サンローラン



©2014 MANDARIN CINEMA - EUROPACORP - ORANGE STUDIO -
ARTE FRANCE CINEMA - SCOPE PICTURES / CAROLE BETHUEL

『サンローラン』(原題Saint Laurent)
制作年:2014年  制作国:フランス  上映時間;151分  カラー 言語:フランス語
後援:在日フランス大使館、アンスティチュフランセ日本
スタッフ:
監督・脚本・音楽:ベルトラン・ボネロ、美術:カーチャ・ヴィシュコフ、衣装:アナイス・ロマン
キャスト:
イブ・サンローラン: ギャスパー・ウリエル、ピエール・ベルジェ: ジェレニー・レニエ
ジャック・ド・バシャール: ルイ・ガレル 、ルル・ドゥ・ラファレーズ: レア・セドゥ
アニー・マリー・ムニョス: アミーラ・カサル 、ベティー・カトル: エイメリン・バラデ
ムッシュ・ジャン・ピエール:ミシャ・レスコー、イブ・サンローラン1989年:ヘルムート・バーガー
ドゥーザー夫人:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、リュシエンヌ(サンローランの母):ドミニク・サンダ
配給: ギャガGAGA
公式HP: http://saintlaurent.gaga.ne.jp/
公開日:2015年12月4日(金)
TOHO シネマズシャンテほか 全国順次ロードショー


『サンローラン』-創作の悪魔



                清水 純子

イブ・サンローランは、20世紀ファッション界のリーダーとして君臨した天才デザイナーである。
サンローランは、ドレスを皮切りに様々な分野に進出し、「モードの帝王」と呼ばれるようになる。
サンローランは、既成の概念や価値観に満足せず、常に革新的で意表を突くデザインを発表し続けた。
映画で描かれているように、サンローランは1977年、自社の香水に禁断の香り「オピウム」(アヘン)と名づけて発表したために、アメリカでは反社会的だと物議をかもし、発売禁止になった。
東洋のデカダンスをイメージする「オピウム」のネーミングには、サンローランの妖しい香りへの渇望が漂う。    

『サンローラン』は、一足先に封切られたピエール・ニネ主演の『イブ・サンローラン』(2014)以上に、サンローランの「裸の姿」に迫り、天才アーティストの内面的葛藤を幻想的に芸術的に描く。

◆ホテルにチェックインする謎の男性
映画は、ホテルのフロントでスワンと名乗ってチェック・インする若い男性の姿を映し出す。
フロント係の「仕事でお泊りですか?」という問いに、その男性は「いや、眠りにきたんだ」と答える。
この会話で、この謎の男性が多忙を極め、人目をしのばなければならない超有名人であることがわかる。
痩身の長身、尖った顎と同じく尖って高い鼻、カマキリを連想させる容貌に、大きな眼鏡をかけ、その奥でプラチナのような硬質の輝きを放つ冷たいまなざしーー察しのいい観客には、それが誰だかわかる。
この男性は、ホテルのベッドの電話に向かって言うーー「僕はイブ・サンローランだ」と。
推量が当たって悦に入る観客に向かって、サンローランを名乗るこの男性は、「僕の秘密をすべて話すよ」とさらに好奇心を煽る。
しかし、次の瞬間、サンローランのビジネス・パートナーであり、恋人でもあるピエール・ベルジェの雑誌インタビュー記事掲載禁止を告げる電話の会話が騒々しく響く。
『サンローラン』は、1960年代以降売れっ子デザイナーとして頂点を極めたサンローランの封印された秘密を語ろうともくろむ。

悪魔と取引した天才
天才サンローランは、その創作活動を支え、維持するために大きな犠牲を払った。
サンローランは、その魂を悪魔に売り渡すことによって創作の活力を維持できたとすらいえる。
サンローランの風貌が、カマキリどころか、時としてメフィストフェレスを連想させるのは偶然ではなかった。
「最高の服のためなら命も惜しくない」、「目を閉じれば服、目を開けると闇しか見えない」というサンローランの言葉は、「サンローランがサンローランであるために捨てたものが数多くあった」ことを物語る。
比喩的に言えば、「サンローランは、サンローランであり続けるために」良識、道徳、世俗的幸福、心の平和を犠牲にして悪魔と取引したのである。
創作の悪魔に魅入られたサンローランは、悪魔的快楽を創作のはけ口にした。

悪魔的快楽
その1 男色
サンローランは、ビジネス・パートナーであり、恋人であったピエール・ベルジェの他に、多くの男娼やジゴロを愛した。
映画は、夜のパリの裏通りで、怪しげな男たちに囲まれて上気するサンローランを映し出す。
サンローランの「オム・ファタール」(運命の男)になったのは、ジャック・ド・バシャールである。
ダーク・チョコレートのように真っ黒な黒髪、アーモンド型の黒豆のように光る黒目、真っ黒な髭をはやした伊達男で美男、どことなく退廃的なジャックとサンローランはパーティで出会い、互いに一目惚れする。
二人は言葉を交わさず以心伝心で互いの胸の内を悟り合い、パーティ後、外のベンチで待ち合わせたかのように落ち合う。
背徳の魅力に満ちた男娼の腐臭に満ちた魅力を発散するジャックによって、サンローランはさらなる悪徳の淵に沈み込む。
ジャックの悪影響によって、あれほど大切にしていた創作すら忘れていくサンローランを心配したピエールは、一計をめぐらしてジャックを追放する。
突然ジャックを奪われて茫然自失のサンローランは、生涯ジャックを忘れることができず、晩年になってもジャックの幻影を追った。
ジャックは、サンローランにとって異国情緒漂うオピウム(アヘン)のような存在であった。
ジャックはサンローランの創作意欲に火をつけたが、火は燃え上がったまま鎮まらず、
大火事になることを怖れたピエールによって消火されたのである。

その2 麻薬
サンローランは、自分に対してオピウム(アヘン)のような作用を持つジャックのすすめで麻薬に溺れていった。
サンローランは、自社ブランドの香水に「オピウム」と名づけたことが、スキャンダルを引き起こしたことを充分知っていた。
それにもかかわらず、その名前を撤回しなかったことは、サンローランのオリエンタルの危険な退廃への耽溺を示す。
オピウムの持続性の高い夜の香りは、ジャックの思い出の香りであり、長く身にまとうことでオピウムと自身の香りが一体化することをサンローランは秘かに夢見たのではないか?
伝説の香水「オピウム」のボトルのモチーフは、日本の印籠である。
東洋的房飾りがより豪華な印象を加え、1977年フランスでの先行販売以降世界で爆発的に売れたという。
非現実的で魅惑的悪夢の世界、オリエンタルの香りを持つ「オピウム」は、ジャックが麻薬によって誘導したデカダントな世界を象徴する。
サンローランは、麻薬の呪縛の囚われ人になっていたから、「オピウム」を創造しえたといえる。
麻薬の錠剤と酒を飲んで、ソファで眠りこけるサンローランとジャックの傍らで、愛犬が床に散らばっていた錠剤を大量にかみ砕いて食べ、痙攣しながら死んでいく姿は哀れである。
サンローランは、愛犬が身代わりになったと感じたのだろうか、罪滅ぼしのように、以後同じ犬種の酷似した犬を「息子」として次々と飼い、溺愛した。
サンローランのこのような「こだわり」こそが、創作の悪魔の秘密であったとはいえないだろうか?

その3 神経症
 「繊細さが彼(サンローラン)の心を壊していく」と映画では語られる。
サンローランには、神経症の既往歴がある。
新進デザイナーとして注目され出した矢先の1960年、アルジェリア独立戦争に加わっていたフランス軍に彼は徴兵された。
軍隊内の生活による極度のストレスのために、精神に異常をきたしたサンローランは、
フランスの精神病施設に収容される。後の薬物依存や鬱はこの時に始まったとされる。
人気デザイナーとなってからのサンローランは、次々とコレクションを開催することを求められ、創作と商業戦略の板挟みになり、ストレスに悩まされる。
この時、サンローランは、再び神経衰弱にかかり、薬物に救いを求めるようになる。

一時的に姿を消したサンローランに対して世間では、サンローラン死亡説や重病説が流れる。 
やり手ビジネスマンのピエールがいつも危機を回避してくれた。
しかし、映画は、そのピエール自身が夜中に錯乱したサンローランによって、危うく殺されかけたエピソードを披露している。    
◆ 過去のデカダンな映画の俳優     
『サンローラン』では、過去においてデカダントな映画に出演した俳優たちが顔を見せる楽しみが味わえる。     

☆ドミニク・サンダ
まずは、サンローランの母親役のドミニク・サンダ。 年配ながら美しく、どこかで見た顔だと思った方もいたはず。 『暗殺の森』、『1900年』、『ルー・サロメ/善悪の彼岸』で神秘的で妖艶な女優として、日本で特に人気の高かったフランス女優である。

ヘルムート・バーガー


晩年のイブ・サンローラン1989年を演じるのは、ルキノ・ヴィスコンティの秘蔵子と呼ばれたあのヘルムート・バーガーである。 『華やかな魔女たち』(1966) で本格デビューを飾り、『地獄に落ちた勇者ども』、『ドリアン・グレイ/美しき肖像』、『雨のエトランゼ』、『ルートヴィヒ』、『家族の肖像』、『サロン・キティ』と豪華で危険な退廃に満ちた話題作に次々と出演して注目されてきた。

おもしろいのは、老いたサンローランが、ベッドで横になって見ているTV映画が、サンローランを演じるヘルムート・バーガー主演、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に落ちた勇者ども』であることである。
サディストの変質者で、マザコンのエッセンベック男爵家のマルティンが実の母ゾフィー(イングリッド・チューリン)をレイプする倒錯の官能に満ちた場面は有名である。
その母と息子が言い争う場面を、息子を演じた俳優が高齢になって映画の中でTVの中の若き自分を他人として見つめる構図である。
観客席(映画館)―映画内―映画の中のTV という三層の重箱形式の遊び心満載の工夫が映画ファンを堪能させる。
サンローランは、「僕にはライバルがいない、それが悲劇なんだ」と不遜である。
サンローランの服は細長すぎて普通の女性には着こなせない、モデル用ではないか?という批判に対してサンローランは「痩せてください、もしも僕の服を着たいならば」と敢然と言い放った。
サンローランは、男性用香水の広告のために、自身の痩せたヌードを撮影させ、デザイナー自らが広告塔になった初めての例である。
すべてが斬新で革新的、思いもつかない奇抜な独創的でクリエーティヴなアイディアとデザインによって、サンローランは時代をリードした。
サンローランが、投資家と消費者の欲望を共にそそる天才的デザイナーであり、革新の嵐が吹き荒れた20世紀のアイコンであることは誰も否定できない。
非常に繊細なのに残酷、エレガントであると同時に暴力的、自己のアートや仕事には献身的だが、同時にわがままで奔放、アヴァンチュール好きなのに臆病、サンローランは矛盾した美しい野獣、それも保護されなければ生きられない野生動物であった。
サンローランは、悪魔に魅入られ、悪魔と取引をすることによって、モードの帝王として君臨したといえる。

悪魔は、サンローランから一般人が経験する幸福と安逸を奪う代わりに、創造的才能を与え、悪徳の快楽をその発散場として許した。
サンローランは、天才の多くがそうであるように、身を削るような努力と苦悩によってモード界のフェニックスとして永遠に生き続ける。


©2015 J. Shimizu. All Rights Reserved.  2015. Nov. 14

イブ・サン・ローランのマーク & サンローランの香水「オピウム」