ルージュの手紙(横田)

『ルージュの手紙』--2人の名女優が織りなす珠玉の人間ドラマ

 

                               横田 安正

© CURIOSA FILMS – VERSUS PRODUCTION – France 3 CINEMA

出産シーンの撮影
 原題はSage Femme、フランス語で助産婦のことだが字義的には“賢い女性”を意味する。フランスで助産婦という仕事が歴史的に尊敬されている証拠であろう。フランスの名女優カトリーヌ・フロが演ずる主人公クレールの仕事である。 冒頭で本物の胎児を取り上げるシーンが観客の度肝を抜く。日本の劇映画で実際の出産シーンを撮影するのは稀である。事故があった場合、重大な責任問題が生ずるからである。ところがこの映画では人形ではなく本物の胎児が何度も登場する。出産を待つ妊婦の皆さんと交渉しOKをとっているが「もし強制されているように感じたら正直に言って下さい。私は直ちに出て行きますから」という約束をフロは妊婦たちと交わしたという。

クレールの場合
 49歳になるクレールは医学生の息子を持つシングルマザー。小さな助産クリニックで過酷な仕事をこなし、パリ郊外の質素なアパートに帰ると、泥のように眠るという生活。恋人も無く、酒も呑まず、タバコも吸わず、肉も食べない禁欲的な生活を送っている。そんな彼女にある女性から電話があった。女性はベアトリスと名乗った。亡き父の愛人だった女で彼女が19歳の時父を捨てて出奔、父は失意のあまり自殺したのだった。

ベアトリスの場合
 カトリーヌ・ドヌーヴ演ずるベアトリスは男から男へ渡り歩く気ままな愛人生活を続けて来たが70代半ばになり、身体にはべっとりと肉が付き、気が付けば天蓋孤独な老女になっていた。クレールに30年ぶりに電話したのは彼女の父に会いたかったからである。男たちの金を湯水のごとく使い奔放な生活を続けていたが、今はすっかり零落してのその日暮らし、指環やネックレスなどを換金、賭博場に出入りして小金を稼いでいる(賭博場のシーンも本物の賭博者たちを使って撮影したという)。しかしクレールの父の自殺を知ると小娘のように泣きじゃくるのだった。

クレールとベアトリスの軋轢
 修道院の尼さんのようなクレールに対し、ベアトリスは朝からアルコールを呑み、タバコを吹かし、350グラムのステーキを平らげる自己中心的な女である。身勝手なベアトリスを毛嫌いするクレールは交際を拒否する。しかしベアトリスは全く彼女の心情には無関心で攻めの姿勢を崩さない。水と油の2人のせめぎあいはゴール(フランス)的なスパイスが効いており、度々観客を笑いに誘う。ドヌーヴ、フロという2人のカトリーヌの絶妙の掛け合いこそこの映画の醍醐味であり、フランス映画健在の証拠を見せてくれる。俳優出身で脚本家でもあるマルタン・プロヴォ監督のスクリプトは時にやり過ぎの所があるのだが、ドヌーヴとフロの絶妙の演技で“わざとらしさ”が表面に出ることはない。そのうちベアトリスが脳腫瘍の癌に蝕まれていることが判明する。ここで“人助け一途”に生涯を捧げて来たクレールのエンジェリックな本性が頭を上げる。血の繋がらない勝手気ままな母であっても放って置けないのである。

2人の女の変化
 ベアトリスの自由奔放さに接しているうち、クレールの性格に明らかな変化が訪れる。川のほとりに借りている家庭菜園で隣り合った朴訥な長距離トラックの運転手ポール(オリヴィエ・グルメ)に心を開き愛し合うようになったのだ。酒も口にするようになった。ベアトリスを許すことで別の人格が芽生えてきたのである。一方、ベアトリスはクレールの許しを得たことでやっと孤独の地獄から開放されるのである。たとえ死んでも彼女はクレールの記憶のなかで生き続けることが出来るからである。ベアトリスはクレールとポールの愛の成就を願い、静かに2人のもとを去る。最後の手紙にはクレールの父親から贈られた指環が同封されており、真っ赤な唇の刻印とともにJe t’aime(愛してる)の文字があった。日本題名の「ルージュの手紙」はここから取った。「助産婦」よりは良かったのかも知れない。

 この映画は2人の女性の微妙な心理の変遷をきめ細かく描いた極めてフランス的な作品であり、ハリウッドでは絶対に取り上げない題材に接する喜びを筆者は感じた。ドヌーヴとフロというフランスを代表する演技派女優を頭に描いてプロヴォ監督は脚本を書いたというが、彼の目論見は見事にヒットした。映像も美しく、編集も鮮やかである。

 

©2017 A. Yokota. All Rights Reserved. 22.Oct.2017

 

© CURIOSA FILMS – VERSUS PRODUCTION – France 3 CINEMA

 

横田レビュー に戻る
最近見た映画 に戻る