パーソナル・ショッパー(清水)


第69回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門監督賞受賞 (C)2016 CG Cinema – VORTEX SUTRA – DETAILFILM – SIRENA FILM – ARTE France CINEMA – ARTE Deutschland / WDR


『パーソナル・ショッパー』(原題Personal Shopper)
製作年 2016年/ 製作国フランス/ 2016年/フランス映画/英語・フランス語/1時間45分/シネマスコープ/カラー/5.1ch/ 配給 東北新社、STAR CHANNEL MOVIES/ 上映時間 105分/ 映倫区分G/
2017年5月、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国公開/
オフィシャサイト:http://personalshopper-movie.com/
スタッフ: 監督&脚本オリビエ・アサイヤス/ 製作シャルル・ジリベール/ 撮影ヨリック・ル・ソー/美術フランソワ=ルノー・ラバルテ/
キャスト: クリステン・スチュワート: モウリーン/ ラース・アイディンガー: インゴ/ シグリッド・ブアジズ: ララ/ラ・フォン・ヴァルトシュテッテン:キーラ/ アンデルシュ・ダニエルセン・ リー: アウイン/


『パーソナル・ショッパー』――生者を見つめる霊魂

                                    清水 純子

同じ病を共有する双子の兄妹
 愛する人をなくしたとき、人は死んだ者に甦ってもらいたいと思う、あるいはこっそりともう一度、二度、三度、永久に会いたい、愛する人を自分の元に置いておきたいと願う。若いアメリカ娘モウリーンもそうだった。
 モウリーンは、双子の兄ルイスを最近亡くし、悲しみから立ち直れないでいる。兄ルイスはモウリーンと同じく心臓に欠陥があり、発作を起こして突然他界した。同じ病を共有する双子の兄妹は、どちらかが先に亡くなった時、あの世から「サイン」を送ると約束していた。兄ルイスと同じく降霊術の技を持つモウリーンは、あの世からのルイスの「サイン」を心待ちにしていた。


孤独な妹モウリーン
 兄に死なれた後、モウリーンは孤独だった。映画冒頭のモウリーンは、列車の中でスーパーモデルのキーラの服の売買交渉の携帯電話でのやりとりに忙しい。モウリーンは、多忙なセレブの代わりに服やアクセサリーを買い付ける「パーソナル・ショッパー」として雇われている。シャネルやカルティエなどの高価なドレスや装飾品を求めて、パリからロンドンへと移動するモウリーンの日常は華やかな世界に住む雇い主キーラとは対照的に地味で孤独である。 
 質素なジーンズ姿にヘルメットをかぶってオートバイに飛び乗り、キーラの豪邸に着くと合い鍵で無人御殿の扉を開ける。テーブルに置かれたキーラからの伝言メモに目を通したモウリーンは、テーブルやソファの上に戦利品の買い物を置いて無言でまたオートバイに飛び乗り、一人住まいの狭いアパートに舞い戻る。次にモウリーンが人ごみに出かけるのは、キーラの指令次第である。それまで、人との触れ合いはほとんどない。モウリーンが人と直接会うのは、ほとんどがビジネス絡みである。モウリーンにも恋人はいるが、遠く離れていて、時たまパソコンのTV電話スカイプで話し合うだけ、彼はモウリーンを心配してくれるが、機械を通しての接触なので人肌のぬくもりは得られない。「早く来いよ」とせかす恋人の声を無視して、モウリーンが異国の地パリで慣れない世界に閉じこもるのは、パーソナル・ショッパーの仕事に魅力を感じているからではない。モウリーンは兄ルイスがいたパリにとどまることによって、「サイン」が送られるのを待っている。


霊ルイスの「サイン」?
 孤独、異文化、なじまない環境にあって、「サイン」を待ち焦がれるモウリーンの物欲しげな心を見透かしたように、様々な怪異現象が起きる。バスルームの蛇口から突然水が噴き出す。気のせいかと思って確かめるモウリーンに、思い過ごしでないことが示される。
 次にモウリーンのスマホに正体不明のメールが届き、モウリーンの行動も心の中も見透かす。送り主は不明だが、兄ルイスからのサインを期待するモウリーンの弱みにつけこむ送り主は、モウリーンの行動を操ろうとする。罠にかかったモウリーンは、バスルーム内で血まみれになったキーラの死体に導かれる。あわてて逃げるモウリーン、疑いをかけられて警察に尋問するモウリーン。
 犯人がみつかり(おそらくメールは犯人からのもの)、疑いが晴れたモウリーンは、サインの送り手の真意を問うーー「あなたは私に悪意があるの? イエスなら1回ノック、ノーなら2回ノック」と問うと、2回ドンドンという音が伝わる。物言わぬ姿の見えない霊魂は、モウリーンに悪意を持っていなかった。そのシーンの直前にモウリーンの背後でガラス製品が2度落ちて砕ける。モウリーンは偶然だと思うが、モウリーンの背後のガラス窓にルイスと思しき若い男の姿が観客には見えていた。ルイスのフィアンセだった女性と新たに婚約した若者が、「僕は死後の世界を信じる、霊魂は存在するんだ」と断言した直後に、ルイスはスクリーンに間接的に姿を現し、ガラス製品を壊すことによって存在を主張していたのである。
 ルイスが「サイン」を送ってきたこと、ルイスはあの世からモウリーンを見守っていること、時々はこの世に降りて近くにいることを自覚したモウリーンは、安らかな心を取り戻す。ルイスの霊魂の不死を実感したモウリーンは、平静な心理状態に戻るであろう。


霊魂は存在するのか?
 パーソナル・ショッパー』 は、ファッション業界の暗部を暴いた物語ではない。業界の下請作業を受け持つ一人の若い女性の内面の葛藤、つまり肉体の死後も霊魂は存在するのかという自問自答を観客に投げかける。 言葉を換えれば、監督であり脚本家であるオリヴィエ・アサイヤスが、霊魂の不滅をひそかに願った映画だといえる。霊魂(soul, spirit)は、肉体が滅びた後も精神的実体として、肉体とは別に死後も存続が可能な永遠の非物質的存在、目に見えない存在としての魂や精神だとされる。


宗教的連想を伴う「サイン」
 人間の肉体が消滅するのは周知の事実である。人間も生き物である以上、永遠に存在することはできない。だからこそ人間は、霊魂の不滅を信じたいのである。人間はいつの時代にも、どの地域においても、自分や自分の愛した者や物の霊魂の不死を願ってきた。それだから宗教が生まれ、その宗教がいただく全能の神を崇めてきたのである。 モウリーンは、あの世のルイスからの「サイン」を待っているが、「サイン」はキリスト教の、特にカトリック教会のスティグマータ(イエス・キリストが磔刑になった時に負った傷、超自然的な力によって信者らの身体に現れる傷、奇跡の顕現)を連想させる。
 モウリーンは、若さと美貌にあふれ、華やかな業界と隣合わせの位置にいるのに、地味な服装と簡素な生活をあえて選ぶ。恋人がいるのに肉欲を断つが、抑えられずに独りベッドでマスターベーションの罪にふける。雇い主キーラの華美な服を試着することも禁じられている。しかしモウリーンは、メールの悪魔の誘惑に負けて職業上の戒律を破り、こっそり着てみて鏡に映った自分の美しい姿によって虚栄心を満足させる罪を犯す。モウリーンの禁欲的で質素な生き方は、神の秘跡(神によるいやしと許し)を待つ修道女さながらである。モウリーンにとって、あの世に召された兄のルイスの「サイン」を待つことが何より大切だからであるが、神と修道女の関係を連想させる。フランスのパリ出身のアサイヤス監督は、カトリック文化の下で育ったのだから、その教えに影響されているのは当然である。


「沈黙」しないルイス
 この映画では、死後の霊魂の存在を扱っているのだが、当然、それらを管理統括する神の存在の有無を問う視点が背後に控えていると考えられる。その意味で、最近封切られたマーティン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレンス』と意外なまでの近親性がある。「苦しい時の神頼み」を常とする一般の日本人にはわかりにくい連想だが、キリスト教文明下で育った人々の発想法であろう。もっとも一神教であるキリスト教徒から見れば、亡霊の「サイン」を神の奇跡のごとく待ち望む、修道女ならぬパーソナル・ショッパーは、冒涜的イメージでしかないだろう。しかし、「霊魂の不滅を信じたい」ということは、ひいては神の存在を信じたい、神からの「サイン」を望みたい、あるいは本当は望みたかったという心理と遠いものではないだろう。『沈黙―サイレンス』とは違って、モウリーンの心の神ルイスは「沈黙」せずに「サイン」を下された。幸運なモウリーンは、以後死後の魂を信じて強く生きられるだろう。


©2017 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2017. Feb. 28


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