まったく同じ3人の他人(清水)

©Newsday LLC


『まったく同じ3人の他人』
原題 Three Identical Strangers/ 製作年 2018年/ 製作国 アメリカ/上映時間 96分/
スタッフ: 監督ティム・ウォードル / 製作 ベッキー・リード/ グレイス・ヒューズ=ハレット/ 撮影 ティム・クラッグ/ 音楽ポール・ソーンダーソン/
オフィシャルサイト
キャスト: Silvi Alzetta-RealiEddy/ GallandRon Guttman/ David KellmanAdrian/ LichterAndrew/ LoveseyRobert / ShafranRachel/ VanDuzer/
2018年・第31回東京国際映画祭「ワールドフォーカス」部門上映作品/
サンダンス映画祭審査員特別賞受賞作品/


『まったく同じ3人の他人』:三つ子の笑えない再会実話

                            清水 純子

19才の幸せな再会
 エーリヒ・ケストナー(1899‐1974ドイツの詩人・作家)作『二人のロッテ』に子供の頃あこがれた人も多いことだろう。両親の離婚によって別々に育った一卵性双生児の姉妹が、スイスの林間学校で偶然出会い、一計を案じて入れ替わって両親の元に戻り、幸福になる物語である。
 『二人のロッテ』に似た実話が1980年ニューヨークで現実に起きた。19歳のボビーは、サリバン州立大学に入学した初日から、多くの人々が親しげに声をかけ、ハグする―「やあ、エディ!戻ってきたのか?」と。驚いたボビーは、エディの家を訪ねて再度びっくり! エディは自分と生き写しだった。ボビーとエディはどう見ても一卵性双生児! この驚きのエピソードは新聞に載って人々の関心を呼ぶが、さらなる驚きが待っていた。この記事を見た第三のそっくりさんのデイヴィッドが名乗りを上げた。3人の青年は、一卵性三つ子だったのである。再会した3人は息がぴったり――質問に対して同時に同じ言葉と声で答える、たばこや食べ物の好み、そして女性の好みも一緒、子犬のようにじゃれあった。このほほえましい光景は、好意をもって世に受け入れられ、3人はTVや映画の人気者になる。ここまでは、『二人のロッテ』さながらのハッピーな物語である。しかし、現実の世界は簡単なハッピー・エンドで終われない。

モルモットにされた三つ子
 有名人になった3人は、生みの母に会いたくなる。実母のユダヤ系女性は、プロムで知り合った男によって妊娠して困っていた。最大手の養子縁組会社「ルイーズ・ワイズ」は、上流階級、中流階級、庶民階級の3つの階層に分けて、3人の赤子をそれぞれ託す。3人ともに養女の姉がいて、偶然にしては不自然なまでに類似した家族構成である。映画は、三つ子の養子縁組はアメリカの研究機関による実験の一環だったことを明らかにする。
 三つ子の実母は、精神疾患を患っていた。精神の病が遺伝性か環境によるものなのかをみきわめるのに、三つ子は絶好の実験材料であった。三つ子を一か所でなく、引き離して育てたのは、研究成果を上げるためである。三つ子が引き離されることの心の痛手は考慮されず、それぞれの養父母には三つ子である事実は伏せていた。三つ子の生育の追跡調査は、定期的に周到に行われたが、養子縁組を促進するための調査と言われて、養父母は疑問を持つことはなかった。三つ子であったことを知った当人の3名の青年は、兄弟の存在を喜んだが、養父母一同は欺かれたという感情を隠し切れなかった。

人権無視の秘密の実験
 養父母の困惑と怒りをよそに喜ぶ三つ子を見れば、悪いもくろみではなかったと思えるかもしれない。クラスは違っても、3人がすべて幸福な家庭を割り振られて、実母より養父母が大切と言い切れる人間関係を築くことはすばらしい。
 問題なのは、研究機関が当事者に無断で人権無視の秘密実験を行ったことにある。精神疾患が遺伝なのか後天的なのかという微妙な問題の調査のために、民間人を欺いて使ったことになる。事情をそのまま話して納得する養父母は少ないだろうからやむを得ないという言い訳は成り立たない。人間のモルモット化、秘密の人体実験は道義上許されない。然も子供を育てられない親と子供が得られない親の弱みを利用して、だまし討ちの実験は糾弾されるべきである。

人体実験が明らかにできない人間精神の複雑さ
 三つ子は、出会った当初は和気あいあいだったが、有名になったことを機に合弁会社を立ち上げた頃から、仲がぎくしゃくし出す。まとめ役の養父が亡くなってから、3人はばらばらになって、口もきかないほど疎遠になる。一番の人気者のエディが、実は躁鬱病であったことが明らかになる。3人は幼い頃から頭を壁にぶつける自傷行為があり、思春期に軽い精神的トラブルで入院した共通の経験を持つ。3つ子の共通の精神的傾向を、本来一つであったものを三つに分割したむごい行為のせいなのか、あるいは母からの遺伝に帰すべきなのかはわからない。
 しかし、躁鬱病が高じて自殺に至ったのは、エディだけである。他の2人は、心配されながらも無事に過ごしているようだから、遺伝だけがその人の方向性を定める要因でないことは明らかである。三つ子の例から考えて、精神疾患の発生は、遺伝と環境(特に人間関係)の双方によると推定される。

インフォームド・コンセントの必要性
 人間の精神の在りようを調査するのは、近年の個人情報の守秘義務とプライバシーや人権の尊重の機運の高まりゆえ、方法を選ばなければならない。三つ子の実験は1960年代の公民権運動のさなかに起こった出来事であり、人権運動の過渡期のできごとであった。
 対象になった三つ子も、養父母家庭も当時は非白人とされていたユダヤ系であったことにも人種差別が感じられる。この三つ子実験は、ナチスの人体実験を思い出させないだろうか?
 現代であれば、インフォームド・コンセント(医師が患者に治療の目的や内容を説明して患者の同意を得ること)にならって、研究団体が被験者の十分な理解と納得を得るまで説明して同意を得てから実行しなければいけない。三つ子の物語がほほえましい出来事で終われないのは、人権を損なう人体実験の黒い野望が潜んでいたからである。
 三つ子の物語が恐怖を与えるのは、過去の終わったできごとだと思えないからである。現在もどこか知らないところで、知らない方法で、この種の実験が行われている可能性はある。

©2018 J. Shimizu. All Rights Reserved. 3Nov 2018

©Newsday LLC



 50音別映画に戻る