戦火の馬 

(C)Brinkhoff & Mogenburg

2007年イヴニング・スタンダード賞/ 2007年批評家サークル賞/
2008年ローレンス・オリヴィエ賞/ タイムズ紙の“10年間の最優秀劇場公演”/
2011年トニー賞演劇作品賞含む5部門受賞/
2011年ドラマリーグ・アワード・プロダクション賞受賞/
2011年ドラマ・デスク・アワード作品賞/
2011年Outer Critics Circle Awards/
2011年 フレッド&アデル・アステア賞/


『戦火の馬』(原題National Theatre Live: War Horse
製作年 2014年/ 製作国 イギリス/ 配給 カルチャヴィル / 映倫区分 G /
上映時間:約2時間45分/
スタッフ:原作:マイケル・モーパーゴ/ 脚色:ニック・スタフォード/ 演出:マリアンヌ・エリオット、トム・モリス/
収録舞台キャスト・スタッフ:ジョーイ(仔馬期)アシュリー・チードル&タムシン・フェッシー&エマ・ソーネット/ジョーイ(頭部)ニコラス・ハート/ ジョーイ(中心部)アンドリュー・ロンドン/ ジョーイ(後部)サム・ウィルモット/ トップフソーン(頭部)ナイジェル・アレン/ トップソーン(中心部)マイケル・タイービ/ トップソーン(後部)ルイス・ペプロー/ ニコルズ大尉: アレックス・エイヴァリ―/ビリー・ナラコット&ジョーディー ・アリスター・ブラマー/アーサー・ナラコット :トム・ホジキンス/ デイビィッド・テイラー : ブライアン・ロンズデール/ テッド・ナラコット: スティーブ・ノース/ ステュワート大尉: ウィリアム・ライクロフト/ フリードリヒ・ミュラー: イアン・ショー/ エミリー : ゾーイ・ソーン/ローズ・ナラコット: ジョージー・ウォーカー/ アルバート・ナラコット: ショーン・ダニエル・ヤング/
舞台: ニュー・ロンドン・シアター(ロンドン)/
2016年11月11日から16日まで東京 TOHOシネマズ 日本橋他で全国公開

公式HP: http://www.ntlive.jp/warhorse.html

戦火の馬』――戦争が引き裂いた青年と馬   

                             清水 純子

小説の演劇化をそのまま映像化  
 『戦火の馬』は、マイケル・モーパーゴの小説を演劇にして舞台に載せ、さらにその舞台をそのまま映像に収めた。『戦火の馬』は、スティーブン・スピルバーグの映画化で有名だが、今回の映画は、英国ナショナル・シアターのライブ公演を映画館で上映する試みである。
演劇は本場の舞台で鑑賞するのが一番だが、上演期間中に英国の上演中の舞台に駆けつけられる観客ばかりではない。運よく時間的経済的余裕があって席がとれたとしても、舞台は見る場所の良し悪しによって見え方が大きく異なる。その意味で舞台そのままの映像化を見るのは、舞台を見る機会をもたなかった観客はもちろん、鑑賞した人にとっても貴重な記録である。


見事な馬のパペット
小説は馬のジョーイの視点から語られる物語だが、舞台化にあたって、馬が見たり、感じたことを登場人物のセリフに割り振って表現したという。舞台上の馬のセリフは一つもなく、時折いなないたり、鼻を鳴らして頭を振り、脚で地面をけったりするボディ・アクションのみで表現するが、馬のパペットとは信じられないほどの迫力と見事な存在感を示す。文楽の人形師を思わせる姿を見せない黒子のパペッティア(人形遣い puppeteer)が、馬の内部に潜んで、2名で4本分の馬の脚になり、馬の体の外にいる手綱を引く人間も馬の操作を助ける。
仔馬時代の脚は作りもので、義足のようなぎこちない雰囲気だが、成長した馬ジョーイは、よりリアルな動きと表情によって、命を吹き込まれる。小説同様、舞台の主役は紛れもなく馬のジョーイであり、馬の育て親である青年アルバートを除いて他の人間はすべて馬の引き立て役である。


人間と馬の友情、平和への祈り 
 500万人の人々が観たという世界的大ヒットとなった舞台の成功の秘密は、人形くささを超えた精密でリアルな馬の生きた動きと表現の豊かさにあることはいうまでもない。しかしテクニカルな見事さを支えるのは、戦争にも負けない人間と馬の友情、そして平和への祈りである。

 農家の少年アルバートは、父がセリ落とした仔馬を飼育することになった。見栄っ張りで負けん気の父は、兄と張り合って無謀にも借金返済用資金をすべて馬につぎ込み、母は怒り狂う。貧しいナラコット家にとって、農耕馬を母に、サラブレッドを父に持つこの美しい仔馬を成長させて高く売ることしかできなかったからである。一人っ子のアルバートは、仔馬をジョーイと名づけて愛情を注ぎ、ジョーイもアルバートの言葉と心がわかるようである。時は第一次世界大戦勃発寸前で、イギリスにドイツ軍が侵略してくる。村の若者は次々と兵隊に志願し、徴兵され、立派な馬は軍隊用に差し出すことを要求される。名馬ジョーイには100ポンドの値がつき、眼がくらんだ父は今回も考えなしに、アルバートに無断でジョーイを軍馬として売り飛ばす。半狂乱になったアルバートは、ジョーイを探すために16歳で軍隊に志願する。嘆く母と後悔する父を後にアルバートは家を出た。ジョーイに乗ったイギリス軍上官たち、従兄のビリー・ナラコットは戦死したが、ジョーイは生き延びていた。名軍馬としてスタートしたジョーイは、敵のドイツ軍の持ち馬として傷病兵や大砲を運ばされ、鉄条網で脚を傷つけられ、かっての名馬ぶりを失っていた。一方アルバートも戦争の残酷さを嫌というほど味わい、希望を失って自暴自棄になっていた。その時、催涙ガスのために一時的に失明したアルバートの耳に聞こえてきたのは、処分寸前の馬のいななき、なんと探し求めたジョーイだった。よぼよぼになったジョーイを連れて帰郷するアルバートを父母が涙を流して出迎える。

 青年アルバートと馬のジョーイの再会に観客も感涙にむせぶ。貧困と戦争に負けずに、愛馬をあきらめることなく探し求めたアルバート青年の真心と純粋さ、情熱は国境を越えて共感を呼ぶ。戦場に累々と横たわる兵士の死体のむごさは敵も味方もない。アルバートの従兄のビリーは、祖父と父を守ったお守りの小刀を差し出すことを拒否したために、ドイツ兵にその小刀で刺されて絶命する。お守りに殺されたのは、やりきれない皮肉である。馬のジョーイも人間のその時々の気まぐれで売ったり買われたり、飼い主もイギリス人、ドイツ人、フランス人と次々に入れ替わり、人間の都合次第であり、役に立たなくなれば処分の運命である。家畜だから仕方がないのだろうが、ジョーイの人権ならぬ馬権を認めてくれたアルバートには力がなくて運命にもてあそばれる。まるでトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の薄幸のヒロインのテスさながらである。観客は、純情な青年アルバートとテス風馬のジョーイの純愛、別離、苦難の末の再会に感動する。
彼らを引き離したのは、間違いなく戦争が原因である。戦争が引き裂くのは、恋愛でなくても人間と動物の愛も同等に共感を呼ぶ。マイケル・モーパーゴの原作の底流にあるのは、反戦思想である。お国のためにすべてを捧げて消えた人々のむなしさと喪失感をアルバートとジョーイの物語に織り込んでいる。スコットランド演劇『ブラック・ウォッチ』とは違って、戦意高揚や愛国心を煽る政治的意図は見られない。悲惨な戦争が続く世界にあって、平和への強い祈りがこの作品には感じられる。


馬の重要性 
 人間の馬に対する愛情は、この戯曲の場合、犬に対する以上である。馬は家畜の中では知能が高く、長期記憶に優れている。馬は、世話をする者に対して信頼を寄せ、従順であり、大事に扱ってくれた人間の顔を生涯忘れないと言われる。逆に下手な乗り手や自分をぞんざいに扱う者には、馬鹿にしたり、からかったりして反抗する。戯曲の中でも、ジョーイは、アルバートには素直なのに、利己的な父を蹴る。これは原作者の馬の擬人化であるとはいえない。アルバートが命に代えて一頭の馬を探したのも、馬の高い記憶力と認識力、義理がたい性質から考えて不思議なことではない。
 馬は、とりわけ西洋では、重要な存在であった。馬は農耕や荷物運びに役立つばかりでなく、馬車や乗馬に使われて人間の足そのものであった。アメリカの西部劇に見られるように、馬泥棒は死刑と決まっていたが、その理由は砂漠あるいは荒野で馬を奪われた人間は生きていけないからである。馬は、人間の命を握る存在であった。
 『戦火の馬』の背景となる20世紀初頭は、戦争にまだ馬を使っていたのだが、機関銃などの新兵器が使われ出して、名馬に乗っているだけでは勝てなくなってきていた。第二次世界大戦では馬は戦場に登場せず、農耕用には大型の機械が使われるようになって、活躍の場が狭まった。現在馬が一番重用されるのは競馬だが、西洋の人々にとって馬は変わらぬ友達である。実際に馬を飼った人でないと、馬への本当の愛情はわからないだろうが、欧米の人々と馬との親愛な関係と感情は今でも変わらない。『戦火の馬』の大ヒットには、反戦思想と共に馬への西洋文化特有の愛着が存在する。

©2016 J. Shimizu. All Rights Reserved.  2016. Oct. 30


(C)Brinkhoff & Mogenburg


50音別映画 に戻る