ニュースの真相 

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『ニュースの真相』(原題 Truth
製作年 2015年 / 製作国 オーストラリア・アメリカ合作 /
配給 キノフィルムズ / 上映時間 125分 / 映倫区分 G
スタッフ:監督ジェームズ・バンダービルト/ 製作ブラッドリー・J・フィッシャー、 ウィリアム・シェラック、ジェームズ・バンダービルトブレット・ラトナー/
キャスト: ケイト・ブランシェット:メアリー・メイプル/ロバート・レッドフォード; ダン・ラザー /エリザベス・モス: ルーシー・スコット/ トファー・グレイス: マイク・スミス/デニス・クエイド: ロジャー・チャールズ中佐/
TOHOシネマズシャンテ 他にて大ヒット上映中
オフィシャルサイト http://truth-movie.jp/


ニュースの真相』――ジャーナリズムの闇と光

                     清水 純子

<報道の使命は事実をありのままに伝えること>   
 『ニュースの真相』の原題は Truth (真実) である。
真実を大衆に伝えようとするジャーナリストは、事実を明らかにするために取材をして裏付けをとる義務がある。推測に基づく記事は、ジャーナリズムの信頼を失墜させるからである。
 しかし、客観的事実に基づく真実の報道がジャーナリズムの使命だとしても、はたして報道の中立公正は現実に存在するのか?という疑問を『ニュースの真相』 は提起する。ジャーナリストが事実を情報の形にして受け手に伝える時に、送り手の判断が加わることは起こりうる。それゆえ、報道とは「事実をありのままに伝えることだと肝に銘じよ」と言われる。

<『ニュースの真実』が落ちた闇>    
『ニュースの真相』は、事実とされる情報を真実に昇格させる際の取材と裏付けの手順の甘さをつかれて、有能なジャーナリストが権力によって陥れられ、情報それ自体が無効にされ、真実が闇に葬られた実話を描く。
2004年、アメリカ合衆国最大のテレビ・ラジオ・ネットワークCBSニュースで『60ミニッツII』 の女性プロデューサーのメアリー・メイプスは、当時の大統領ジョージ・W・ブッシュの軍歴詐称疑惑を裏付ける「キリアン文書」を入手したので、取材を開始して裏をとり、大スクープとして放映する。
ブッシュ政権を揺るがし、大統領の再選を危うくするこの報道に他局も飛びついたが、ネット上のブロガーが、タイプライター時代のフォントや書式形式からこの文書を偽造とみて攻撃を開始する。文書がコピーであったために非難の矛先は、メアリーに向けられる。メアリーに責任をとらせるために内部調査委員会を設置したCBSは、ブッシュの疑惑の真偽には触れず枝葉末節な手続きと断片的証拠を盾にメアリーを弾劾して、解雇する。メアリーと名コンビを組んできたアンカーマン兼編集責任者のダン・ラザーも、巻き添えを食ったように降板する。

<自伝が明かす真相>
『ニュースの真相』は、メアリー・メイプスの自伝を基にした映画化である。
真実に迫りながら、ブッシュ政権の力にねじ伏せられ、汚名を着せられて解雇されたメアリーのジャーナリストとしての勇気と使命感は、自伝に明かされ、その映画化によって世界中の観客の胸を熱くする。 権力者の不正と腐敗はジャーナリズムがとびつくスクープであるが、権力者はその報道をできれば潰したいと願う。そこに報道と権力の攻防戦が発生するのだが、メアリーが形の上で負けたのは、CBSの幹部が利害関係からメアリーに味方せず、切り捨てたからである。
映画『大統領の陰謀』(1976年)は、ニクソン大統領のウォーターゲート事件を調査して、ニクソンを退陣に追いこんだワシントン・ポストのジャーナリストの物語だが、この時は新聞社の上層部が記者を全面的に支援した。

<メアリーは異端審問委員会の生贄(いけにえ)>    
『ニュースの真相』は、後味が悪いことに、問題の本質を無視して、メアリーに全責任を負わせて企業の安泰を図った。メアリーが喚問された調査委員会は、中世カトリック教会の異端審問委員会のような圧力団体に見える。メアリーは、どう抗弁してもあらかじめ有罪の確定した魔女にされるしかない、処刑を免れることはできない運命である。生贄にされるのを覚悟で裁判に臨んだメアリーは、ジャーナリストとしての使命と正義を堂々と訴えて退場する。 調査委員会は、放送内容が誤りだとも、ブッシュの軍歴詐称や職務怠慢が嘘だとも言っていないし、メアリーの主張の正しさを認めないわけではなかったのだろうが、メアリーを罷免する。マスコミは、イラクの刑務所虐待事件を初めて放送したベテランの敏腕女性プロデューサーに捏造の汚名を着せて中傷する。正義を大切にするアメリカにあるまじき周囲の反応は、まるで魔女狩りのそれである。

<闇から浮上して再び光を浴びるメアリー>
 ジャーナリストの役目は、権力の持つ闇の部分を暴き、大衆に知らせることにあるとされるが、強大な政治権力の下では、闇を暴いたためにその情報ごと告発者も闇に葬られる危険を孕んでいる。メアリーの場合、口封じのために命をとられることがなかったのが救いだったとすら言える。
 しかし、メアリーは、屈辱に耐えて生き延び、自伝で真実を明らかにしたために、再び日の目を見ることができた。時を経て冷静さを取り戻したマスメディアは、メアリーに共感し、メアリーに同情する。『ニュースの真相』のメアリーの場合は、報道の中身が正しかったにもかかわらず、若干の準備不足に足をすくわれた気の毒な例である。

<報道過剰の問題   
しかし、報道と真実、あるいは報道過剰という別の問題もこの映画は提起している。 ジャーナリストが「真実を伝える」ことは不可能であると考える人もいる。客観的報道などありえない、なぜならば情報の送り手は、受け手に伝える時点で主観的判断を下しているからである。たとえば、この事件は報道するが、あの事件はやめておこう、この事件のこのことは伝えてあのことは伏せておこう、という判断それ自体に報道する側の価値判断による取捨選択がすでに加わっている。あるいは、報道の過剰という問題については、もしパパラッチがいなければ、英国のダイアナ妃は今でも生きておられたと思うことはないだろうか?「真実」を報道しようとするジャーナリズムは、その意味で諸刃の剣であると言える。過度の真実追及の態度が取材相手を滅ぼすことになったり、逆に報道したものを窮地に追いやることが多くある。取材のためにイスラム国に潜入した結果、拉致されて命を落とすジャーナリストが世界各地で存在することが無茶な取材に伴う危険を物語る。

<魔女狩りはネットから始まった>    
 メアリーの魔女狩りの発端になったのが、ネットであったことも21世紀特有の新たな現象である。ジャーナリズムとは、時事問題の報道・解説・批評などを新聞・雑誌・ラジオ・テレビを通じて伝達する活動とその機関をさすが、インターネットの発展と共にブロガー(ブログを公開する人)が個人的に情報や意見の提供に勝手に加われるようになった。インターネット上の言論空間では、様々な意見が自由奔放に、ある意味で無責任に公開され、読者はそれらを横断的に読めるので、偏向した見解がまたたくまに流布する危険性もある。その意味でメアリーの置かれた環境は、70年代中庸のジャーナリストがまだ安泰で英雄でいられた頃とは異なり、生き馬の目を抜くせちがらさにさらされていたことを理解しなくてはならない。


『ニュースの真実』は、ジャーナリズムが置かれた21世紀の危うい事態について、様々な角度から考えさせる。

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2016. Sept. 11

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