燃ゆる女の肖像


『燃ゆる女の肖像』


2019年製作/122分/PG12/フランス/
原題:Portrait de la jeune fille en feu
原語:フランス語/イタリア語
配給:ギャガ
スタッフ:監督&脚本セリーヌ・シアマ/ 製作 ベネディクト・クーブルール/
キャスト:マリアンヌ-ノエミ・メルラン/ エロイーズ-アデル・エネル/ソフィ-ルアナ・バイラミ/ 伯爵夫人-バレリア・ゴリノ/
オフィシャルサイト:https://gaga.ne.jp/portrait/

カンヌ国際映画祭脚本賞&クィア・パルム賞受賞/ ニューヨーク映画批評家協会賞撮影賞受賞

『燃ゆる女の肖像』―絵筆が綴る百合ロマンス
                            清水 純子

 1770年、伯爵夫人から娘エロイーズの肖像画作成を秘密裡に依頼されたマリアンヌは、荒波にもまれる小舟に乗ってブルターニュの孤島に到着する。肖像画はミラノの貴族に嫁ぐエロイーズの見合い写真代りであり、マリアンヌは当然のことながら画家である。縁談を嫌った長女が自死し、次女エロイーズも前の画家に顔を隠したため、伯爵夫人はマリアンヌに散歩相手を装うことを厳命する。エロイーズに悟られることなく肖像画を完成したマリアンヌがエロイーズに見せると「これは私でない!」と強い拒否にあう。画家としてのプライドを傷つけられ、肖像画の顔を潰したマリアンヌに、エロイーズはモデルになることを申し出る。母の伯爵夫人は、数日の猶予を与えてパリに出かける。ここから百合ロマンスは本格的に始動する。

百合ロマンス
 百合は、「女性同志の愛」を意味する隠語である。ボーイズ・ラブが「薔薇族」と呼ばれるのに対比される。権威、階級、モラルの境界線の管理人である伯爵夫人の退去によって、マリアンヌとエロイーズは禁断の百合ロマンスを大きく自由に花開かせる機会を得た。画家マリアンヌの観察する視線に内面を探られて裸にされたエロイーズは、秘密を打ち明けた患者が告白相手の精神分析医に恋するようにマリアンヌに恋心を覚える。家政婦ソフィ―の中絶を機に一気に打ち解けたマリアンヌとエロイーズは、女同志の連帯感を確かなものにしてベッドインへと進む。残されたわずかな時間の中で育まれた二人の愛は、マリアンヌの絵筆に艶を増し、完成した肖像画はエロイーズ自身の内面を織り込んだ見事な仕上がりをみせる。

振り返るオルフェウ
 肖像画の完成と時を同じくして舞い戻った伯爵夫人の帰宅は、二人の百合ロマンスの終焉を意味した。運命に逆らえないエロイーズは、マリアンヌに母の選んだ花嫁衣装を着て別れを告げる。城を去るマリアンヌはギリシア神話オルフェウスが亡くなった妻エウリュデケを振り返って見るように、城に残されたエロイーズを振り返る。
 何年か後、母となっただエロイーズの肖像画には二人の秘密の愛の28頁が織り込まれていた。そののちミラノの音楽会でヴィヴァルディの『四季』に感動するエロイーズは、向いの席に座るマリアンヌに視線を向けることはなかった。「振り返るな」という約束を破ったオルフェウスによってハデスから脱出しそこなったエウリュデケのように、マリアンヌは貴族の娘として生まれ、生涯を終える運命から逃れることはなかった。

回想の担い手は家マリアンヌ
 マリアンヌとエロイーズの百合ロマンスは、マリアンヌの一方的な回想形式によって語られる。絵画教室で教えるマリアンヌの背後に掛けられた絵、火が付いたドレスの女性の絵、のタイトルを女子学生に尋ねられて、「燃ゆる女の肖像」(Portrait de la jeune fille en feu)とマリアンヌが答えるところから回想は始まる。この映画の主軸に据えられ、リードをとるのは、客体に対して視線を注ぎ、絵という形で表現するアーティスト、ものつくりの主体であるマリアンヌである。『燃ゆる女の肖像』はマリアンヌという一人の女性アーティストが紡ぎ、マリアンヌの視点の支配を受けて生み出された回想物語ということである。
 ホアキン・フェニックスに面差しの似た、りりしい美女のマリアンヌは、ギリシア神話のオルフェウス役であろう。貴族に生まれ貴族に嫁ぐエロイーズが、黄泉の国ハデスに下るエウリュデケの役どころなのであろうか? 
 18世紀の重苦しいドレスをまとった女二人の百合関係は、社会的に許容されるはずもなく、生きる場を持たないロマンスである。修道院に閉じ込められていたエロイーズが、自分を熱心に見つめて興味をもって観察してくれたマリアンヌに恋心を抱くのは不思議ではない。世間知らずの女の園に育った娘が、りりしい美女に惹かれるのは宝塚の男役への思慕に似ている。意志の強そうな男顔のノエミ・メルランだったら女に惚れられる資格を充分備えている。しかしいくら愛し合ってもこの時代の女同志の愛は不毛で、次世代への足掛かりにはならない。二人の間には子供はできないし、愛し合った証拠も残らないので胸に秘めておくならば,障害にらないし、社会的な支障はない。嫌々ながらも結婚を選ばされたエロイーズには子供が授かり、結婚せず中絶によって子供を拒否したマリアンヌには、絵が残される。子供を持たない選択をしたマリアンヌには回想による物語を生み出し、世に残す余地と必要があったのだろう。

 ハッピーエンドに終わらない、訣別したまま別々の人生を選ばざるを得なかった女たちの物語だからこそ、見る者の心に訴え、やるせない余韻を呼ぶのだろう。

©2020 J. Shimizu. All Rights Reserved. 26 Dec.2020

(C)Lilies Films.



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