ルージュの手紙(清水)

© CURIOSA FILMS – VERSUS PRODUCTION – France 3 CINEMA

『ルージュの手紙』【原題Sage Femme
【監督・脚本】マルタン・プロヴォ【出演】カトリーヌ・ドヌーヴ、カトリーヌ・フロ、
オリヴィエ・グルメ/2017/フランス/フランス語/カラー/ビスタ/117分/日本語字幕:古田由紀子 <G>配給:キノフィルムズ/木下グループ/フランスが世界に誇る2代女優 カトリーヌ・ドヌーヴ×カトリーヌ・フロ豪華初共演/今を強く生きる女性たちの感動の物語/ 2017年12月シネスイッチ銀座 他にてロードショー

監督・脚本は『ヴァイオレット-ある作家の肖像-』『セラフィーヌの庭』など女性を描くことに定評のあるマルタン・プロヴォ。クレールを演じるのは今フランスで一番動員力があり日本でも大ヒットした『大統領の料理人』のカトリーヌ・フロ。そしてベアトリスを演じるのは未だ第一線で活躍するフランスの至宝カトリーヌ・ドヌーヴ。フランスを代表する2大女優の初共演となる。また、『少年と自転車』のオリヴィエ・グルメが脇を固める。なお本作は6月22日より開催されたフランス映画祭2017のオープニング作品である。


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『ルージュの手紙』――名優の円熟味が彩る人間ドラマ

                                清水 純子



★万人受けする女同士の愛
 邦題『ルージュの手紙』は、女性が愛する男性に宛てたラブレターを連想させるが、実は死に瀕した女性が愛する女性に“Je t’aime.” (「愛してる」)と便箋の白い肌に自分の赤いルージュでキスマークをつけて送った手紙、それも「絶筆」(生涯最後に書き残す文や書画)である。これは、最近はやりのレズビアン映画なのか?というと全然そうではない。『ルージュの手紙』は、女同志の究極の信頼と愛をさりげなく描いている点で、レズビアンの物語以上に万人の深い共感を呼ぶのである。

 パリ郊外の助産婦として働くクレールのもとに、30年ぶりにベアトリスから電話が入る。亡き父の愛人で歯科医師のベアトリスは、脳腫瘍の末期にさしかかり、血のつながらない娘クレールと和解を望んでいた。クレールは未婚の母として一人息子を育てあげたベテラン助産婦であるが、老朽化した産院は閉鎖予定、実母とは折り合いが悪く、自慢の息子はできちゃった婚の挙句、医学部を中退して看護師になろうとしている。順調とばかりいえないグレースの前に、神の国に入る前にとばかりに忽然とちゃっかり再臨したベアトリスは、過去のいざこざを忘れたかのように、無邪気にクレールにうちとけ、甘えてくる。クレールにとってベアトリスは、父を奪った憎い女であったが、ベアトリスは自分の突然の失踪がクレールの父アントワーヌの自殺を招いたことを知らないで30年間過ごしていた。アントワーヌに二度と会えないと知った時のベアトリスの絶望と悲嘆、クレールの息子シモンがアントワーヌにそっくりであることを見て狂気するベアトリスの姿を目の当たりしたクレールは、ベアトリスの父への愛が本物であったことに気づく。父が本当に愛した女性は、クレールを身ごもったために結婚せざるをえなかった実の母ではなく、自由気ままで奔放なベアトリスであったことを知った。クレールは、身寄りのないベアトリスの世話をする決意を固める。クレールは、脳の手術を受けるベアトリスのために自宅のベッドを用意し、喜んだベアトリスは医師に「私の娘です」とクレールを紹介する。クレールは、男らしく気立てのよい長距離トラック運転手ポールと愛し合うようになっていたが、陽気なポールは、病に苦しむベアトリスの気持ちを引き立てる。二人の女の潤滑油となったポールをはさんで和気あいあいで楽しむ3人だが、夜間クレールが目をさますと、ベアトリスの姿はなかった。クレールとポールの逢引小屋の前にベアトリスからの手紙が置かれていた。中にはサファイヤの指輪が同封され、手紙にはクレールのルージュのキスマークがしるされ、「愛しているわ」と書かれていた。サファイヤの指輪は、父からクレールへのプレゼントだったが、クレールがベアトリスに譲り、ベアトリスの窮状を見たクレールがベアトリスに返したものを再度クレールがベアトリスに送ったのである。クレールは、ポールと共にベアトリスの絶筆と形見になる指輪を無言で見つめる。原題の “Sage Femme” は「産婆、助産婦」の意味であり、クレールのことを指している。

★老大猫ベアトリスと飼い主クレール
 父を愛人ベアトリスのために失ったと嫉妬し、許せないでいる娘クレールの気持ちにおかまいなく、ベアトリスは、気ままでわがままな猫のように自分の都合と気分を最優先してクレールの元に転がりこもうとする。年月を経ても艶やかなままの毛並み、光る大きな魅惑的な瞳、天性の媚(こび)を武器に、この老いた大猫は再び飼い猫に戻ろうとたくらむ。ベアトリスは、迷い猫のようにクレールの様子を家の外からうかがい、時期到来と見るや、クレールに忍びより、膝に飛び乗って、ごろごろと喉を鳴らし、気持ちよさそうに背を丸めて寝入る。そんなベアトリスの身勝手さに腹を立てながら、クレールは身寄りのないこの美しい老猫の世話をする。評判のいい産婆ベアトリスの保護本能に野良猫クレールはつけいったのである。
 辛口の外観にもかかわらず、面倒見のいいクレールのやさしさに恋人ポールも情にほだされて、ベアトリスの面倒を一緒にみる。男にかけては人後に落ちないベアトリスも寄る年波と病のためにポールには手が出せず、クレールの男を見る目の確かさを称賛するにとどまる。ベアトリスは、死に際を飼い主に見せない猫の習性に従って、死期を悟り、「ルージュの手紙」に愛の証の指輪を添えて予告なく再び姿をくらます。

★円熟した名優の味
 クレールとベアトリスの物語は、二股かけた男に振り回され、葛藤し、対立する、どこにでもある女たちの話である。この平凡でありきたりの物語に深い共感と感動を与えるのは、カトリーヌ・ドヌーブ(ベアトリス役)、カトリーヌ・フロ(クレール役)、そしてオリヴィエ・グルメ(ポール役)の名優たちの円熟した演技力とにじみ出る人間味である。三者とも「さすがにうまい!いい味出している」としかいいようがない。気負わず、自然に、ユーモラスに、しんみりと、甘いも酸いも噛み分けた大人の味を存分に味わせる。
💛カトリーヌ・ドヌーブ
 往年の映画ファンでドヌーブを知らない人はいない。フランス女優のエレガンスと美を一手に引き受け、世界一の美女と仰がれた。日本のヘアウィッグのCM「ラ・フォンテーヌ」での輝くばかりの美貌に息をのんだ人も多いことだろう。代表作は、『反撥』、『シェルブールの雨傘』、『昼顔』、『哀しみのトリスターナ』、『終電車』、『8人の女たち』その他たくさんある。ドヌーブの演じたヒロインは、表面は美しいが、内面は屈折した病んだ部分を持つ陰のある美女である。一筋縄ではいかない、癖のある美女がドヌーブの持ち味である。ゴージャスでわがままな美しい猫であるが、夜になると化け猫に変身する怖い女を演じてきたということだろう。
 日本で有名なドヌーブの映画では、ドラマチックな「魔性の女」を演じているために、『ルージュの手紙』のように平凡で、おしゃれもしないクレールを見て、ドヌーブらしくないと思う観客もいるかもしれない。しかし、ドヌーブはたいへん多くの映画に出演し、日本の観客が知らない様々な役を演じてきたので、クレールの日常的で気取らない役もドヌーブの十八番(おはこ)だったのである。本当に実力のある人しかこんなに幅のある演技はできない。
 実力といえば、この映画の中でもドヌーブは、シャンソンを軽く歌っているが、歌もすごく上手である、というか上手になったのである。ミュージカル『ロシュフォールの恋人たち』で、夭折した姉のフランソワーズ・ドルレアックと共に歌を披露したが、この時は正直いただけないと思った。ところが、シャルル・ゲンスブールとのデュエットでは「なかなかいける」と思わせ、映画『輝ける女たち』では見事なヴォーカリストぶりを披露して玄人はだしとうならせる。ドヌーブは大変な努力家である。ともかく、役に応じて変幻自在であるという意味で、ドヌーブは、九つの生命を持つ猫、それも美しい化け猫である。
♦カトリーヌ・フロ
 日本ではドヌーブほどの知名度はないが、フロもフランスでは大女優である。マリナ・ブラディ似の、いかつくない卵型の温厚な顔立ちである。やや古典的で、フランスの時代劇が似合いそうなタイプである。ハリウッド女優のように極端に顔が小さく、ボーイッシュなまでに長い手足、胴が細いのにあり得ないほど凹凸のある体形でなく、自然なふくよかさを感じさせるところが日本の観客に安心感を与える。フロは『譜めくりの女』で、無神経な審査委員に将来を奪われた女ピアニストに復讐される役、『アガサ・クリスティーの奥様は名探偵』では呑気な顔をして実はやり手の主婦を演じ、『大統領の料理人』、『偉大なるマルグリット』と立て続けにその演技力をアピールしている。『ルージュの手紙』でも先輩のドヌーブと互角に張り合って、負けない存在感と好感度を示した。
♠オリヴィエ・グルメ
 ベアトリスが「たくましくて、やさしくて繊細で、男らしい」とベタ褒めのポールを巧みに演じたグルメは、欧州きっての名優である。飄飄としてユーモラスで自由、それでいて見る所はちゃんと見て、おさえるところはおさえている賢い男の良い味を出していた。父親に振られ、恋人とも結婚せず、男に不信感を抱いて息子と仕事だけに生き、疲れていたクレールの心をほぐすのは、こんな男でなければできないと思わせる。グルメは黒沢清監督の『ダゲレオタイプの女』では、うって変わった気難しい芸術家のステファンを演じていた。

 『ルージュの手紙』は、役者の演技力とよく練られた脚本が味わい深い映画の源であることを再認識させる。CG(コンピュータグラフィックス)などの最新技術に頼るばかりが能でないことを教えてくれる。助産婦のクレールは、最新技術と機器を備えた儲け主義の病院の誘いを断って、今まで通りのやり方を伝えていくと宣言する。脚本と監督を担当したマルタン・プロヴォの映画に対する信条がクレールの言葉に表れているのだろう。

©2017 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2017. Oct. 20.

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