ミナマタ

『ミナマタ』原題:Minamata


2020年製作/115分/G/アメリカ/配給:ロングライド、アルバトロス・フィルム
スタッフ:監督 アンドリュー・レビタス/ 製作 ジョニー・デップ他/脚本 デビッド・
ケスラー他/ 撮影ブノワ・ドゥローム/ 音楽 坂本龍一/
キャスト:W・ユージン・スミス--ジョニー・デップ/ マザキ・ミツオ--真田広之/ノジ
マ・ジュンイチ--國村隼/ アイリーン--美波/ キヨシ--加瀬亮/ マツムラ・タツオ—
 浅野忠信/ マツムラ・マサコ--岩瀬晶子/ ロバート・“ボブ”・ヘイズ--ビル・ナイ/
2021年9月23日全国公開 TOHOシネマズ日比谷ほか全国にて 公式サイト


「ミナマタ」――ユージン・スミス演じてジョニー・デップ復活
                      
                              清水 純子

☆水俣病発症の顛末
 「ミナマタ」は、化学会社チッソが引き起こした産業公害を告発する。熊本県八代海の水俣湾一帯は、魚場として名高い豊かな海だったが、大企業チッソが垂れ流した工場廃水によって汚染されていた。1950年代から地域の動植物に異変が見られ、人間にも深刻な被害が及び、病気になったり、死に至ったりする例が見られるようになった。水銀に冒されて目が見えない、話せない、歩けない子供たちが生まれ、胎児性水俣病だと訴えても、チッソは脳性小児麻痺だとして取り合わなかったために、抗議運動が激化した。1971年、運動に背中を押されたアイリーンは、NYに出向いて『ライフ』誌のカメラマンのユージン・スミスに取材を依頼するが、太平洋戦争取材時に沖縄で重傷を負ったスミスは首を縦にふらなかった。しかし水俣病の悲惨な写真を見たユージンは心を揺さぶられ、『ライフ』の編集長を説得して、アイリーンに案内されて水俣へやってくる。撮影は、住民の警戒心やチッソの妨害のためにうまくいかず、ユージンもカメラを捨ててしまう。しかしチッソに暗室を焼かれ、抗議デモに巻き込まれて重傷を負ったユージンに住民は心を開き、悲惨な姿の撮影を許す。『ライフ』に掲載された水俣病患者の写真は世界中の目を再びユージンのもとに集める。水俣病の訴訟は勝訴するが、いまだ病に苦しむ住民は絶えない。

ユージンによってジョニー復活
 著名なフォト・ジャーナリストのユージン・スミスに憧れていたジョニー・デップは、スミス役のオファーに飛びついたばかりでなく、できるだけ事実を正しく伝えるためにプロデューサーを買って出たという。
 映画の冒頭に登場するユージンは、家族にも見捨てられたアル中の中年男で、カメラマンとしての名声は遠い過去になり、『ライフ』の編集長にも「史上最も厄介な写真家」と拒絶される。希望のない現実に自殺すらしかねないすさんだ心に再び情熱の火をともすのは、日本からアイリーンが持参した水俣の写真だった。撮影すべき対象を再び見出したユージンは、一気にカメラマン魂を取り戻す。
 役者ジョニー・デップは、このところ私生活のつまずきやトラブルが絶えず、アル中、薬中再発がささやかれていただけに、ユージン・スミスの役は、はまり役であり、ジョニーの役者魂再燃の火付け役になったのだろう。ユージンを演じるジョニーは、最初から最後まで見事な役作りで観客をうならせる。この著名な写真家の魂が乗り移り、時を経て甦ったかのようである。ジョニーはユージンの魂を演技によって生き返らせたことにより、役者魂を復活させた。ユージンを演じるジョニーを見たファンは、さすが!ジョニー・デップは健在!これからも活躍してくれる!と確信する。

カメラは過去の日本を甦らせる
 1970年代日本の水俣は、セルビア、モンテネグロをロケ地に再現されたそうだが、陰影に富む貧しい掘っ建て小屋のような家屋と畳の茶の間、能面のような顔の奥に怒りを秘めた住民の表情がなんとも日本的で郷愁を呼ぶ。21世紀の日本の大都会では忘れられた光景だが、カメラは昔の日本も再現してくれる。ユージン・スミスの写真が本物を撮っているのに対して、映画内1970年代水俣の撮影対象は偽物であるが、それでもひと昔前の日本を見事に表現している。

☆写真は撮る者の魂をも奪う
 写真家ユージンの言葉で印象的だったのは「写真を撮られると魂を奪われると恐れる者がいるが、写真は撮る者の魂も奪うのさ」というくだりである。写真を撮ることに命をかけ、何度も負傷した名カメラマンならではの名言である。ユージンがその実力と名声にもかかわらず、人生にも仕事にも敗れ、裏切られていたのは、写真を撮って魂をカメラに吸い込まれてしまったからだと見える。写真に魂を吸われてもぬけの殻になったユージンは、気力を失い、生きる意志すら見られない姿になり果てたのか? しかし、写真によって魂を奪われたユージンの魂を再燃させるのも写真である。ユージンは、写真に食われて消耗するが、そのあとで写真によってエネルギーを補充して甦る。写真家ユージンは、カメラによって殺され、甦らされる。
 ここでもユージンとジョニーの逆方向のパラレルがみられる。役者ジョニーは、映像に幾度も繰り返して撮られることによって魂を奪われ、すさんだ状態に陥るが、再び映画に出ることによって息を吹き返すからである。撮り手になるか、被写体になるかの違いはあっても、ユージンとジョニーはカメラに向かって勝負するという点で同族である。役者であるジョニーがカメラマンのユージンに憧れ、共感するのは当然ともいえる。写真を媒介にしてジョニーは、ユージンに魂を奪われたのである。

☆「入浴する智子と母」はピエタ?
 ユージン・スミスの水俣写真集でも最も有名なのは、「入浴する智子と母」であろう。水俣病に侵されてやせ細り、目をむく智子を慈愛のまなざしでいとしげに入浴させる母の姿をおさめたユージンのモノクロ写真は、西洋ではピエタの構図を思い起させるのではないだろうか? ピエタは、「慈悲」の意味だが、聖母子像の一種で、磔刑になった後に十字架からおろされたキリストの遺骸を抱く悲しみの聖母マリアをモチーフにした宗教画や彫刻を指す。変わり果てたわが子を悲しみとあきらめの視線でつつみ、物言えぬ智子を捨てることができず愛してやまない切ない母心に、世界は胸うたれたのではないか? 
 ピエタの母子像になぞらえて日本の水俣病患者の痛ましさを表現した構想にユージン・スミスの鬼才がしのばれる。そしてそのユージンを見事に演じ切ったジョニー・デップの卓越した演技力が賞賛される。

   ©2021 J. Shimizu. All Rights Reserved. 10 Sept 2021

©Larry Horricks/ ©2020MINAMATA FILM


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