ラビング~愛という名前のふたり~ 清水


第74回ゴールデン・グローブ賞 主演男優賞、主演女優賞のWノミネート
主演男優賞(ドラマ):ジョエル・エドガートン/主演女優賞(ドラマ):ルース・ネッガ

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『ラビング~愛という名前のふたり~』(原題Loving)
製作年2016年/ 製作国 イギリス・アメリカ合作/ 配給 ギャガ/ 上映時間122分/
映倫区分G/
配給会社:ユニバーサル・ピクチャーズ、フォーカス・フィーチャーズ/
スタッフ:監督&脚本:ジェフ・ニコルズ/ 製作:コリン・ファース、ゲド・ドハテ
 ィー、ナンシー・バースキー、サラ・グリーン、マーク・タートルタブ、ピーター・
 サラフ/
キャスト: ジョエル・エドガートン:リチャード・ラビング/ ルース・ネガ:ミルド
 レッド・ラビング/ ニック・ノール: マートン・ソーカス/
オフィシャルサイト: http://gaga.ne.jp/loving/
劇場公開日 2017年3月3日 TOHOシネマズシャンテ他全国順次ロードショー


『ラビング~愛という名前のふたり~』――ついに映画化された「ラビング判決」


              清水 純子


ラビング判決とは?

 アメリカ史上、人種差別撤廃判決として画期的なあの「ラビング判決」が、ついに映画化された。ラビング判決とは、アメリカの一部の州が禁じた異人種間結婚を強行した白人男性と黒人女性のラビング夫妻が、ヴァージニア州を相手に訴訟を起こし、1967年連邦裁判所の違憲判決を勝ち取ったケースである。この判決によって、アメリカでは異人種婚禁止法が効力を失った。

ラビング夫妻の愛、勇気、忍耐
 ヴァージニア州キャロライン郡セントラル・ポイントの白人男性リチャード・ラビングは、幼なじみの黒人女性ミルドレッドと愛し合っていた。ミルドレッドの妊娠を喜んだリチャードは、異人種間結婚を禁止したヴァージニア州を出て、ワシントンで婚姻届けを提出し、ラビング夫妻として郷里ヴァージニア州で生活を始める。ふたりの結婚を嗅ぎ付けた警察は、1958年7月、就寝中のラビング夫妻を寝室に踏み込んで逮捕し、留置する。翌年1959年「キャロライン郡とヴァージニア州を退去して、ふたり一緒に同所に戻らない」という条件付き執行猶予になる。ラビング夫妻は、故郷に心を残しながらワシントンD.Cで3人の子供と暮らす。時は1960年代、ケネディ大統領の治世で公民権運動が盛り上がりを見せていた。育ち盛りの子供の教育のために故郷に戻りたい妻ミルドレッドは、友人の勧めで大統領の弟ロバート・ケネディ司法長官に懇願の手紙を書く。このケースを委ねられたアメリカ自由人権協会(ACLU)は、やり手弁護士バーナード・コーエンを推薦する。無口で人見知りする夫リチャードは、乗り気でなかったが、妻ミルドレッドの積極性と後の人々のためという言葉に後押しされて、『ライフ』誌の取材に応じ、次々と続く裁判に耐える。ヴァージニア州裁判所は、ラビング夫妻の結婚を「異人種間結婚禁止法」に反するので違憲だとする。この件は米国連邦最高裁判所に上告され、1967年異人種間結婚禁止法は違憲であり、修正第14条の平等の精神に違反と判決が下る。異人種間結婚が合法化された6月12日は、「ラビング・デー」として記念日になる。


私は妻を愛している
 アメリカの人種差別の分岐点となったラビング判決は、裁判の手順だけを追っても、十分興味深いが、映画はふたりの男女の禁断の愛に焦点を絞っている。寡黙で無骨なレンガ職の白人男リチャードは、周囲の心配と反対をものともせずに、黒人娘ミルドレッドを妻にする。南部ヴァージニア州の人種混合禁止法に背いてもリチャードは法的に夫婦になりたかったので、ワシントンD.C.で婚姻手続きをすます。「同棲で十分、もっと賢くなれ」、「あんたはもう黒人だが、逃げる手はある、女房と離婚すれば何の問題もない、白人に戻れるさ」という黒人からの忠告を無視して「僕は妻を愛している」の一言でリチャードは突っぱねる。
 当時の慣習からすれば、リチャードの黒人娘との結婚は、公権力に対する挑発だととられてもしかたがない危険な自ら墓穴を掘る無謀な行為である。黒人娘のミルドレッドにしてみれば、白人男を自分がそこまで深く魅了した証拠なので、嬉しいにきまっている。ミルドレッドの姉は、妹と引き離されたので、リチャードの向こう見ずを責める。しかし黒人たちにしてみれば迷惑だけれど、嬉しい気もするのか、リチャードには概して親切である。
 リチャードが法を犯すまでに駆り立てたものは、ミルドレッドへのいちずな愛である。リチャードは浮気もせず、ミルドレッド一人を見つめて守り抜く。こんなひたむきな男は、白人同志の合法的結婚でもそうはいない。ミルドレッドを演じるルース・ネッガは、バンビを思わせる大きく可憐なうるんだ瞳、普段は夫に従順で女らしいが、母としての強さとアメリカ人に必要とされる強さと積極性も持ち合わせている。時と場合に応じて夫に甘えたり、夫を支えたり、後押しする柔軟で臨機応変な能力を持つことがうかがえる。こんな娘だったら、人種なんか関係ない!と納得させる。ネッガは、エチオピペア系の母とアイルランド人の父との間に生まれたハーフだが、エドガー・アラン・ポーが幻想的美女として詩や小説でイメージするのは、こういう人なのか!と思わせるような妖艶な美しさである。労働者階級の家庭の妻として飾らない身なりだが、異人種間結婚が映像上説得力を持つのは、エッガの魅力のためだと言える。


黒い血への恐怖
 アメリカの歴史は、品物のように売り買いされてアメリカに連れてこられた黒人を抜きにして語ることはできない。家畜として、あるいは機械の代用品として安い密輸入品だった黒人は、当初は人間だと思われていなかった。
 映画『マンディンゴ』が描くように、南部の男性農園主は、黒人女を妾にして孕ませてできた白人と黒人の混血児は、奴隷つまり家畜として売った。混血児を一定期間、成長させて出荷すれば商品になるので、農場の財産収入を増やす行為として白人男性の黒人女好みは咎められなかった。
 映画『リンカーン』(2012)でも、トミー・リー・ジョーンズ扮する奴隷解放急進派の共和党議員タデウス・スティーブンスが、自宅でベッドを共にしていたのが黒人女性だったことを記憶している方も多いかもしれない。スティーブンスは、『マンディンゴ』の横暴な農園主とは違って、パートナーの黒人女性を人間として扱い、尊重していたことがうかがえる場面ではあった。ここまでは不思議なことではないかもしれない。

  しかし次は波紋を呼ぶ出来事である。バーバラ・チェイス=リボウ著『大統領の秘密の娘』によると、アメリカ建国の父と謳われるトマス・ジェファソンも黒人奴隷サリー・ヘミングスに娘ハリエット・ヘミングス他数名の混血児を産ませていた。1/4黒人の血が入った奴隷女のヘミングスは、夭折したジェファソン夫人の異母妹だったから、娘ハリエットは、黒人の血が1/8になり、外見は白人に見えたという。ハリエットは、裕福な白人男性と結ばれて白人社会に入っていった。この話も『ある大統領の情事』(Jefferson in Paris、1995)としてニック・ノルティ主演で映画化されている。  

 なぜハリエットの白人社会入りが問題になるかというと、アメリカで白人だと思っている者の体内に黒人の血が知らない間に混じったことが、白人にとって恐怖になるからである。アメリカ南部の女性作家ケイト・ショパンに「デジレの赤ちゃん」という短編がある。孤児の美女デジレが見染められて南部農園主の子を産むが、赤ん坊は黒人であった。黒人の血が混じっていたために追放されたデジレは、絶望して男の赤子と共に入水(じゅすい)(川に飛び込んで自殺)する。厄介払いをしてほっとした農園主は、古い手紙を焼却するが、その中に亡き母が父にあてた文(ふみ)があった――「旦那様、私が黒人であるにもかかわらず、正式な妻にしてくださり、ありがとうございます。幸い生まれた男の子も白人に見えます」と書いてあった。デジレではなく、なんと自分が黒人だったのである。


一滴の黒い血は黒
 アメリカ南部は、プランテーション農園経営のために黒人奴隷を多く必要とした。その結果この地域は当然黒人の人口が多く、黒人がもたらした文化が根付く。そのためにいっそう黒人の血が白人に混じることへの恐れと嫌悪が広がった。1924年ヴァージニア州で「人種純血保全法」が成立し、コーカソイド(白色人種)以外の血が一滴でも流れているものを黒人と決めて、白人との結婚を禁止した。これも黒人の血が混ざっているにもかかわらず、白人に見える “黒人” が、白人を名乗って白人社会に侵入する「パッシング」への警戒心からである。「白い黒人」と呼ばれるのが、パッシングの可能性を持つ人々ということになる。


オバマは黒人なのか?
 バラク・オバマは、黒人初のアメリカ大統領だが、オバマを「黒人」と言い切るアメリカ人の見方に疑問を感じたことはないだろうか? オバマを黒人とするのは、「黒人一滴の血は黒人」のルールに基づいている。オバマの父はケニア人だが、母は白人なので、オバマは黒人であり白人でもあり、逆に言えば黒人でもなく白人でもなく、正確に言うと黒人と白人のハーフになる。またオバマ夫人ミシェルも黒人とされるが、白人の農園主が黒人女奴隷に産ませた子孫であることがわかっている。ミシェルに黒人側から「一滴の血のルール」を適用するならば、白人の血一滴で黒人でないということにならないだろうか? このように論理的に考えると、アメリカの黒人分類はきわめて不合理であいまいなのだが、それが白人優位のアメリカ文化の作り出した枠組みであり、境界線なのである。

黒人男の白人女レイプの悪夢
 アメリカの白人にとって、白人種の純血が汚されるという恐怖は根強い。特に黒人男性が白人女性をレイプして混血児を産ませるという悪夢が南部では潜在的に存在すると言われる。その恐怖から起きた黒人青年に対するリンチは南部で多発した。男女間の人種隔離を正当化する異人種婚禁止法と、それを破った合法的罰が留置であり、非合法の罰がリンチであったと考えられる。


異人種婚禁止法を破った結果の勝利
 ラビング事件は、白人男性と黒人女性の恋愛なので、法的結婚という手続きを取らなければ問題にならなかったケースである。南部では白人男性が美しい黒人女性をミストレスにすることは多くあった。性的関係によって混血児が生まれても「一滴ルール」によって、その子どもは黒人とみなされるので、白人である男性に社会的咎めはないことになる。リチャードもミルドレッドを正式な妻に迎えなければ、ふたりとも留置されることなく、故郷ヴァージニア州に住み続けていられたかもしれない。
 しかし、ふたりが当時の良識に背いて、正式な結婚という手段をとったからこそ、「ラビング判決」によって、異人種間結婚が合法となる。アメリカ史の大きな区切りとなる人種差別撤廃の壁を崩したのは、リチャード・ラビングの牛のように鈍重で静かだが、ひたむきでひるまない勇気であった。そして夫の勇気をアメリカ全土に行き渡らせたのは、妻ミルドレッドの積極性と、公民権運動を推進したケネディ政権の後押しである。
『ラビング~愛という名前のふたり~』は、名優コリン・ファースならずともプロデュースに名を連ねたくなる推奨の映画である。


参考資料
プレスシート 『ラビング~愛という名前のふたり~』 GAGA 2016.
山田史郎 『アメリカ史のなかの人種』 山川出版 2006年
チェイス=リボウ、バーバラ『大統領の秘密の娘』下河辺美知子訳 作品社 2003年

 


©2017 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2017. Jan.22



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ラビング夫妻

 

 


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