二重人格の主人公は、サイコ(変質者)であり、犯罪者であり、社会ののけ者としてのモンスターとして描かれる。
性別違和者は、社会に害悪を及ぼすために除去されるべき存在として位置づけられている。
女性同士の恋愛を描いたシャーリーズ・セロン主演の『モンスター』も、タイトルそのものにその社会的扱いが明らかにされる。
セロン演じるヒロインは売春婦+殺人鬼として処刑される。
これらの有名な映画では性別違和は、異常であり、反社会的なもののレッテルを貼られている。
逆に『トーチソング・トリロジー』(Torch Song Trilogy、1988)は、性別違和者をコミカルに描いて、“本当の自分”探しを自嘲的で自虐的な味つけをして観客を楽しませる。性別違和をユーモラスに描く方が作り手も受け手もスムーズにこの現象を咀嚼できるからである。

最近のLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア/クェスチョニングのコミュニティー)の認識の高まりに従って、性別違和者の“本当の自分”探しは市民権を得、性別適合手術も法的に認められるようになった。
それにつれて映画でもLGBTQを怪物と見たり、道化師扱いする傾向は薄らいできているが、それでも『リリーのすべて』のように、この問題を正面からまじめに美しく描ききることに成功した映画は少ない。

リリーが生きたのは1920年代のLGBTQに無理解どころか、そういう概念もない時代であったから、リリーが心ない人々によって「男女(おとこおんな)」として排斥され、暴行されたのは理解できる。
映画ではおめかしして街に出てきたリリーを二人の男がリンチする場面がある。
リリーにとって幸せだったのは、妻ゲルダの広い偏見のない心である。
ゲルダは、夫アイナ―の消滅を悲しみながら、アイナ―の“本当の自分”を受け入れ、リリーとして心身共に生まれ変わることを容認する稀有な妻である。
リリーも、抗生物質もペニシリンもなく、感染症の可能性も高く、性別適合手術の方法も確立していなかった
1920年代後半に手術に挑んだ稀有な勇気の持ち主である。
ゲルダとリリーの許容性と勇気の原動力となったのは、男女の性愛を超越した愛の力である。
ゲルダはアイナ―を心底愛していたから、リリーの出現を許せた。
リリーもゲルダを敬愛していたから、ゲルダの前では偽ることのない素顔、“本当の自分”つまり女であるリリーをさらすことができた。

性別適合手術後の心と体が一致した充足感に満足して、肉体的痛みから解放されたリリーのスカーフが、空中高く舞い上がる。
ハンスはリリーの思い出の喪失に慌てるが、ゲルダは「好きに飛ばせてあげましょうよ」と静かにやさしく微笑む。
ゲルダの言葉に観客の頬は涙でぬれることであろう。
ゲルダの究極の愛がリリーの魂を永遠に解放したのだから・・・

『リリーのすべて』は、男女の愛を超越した美しい愛の物語である。
真の愛は、神のいたずらを許し、魂を自由に羽ばたかせる。

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2016. Jan. 30

(C)2015 Universal Studios. All Rights Reserved.

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