ケレル



imagica発売、紀伊国屋  販売、1982年

ファスビンダーのケレル』ー鏡の国のファルス                                                 清水 純子

37歳で夭折したライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(Rainer Werner Fassbinder,1945-82) 監督の遺作『ケレル』(Querelle)の原作は、ジャン・ジュネ(Jean Genet,1910-86)の小説『ブレストの乱暴者』 (Querelle de Brest) である。監督はドイツ、原作はフランス、製作はドイツとフランス、出演俳優はアメリカ、フランス、イタリア、ドイツ出身だが、使用言語は英語という国際色豊かな作品である。
ジュネとファスビンダーは男色愛好者という点で共通だが、ファスビンダーはジュネ原作のエッセンスを残しながら、独自の映像上の翻案化に成功している。

ストーリーは以下である。時は第二次世界大戦直前、ケレル(ブラッド・デイヴィス)は、駆逐艦「復讐号」の若く、たくましい水夫である。
ケレルに「自分の中の女」を呼び覚まされた上官セブロン(フランコ・ネロ)は、いつしか「たくましい男」をケレルの前にさらしたい欲望を鎮めるために、思いのたけをテープに向かって吐き出し、録音する。
入港先ブレストの売春宿「ラ・フェリア」の女主人リジアヌ(ジャンヌ・モロー)は、愛人ロベール(ハンノ・ペッシュル)に瓜二つの弟ケレルの来訪をタロット・カードで予言する。
再会したロベールとケレルの兄弟は一体であるかのように抱き合って離れない。
ケレルは、リジアヌの夫で宿の主人ノノ(ギュンター・カウフマン)とのダイスにわざと負けて女役の快楽を初めて味わう。
ノノの手引きによって、男色の快楽に目覚めたケレルは、警部マリオ(ブルクハルト・ドーリスト)とも関係を結び、麻薬密売、盗み、殺人の悪に染まっていく。
ケレルは犯罪がらみで水夫を殺害し、美貌の少年ジル(兄ロベールと二役)に罪をなすりつける。
分身のロベール殺しに失敗したケレルは、ジルをロベールに変装させて逃がすようにみせて裏切り、警察に通報する。
上官セブロンは、すべての犯罪と背信の張本人がケレルであることを察知したが、危険な魅力の賛美と愛情ゆえにケレルをかばい、二人はオレンジ色の夕日を背にして再び乗船する。

『ケレル』は「鏡の国」に住むゲイたちの物語である。銀幕の中に閉じ込められた男たちは、自分に似た男という鏡の中に自己が反射して映し出されるのを見て安堵を感じ、居所を得るナルシストたちである。

まず明白なドッペルゲンガー(分身)として設定されるのは、ケレルとその兄のロベールである。
二人は違うところもあるが、外観は瓜二つであり、愛し、憎みあい、殺し合い、ケレルが罪を犯すとその片割れであるロベールが贖罪として逮捕される。
ジュネは二人を「正確な模写」(ジュネ24)、「一対」(46)、「類似」(170&346)、「互いに合一し、一つのものに融合しようとしているかのよう」(173)、「生き写し」(195)、「そっくりな顔」(203)、「自分とよく似た」(231)、「二人で一体」(258)、「同じ…」(260)、「互いによく似る」(307)、「ダブル・イメージ」(333)、「区別することはできない」(345)、「同一化」(345&379)、「影」(345)、「何ものも切り離すことのできない二人の恋人の秘密の物語」(393)と描写する。
ケレルとロベールの兄弟は、ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』の双子の蝋人形「ソックリダムとソックリディー」のようである。 
アリスの遭遇したソックリダムとソックリディーは「たがいに顔を見合わせて、にやり」とする「小学生の二人組そっくり」で、「おんなじさ、おんなじ、おんなじ」(79)とわめきたてる仲のよさだが、「ボロだるま」になるまで「一戦交える気」(キャロル65,80&81)でいるアリスの夢の中の人物である。

映画『ケレル』の中心人物であるケレルの実体の不確かさもラ・フェリアでリジアヌが冒頭の場面を繰り返すようにカードを並べて「弟なんてあんたにはいなかったのよ」と言うと、ロベールを始めとする酒場の皆が大笑い、するとバーにいるはずのないケレルが亡霊のように忽然と姿を現す場面から推測される。

ファスビンダーがジュネの原作に独自の解釈を加えているのは、ジルをケレルの兄ロベールと同じ役者に演じさせているところである。
ケレルは殺人者ジルに自分の姿を見て欲情するが、ジルが兄ロベールのもう一つの分身であるとしたら、ケレルは鏡に反射した自分の姿をさらなる別の鏡に映させてその姿に恋したことになる。                                       
幾層にも重ね合された鏡の国で、自分のファルスの反射のさらなる反映にみとれる究極の ナルシストの姿をスクリーンは投影する。

「不思議な力を増殖させていく」ケレルとはいったい何者だったのか?誰が作り出した理想像あるいは幻影だったのか?リジアヌが「誰もが愛する者を殺す」と歌うように、ケレル、ロベール、ジルはお互いに殺し合おうとした。
彼らの核心にいるケレルを破滅から救うのは、ケレルを秘かに愛してきたセブロンである。船上で働くたくましい水夫たちを見つめる視線のカットの背後の原作者ジュネの署名入りの書類と声が現れ、映画のフレームの外にいる物語の紡ぎ手ジュネの存在を浮かび上がらせる。『鏡の国のアリス』同様、観客はジュネとケレルが創造した「鏡の国のファルス」の夢から目覚め、映画は終わる。

ファスビンダーは、ケレルに恋い焦がれるセブロンに原作者ジュネの視線を見たのだろう。ケレルは、ジュネが夢の中で鏡に映し出した背徳の美学を語る理想化された自画像であり、ファスビンダーはさらなる鏡である映写機を使ってジュネのケレルに魅せられた自分を観客に向かって表出したのである。

<参考資料>
DVD:『ケレル』(Querelle) ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督、ブラッド・デイヴィス、フランコ・ネロ、ジャンヌ・モロー他出演、imagica発売、紀伊国屋  販売、1982年
キャロル、ルイス『鏡の国のアリス』新潮文庫、矢川澄子訳、1994年
ジュネ、ジャン『ブレストの乱暴者』河出文庫、澁澤龍彦訳、2002年
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