ラン・オールナイト


『ラン・オールナイト』(原題 Run All Night
スタッフ:監督ジャウム・コレット=セラ /製作ロイ・リーブルックリン・ウィーバー、マイケル・タドロス
製作総指揮ジャウム・コレット=セラ
キャスト:
リーアム・ニーソン、ジョエル・キナマン、/ビンセント・ドノフリオ、ニック・ノルティ、ブルース・マッギル
製作年:2015年   製作国:アメリカ   上映時間:114分   映倫区分:R15+
配給:ワーナー・ブラザース映画
2015年5月16日より全国ロードショー
公式HP:http://wwws.warnerbros.co.jp/runallnight/

(C)2015 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

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ラン・オールナイト』ーーマッチョ・マフィアが彩るニューヨークの夜

                清水 純子

映画は、青空の下の森でおむけに寝転んだ中年男が「おれは取り返しのつかない罪悪を重ねてきた、思い返せば後悔ばかり」とつぶやく。
深手を負ったこの男は、マフィアの殺し屋ジミー・コンロン(リーアム・ニーソン)である。
ジミーは、息子のマイク(ジョエル・キナマン)の命まで危くした自分の人生を深く反省している。
画面は何日か前に戻る。
ジミーは、ニューヨークのアイリッシュ・マフィアのボス、ショーン・マグワイア(エド・ハリス)おかかえの有能な殺し屋だった。
1970年にベトナムからの帰還兵だったジミーは、ちゃんとした仕事がみつけられないでいた。
マフィアのショーンの忠実な殺し屋になったジミーは、そのために親類からも家族からも見捨てられ、孤独な人生を余儀なくされた。
時代に置いてきぼりにされた今のジミーは、再び仕事にあぶれて暖房代も払えないありさま。
ジミーが頼れるのは、30年来の相棒であり親友であるショーンだけである。
ところがジミーは、そのショーンの息子ダニー(ボイド・ホルブルック)を撃ち殺してしまう。
偶然ダニーの殺人現場を目撃した息子のマイクをダニーが射殺しようとしたからである。
一人息子のダニーを殺されたショーンは、ニューヨーク中の警察を味方につけてジミーとマイクの父子を亡き者にすることを誓う。
無二の親友だったはずのショーンとジミーの生死をかけた闘いが幕開けする。
正当防衛とはいえ、ジミーはショーンの一人息子ダニーを殺した。
ショーンとショーンの妻の瞳は、未来への希望を失ってうつろになる。
ジミーは、ショーンとの和解を申し出るが聞き入れられず、警察と取引しようとする――過去の殺人をすべて告白するかわりに息子マイクの命を守ってもらおうとする。
しかし、警察もショーンの言うなりであることを悟ったジミーは、一晩だけ自分の言うことを聞いて姿を隠してほしいと息子マイクに懇願する。
父に迷惑ばかりかけられてきたマイクは、反発するが、ショーンと警察の双方に追われて、 父子でニューヨークを一晩中(オールナイト)駆け回る(ラン)ことになる。

『ラン・オールナイト』には、息をつく暇を与えない派手なアクションとサスペンスが満載されている。
銃さばきのあざやかさ、ニューヨークの夜を突っ走る痛快で派手なカー・アクションの追跡シーンは、 理屈抜きのゲーム感覚でわくわくさせる。

しかし、この映画の華麗なアクションを支える屋台骨は、1.父子関係と 2.男同士の愛憎という濃密な人間関係である。
1.父子関係
A. 父ジミーと息子マイク
ジミーの息子マイクは、父を反面教師として育ち、身重の妻と二人の娘を抱えた堅気の運転手であり、父親のいない子供のためにボクシング・ジムのコーチをするりっぱなニューヨーク市民である。
マイクは、当然のことながら家族を顧みずに捨てた犯罪者の父ジミーを恥じて憎んでいる。
マイクもプロ・ボクサーになる夢に破れて職業を転々としたが、現在は地に足がついた生活をしている。
当然のことながらマイクとその家族にとって、飲んだくれの犯罪者の父ジミーは、彼らの平和な生活を脅かす存在である。
ところがマイクは、偶然に目撃したダニーの殺人事件によって心ならずもマフィアの世界に巻き込まれて、犯罪から足を洗った父に再び銃をとらせ、事件の巻き添えにしてしまう。
父ジミーが前科者であったことが、マイクの立場を複雑で悪いものにするのだが、このことはジミーの意図とは真っ向から対立する。
ジミーは、息子マイクが堅気の人生を送ることに最大の価値をおいてきたからである。
息子は父の真意を理解せずに嫌っていたが、親子でNY中を一晩逃げ回った「オールナイト・ラン」の経験を通して父の真意と偉大さを理解する。
マイクは父が命とひきかえに自分を守ってくれたことに感謝して和解する。
B.父ショーンと息子ダニー
ジミー&マイク父子と対照的なのは父ショーンと息子ダニーの関係である。
父ショーンは、アイルランド系マフィアであるが、親分にまで登りつめた闇の世界の帝王である。
父は表向きは合法的酒場の経営者に収まり、裏では殺人に手を染めるが、NY警察も抱き込むほどの実力を持つ。
それに対して、甘やかされたダニーは、父の威力を笠にして麻薬取引をしようと企み、父に断られる。
ダニーの身の危険を察知した父の忠告をきかないダニーは、やくざに襲われて殺人を犯し、目撃したマイクを 射殺しようとして逆にジミーに正当防衛で射殺される。
ダニーは、ドラ息子であるが、父ショーンにとってはかけがえのない存在であった。
ショーンの子煩悩は、ダニーの幼い頃の家族写真が家中に飾られていることによってわかる。
息子の喪失が自分の未来と希望のすべてを意味すると思い込んだショーンは、親友ジミーを許さない。
ジミーに自分と同じ苦しみを味わわせることがショーンの意地であり、意地悪である。

2. 男同士の愛憎
ジミーとショーンは、お互いに敬愛し、頼り合う心許す仲だった。
それがショーンの息子ダニーの死によって反転する。
正当防衛とはいえ、ショーンの大切なものを奪ったジミーが憎い、しかもジミーの息子はまだ元気で生きている。
ショーンの気持ちは理解できるが、理性がなさすぎるのではないか?
ショーンが真の大オ親分であったならば、事故だと割り切ってこらえるべきだった。
そうすれば、ショーン自身もジミーによって射殺されることもなかった。
ショーンに心から憧れていたジミーは、本当は殺したくはなかった。
早朝のNYの列車の陰での撃ち合いに勝利したジミーは、死にかかったショーンを抱いて悲しみながら別れを告げることからジミーの気持ちはわかる。
ショーンもジミーの気持ちはわかっていたにちがいない。
二人の別れは殺し合いの末とは思えない、まるで愛しい恋人同士の別れのようにもみえる。

.マッチョなプライド―息子
◆:ショーン 
ショーンのジミーに対する制裁は憎しみのためだけではない。
ショーンのマッチョ(男っぽさを気取る)なプライドが関わっている。
マフィアの親分として、息子を殺した男を放ってはおけない。
すべてを失ったと感じている妻の嘆きを前にして、復讐によってしか男のメンツは保たれない。
愚かなダニーに非があったにせよ、自分の分身である息子を奪われた男は、加害者の息子を奪うしか立つ瀬がないと感じている。
◆ジミー
ショーンの息子を奪ったジミーの息子マイクは生きている。
ジミーが息子マイクをショーンの復讐から守るのは当然である。
ジミーにとってもマイクは、自分以上に大切な存在だからである。 
ショーンにとっても、ジミーにとっても息子は自分の遺伝子を未来に残す媒体であり、その意味で自分が生きた証である。
人生の盛りを過ぎた男にとって自分自身以上に自分のアイデンティティーを代表するのが血を分けた息子である。
悪い冗談としての息子
ジミーは息子マイクを大切に思っているが、それと同時に自分自身の息子(男性自身)への執着心と自己顕示欲を披露している。
ジミーは、落ちぶれた現在の状況を補うかのように、自分の男性としての機能と能力に自信をもつ。
自分より15歳も若いギャング仲間の女房をからかい、「30cmのジミーをくわえて満足した」と言う虚言で男を挑発して、 公衆トイレで乱闘の末、絞殺する。ジミーは、息子が「大きいことはいいことだ」と疑わない幼児性をマッチョなプライドだと錯覚する勘違い男である。
やくざ者のジミーにとっては、人命よりも自分のまやかしのマチズモ(男っぽさ、男性としての力)が大切なのである。
結局、ショーンもジミーも、現実的意味においても比喩的意味においても、息子が大事な無法者のマッチョである。
男性以外の性には理解しがたい、幼稚で野蛮なたぐいのマチズモが表されている。
しかし、重厚で聡明に見えるリーアム・ニーソンとエド・ハリスの二人の名優が演じるジミーとショーンだからこそ、観客も反感を覚えず、登場人物に感情移入できる。

4. 裏社会:夜のニューヨークの雰囲気
映画の撮影は、ニューヨーク市内とその周辺をロケ地にして、アイルランド系マフィアの生態を描いた。
1970年代マンハッタンのヘルズ・キッチン(アメリカで最も治安の悪い、ギャング団の出没する地域)を支配していたマフィアのウエステイーズの世界を参考にしたという。
スラムにたむろするアイリッシュ・マフィアの貧しく、薄汚い世界はショーンとジミーの生活圏の情景によって表される。
マフィアのショーンが経営するパブ「アビー」は、クィーンズ地区の高架鉄道の下にあり、場末の雰囲気がよく出ている。
ジミーの狭苦しい、薄汚いアパートの外では電車ががたごと走っている。
追われるジミーとマイクが乗り継ぐニューヨークの夜の地下鉄、二人が隠れ潜む古びた小さなビルの裏側と裏通りは、危険でうらわびた夜のニューヨークの雰囲気をよく出している。

ニューヨークの夜の裏町は、ジミーとマイクが好むと好まざるとにかかわらず、犯罪に巻き込まれていく理由を物語る。
彼らを取り巻くのは、貧困と悪が作り出した劣悪な社会環境である。
映像は、そこに住むかぎり、堅気の生活を営むことがいかにむずかしいかを教えている。
ニューヨークの夜の裏通りには、麻薬、売春、拳銃不法所持、強盗、
レイプ、殺人などのあらゆる犯罪がはびこっている。
映画は、犯罪者を取り仕切るはずの警察も汚染されていて、必ずしも善良な市民の味方とはいえないことも暗示する。
『ラン・オールナイト』は、派手なアクション映画に見えるが、実は麻薬がらみの犯罪組織の台頭に悩まされるアメリカの病根を正面きって描いている。

April 17, 2015  Copyright © J. Shimizu All Rights Reserved.

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