プラハのモーツァルト 清水

 

『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』

© TRIO IN PRAGUE 2016.


監督・脚本:ジョン・スティーブンソン 『ジム・ヘンソンの不思議な国の物語』 脚本:ブライアン・アシュビー、ヘレン・クレア・クロマティ 制作:ヒュー・ペナルット・ジョーンズ、ハンナ・リーダー 美術:ルチャーナ・アリギ 衣装:パム・ダウン 
出演:アナイリン・バーナード『ダンケルク』、モーフィッド・クラーク『高慢と偏見とゾンビ』、ジェームズ・ピュアフォイ『ハイ・ライズ』、サマンサ・バークス『レ・ミゼラブル』/2016年/UK・チェコ合作/103分/カラー/シネマスコープ/5.1ch/原題:Interlude in Prague/字幕翻訳:チオキ真理/配給:熱帯美術館 提供:熱帯美術館、ミッドシップ Mozart-movie.jp 12月2日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開/予告編

モーツァルト生誕260年記念 『アマデウス』に続き、遂に誕生したモーツァルト映画の最新作! 1787年、プラハを舞台に、天才音楽家を巡る愛と陰謀が錯綜する――アカデミー賞8部門受賞作『アマデウス』以来、久々に登場した本格的モーツァルト映画。モーツァルトがプラハで「ドン・ジョヴァンニ」を初演したという史実に想を得て、華麗なる恋と陰謀のストーリーが“百塔の都”プラハの上流階級を舞台に繰り広げられる。主演のモーツァルトには、『ダンケルク』にも出演する新進俳優アナイリン・バーナード、悲運の歌姫スザンナ役に『高慢と偏見とゾンビ』のモーフィッド・クラークを配し、悪の男爵サロカを『ハイ・ライズ』の名優ジェームズ・ピュアフォイが演じる。中世の街並みが色濃く残るプラハ市で全編ロケを敢行し、チェスキー・クルムロフ城劇場を初めとし、実際にモーツァルトが訪れた市街や建物を映画の舞台として再現。さらに、映画の鍵となる傑作オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」を初めとする音楽を演奏するのは、プラハ市立フィルハーモニー管弦楽団。この冬一番の歴史ロマン音楽ドラマである。



『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』――現代的登場人物とクラシックな背景の調和

                                      清水 純子

現代的恋のさや当て
 『プラハのモーツァルト 魅惑のマスカレード』は、モーツァルト生誕260年を記念してイギリスとチェコが共同製作した。1787年にチェコスロバキアのプラハでモーツァルトがオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を初演した史実をヒントにして、「ドン・ジョヴァンニ」のプリマドンナのスザンナをめぐってモーツァルトとサロカ男爵が恋のさや当てを展開する、つまり女一人をめぐって男二人が争う三角関係の物語に仕立てている。
 プラハのノスティッツ劇場で上演の『フィガロの結婚』が大ヒットしたため、チェコのサロカ男爵が出資して、作曲者モーツァルトはプラハに招かれ、この地で「ドン・ジョヴァンニ」の初演を目指して作曲することになる。「ドン・ジョヴァンニ」のプリマドンナのアンナ・ドンナ役には、小鳥のようにさえずる若きスザンナ・ルプタックが抜擢される。スザンナは、躾の厳格な良家の子女であるが、才能豊かなモーツァルトへの尊敬をいつしか恋愛感情に高まらせていく。モーツァルトは妻帯者だが、愛児を失った妻コンスタンツェは湯治に出かけて留守だったので、スザンナとベッドを共にするのに時間はかからなかった。
 しかし、スザンナの美しい容姿と声に魅せられて鷹のように狙う男がもう一人いた。それは、スポンサーのサロカ男爵である。サロカ男爵は、悪名高い女たらしで、高齢であるにもかかわらず独身のまま女漁りを続けていたが、スザンナを娶ることを思い立ち、父親に婚約を承諾させる。モーツァルトと恋仲のスザンナは、年寄りで醜男のサロカ男爵を嫌うが、男爵の奸計によって操を奪われそうになり、抵抗したため絞殺される薄幸の美女である。
 ハリウッド女優のような立場にあるスザンナは、舞台製作の二人の権力者の引っ張り合いの標的になった。オペラを生み出す作曲家のモーツァルトは、最高権力者のはずだが、資金がないうえに妻帯者なのでスザンナと公に愛し合う資格はない。それに対して、サロカ男爵は何の才能もない俗物で、資金力と地位しか持ち合わせないが、独身の貴族なので、スザンナに求婚する権利がある。しかし、スザンナは、色と欲にまみれた薄汚い年寄り男爵よりは、才能と若さにあふれるモーツァルトに当然ながら惹かれている。たとえ妻の座を得られなくても、スザンナにはモーツァルトしか目に入らない。スザンナは、映画の若き監督と老齢のプロデューサーの両方から言い寄られて困惑する売り出し中の新人女優のようである。
 天才モーツァルトをたてまつらずに、妻の留守中に若い女と情事を楽しむ一人の男として描くところにこの映画の現代的視点が見られる。女にだらしがないのはサロカ男爵だけではなく、モーツァルトも同様である。しかし、若さと才能、純粋さがモーツァルトを悪者にさせない。概して才能ある映画監督は、妻帯の有無にかかわらず、若い女優と艶聞が絶えないように、楽聖モーツァルトの周りには、自分の身体と引き換えに売り出そうと狙う女たちが列をなして待っている。獲物を狙う女にとっては、ライバルのサロカ男爵も薄汚い中年男であるにもかかわらず、地位と名誉と経済力において女をひきつける存在であることに変わりはない。だが、映画は妻帯者モーツァルトとスザンナの愛を非難させない。二人の愛は、悪漢男爵の卑劣な行為によって美しい悲恋に終わる。モーツァルトは、湯治から戻った妻と息子を何事もなかったように出迎え、幸せな家庭人に戻る。それに対してサロカ男爵は、縛り首の刑に処せられ、オペラのドン・ジョヴァンニと同じく地獄に落ちる。スザンナの好みによる選択と殺人という点を除いて、恋愛上のモラルという観点からみれば、二人の男のしたことはほぼ同じなのだが、モーツァルトに軍配が上がる。やはりこれはモーツァルトの映画なのである。
 モーツァルト役のアナイリン・バーナードは、大きな黒い瞳が甘く感性豊かに輝く魅力的な現代青年で、嫌みがなく反感を持たせない。こんなソフトで茶目っ気のあるモーツァルトだったら、さぞ女性に気に入られただろうと思わせる。スザンナ役のモーフィッド・クラークは、清楚で控え目だが、適度な積極性と気品を漂わせる。気取らない自然さが心地よく、この人も好感が持てる。主役の男女が現代的キャラクターなのに、古典的風景に見事に溶け込んで違和感を感じさせないのはすばらしい。

クラシックな背景
 モーツァルトが「ドン・ジョヴァンニ」を作曲した18世紀の古都プラハは、映画の舞台背景として必須である。映画は、全編この中世の街並みが息づくプラハで撮影された。当時の文化と芸術の都であったプラハは、登場人物と並ぶ主役級の役割を果たしている。ゴージャスであでやかだが、落ち着きと気品があり、心安らぐ重厚さがあるのは、プラハの街の個性が反映されているからである。冒頭の仮面舞踏会の豪華な衣装は、映画用にあつらえた金ぴかの偽物ではなく、衣装博物館から借りてきたようなリアリティと昔風の雰囲気が出ていて、その芳醇な歴史的香りに目を奪われる。オペラの舞台裏も、18世紀は多分そうであったであろうと納得できる簡素で無骨な木造りの建築が逆に新鮮である。舞台女優のメーキャップは、近くで見ると白壁のように真っ白に塗りたくった顔の肌、吸血鬼のような真っ赤な唇に、石炭で描いたような真っ黒な眉と目の淵は、いかにも毒々しいが、照明の力や遠くからでもはっきりわかる当時の舞台化粧方法である。舞台を見る肉眼ではなく、映画のカメラを通して見るこれらの異様で誇張された化粧法が、作品の底に流れる退廃的貴族文化を浮かび上がらせるように見えて興味深い。

新旧の調和の成
 映画の外枠である古典的背景が重みをもつので、中身をつかさどる人物たちの現代性が浮き上がって新鮮に見える。聖書は「新しい葡萄酒を古い革袋へ入れるな」と教えるが、『プラハのモーツァルト』は聖書の教えの逆をいって成功している。中身の葡萄酒にあたる登場人物たちは、18世紀ヨーロッパの風俗を身に着けて登場するが、その心も表情も現代的でフレッシュである。それだから21世紀の観客は違和感なく、彼らのドラマに容易に感情移入できる。主人公たちを包む古い革袋であるプラハは、現在も健在なので古い革袋にはとどまっていないが、その伝統的重みによって中身の葡萄酒の味を引き立てる。聖書の葡萄酒と革袋のたとえに、少し修正の手間をかければ、新しい葡萄酒と古い革袋は、見事な調和を醸し出して、味わいを深める。
 『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』は、奇をてらわず、気取らず、肩ひじを張らずに、熟成したブーケ(ワインの芳香)を味わわせ、その後味が観客を癒し、楽しませる。近頃めずらしく、さわやかな余韻の残る映画である。



©2017 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2017. Sept.13.

© TRIO IN PRAGUE 2016.


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