鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽


『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』
劇場公開日:2022年11月4日より全国公開
オフィシャルサイト:https://syayo.ayapro.ne.jp/
2022年製作/109分/G/日本/ 配給:彩プロ/
スタッフ:監督 近藤明男/原作 太宰治/ 脚本 白坂依志夫、増村保造、近藤明男/主題歌:小椋佳/
キャスト:宮本茉由、安藤政信、水野真紀、奥野壮、田中健、細川直美、白須慶子、三上寛、柏原収史、萬田久子、柄本明 その他/

『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』(C)2022 『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』製作委員会


『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』――優雅なる没落

                     清水 純子

 『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』は、一言で言うならば、敗戦後、華族制度廃止のために、生きる目的もすべも失って没落していく華族の顛末を優雅に哀愁をこめて描いた映画である。原作は、青森の大地主の10男に生まれ、心中を繰り返した人気作家、太宰治の『斜陽』である。

没落貴族
母・島崎都貴子
 華族として優雅に没落を完了したのは、母・島崎都貴子である。夫も爵位も本郷の屋敷も失った都貴子は、離縁されて戻ってきた娘・島崎かず子に伴われて西伊豆の田舎に転居を余儀なくされる。根っからのお姫様で、働くことも人を疑うこともなく天真爛漫に育ったかに見える都貴子だったが、没落の憂き目に耐えかねて転居先で気絶する。都貴子は、この別荘に来てから体調を崩すばかりで、東京にいたころの華やかさと快活さを失って結核に冒されて果てる。
「本物の貴婦人」「最後の貴婦人」と呼ばれた都貴子は、浮世離れした感覚の持ち主で、それゆえに華族の象徴として人々の心をとらえ、尊重されるが、敗戦後の厳しい日本では生きる場所をもたなかった。
 華族の婦人は、意外なお行儀の悪さを許されていた――家の庭木の陰で用をたすことが日常的であり、「今何していると思う? おしっこよ! ああ気持ちいい!」とくったくなく、子供の前でしゃがみ込んで笑みを浮かべて話す都貴子は不思議な存在である。身分が高くなるほど行儀が悪くなるという逆説的な現象を目の当たりに見せる。この天衣無縫の貴婦人は、新時代に抗うことも馴染むこともなく、娘と息子に看取られて布団の上で安らかになくなる。まるで天女が地上に誤って舞い降りしてしまったかのように優雅な転落であった。

②長男・島崎直治
 戦地帰りの島崎家の長男・直治は、家財を持ち出しては売りさばいて飲んだくれる放蕩息子である。新進作家の上原を師匠として仰ぎ、取り入って作家になろうとするが、才能も根性もなく芽が出ないままつぶれていく。無気力で投げやりで気位だけ高い直治も、戦後の急激な価値観の変化に対応できず、自死する。直治は心の弱いダメ男の典型として描かれるが、薬物中毒、過度の飲酒、複数回の自殺未遂の末に心中により命を絶った破滅型作家の太宰治その人の分身である。迷惑男の直治だが、身体は無傷で戦争から戻ったが、心はずたずただったのだろう。戦地での生活を聞きたがる母にその話題には触れさせない。いかに過酷な状況が胸に焼き付けられていたかは想像に難くない。今でいうPTSD(Post Traumatic Stress Disorder 心的外傷後ストレス障害)である。戦地の命を脅かす強烈な日常体験によって、心的外傷(トラウマ)を被ったまま、癒されずに復員したのである。
 生き延びて戻った日本では、華族制度が廃止されて特権は奪われ、生活の苦労をしたことのない直治には、悪夢の現実が待っていた。結核にむしばまれていく母の身体と出戻りになってもんぺ姿で野良仕事にいそしむ姉を前にして、ひ弱な直治の心身は耐えられなかった。八方ふさがりになった直治は、楽になるため究極の敗北である自死を選ぶ。現代だったら、直治は心療内科で治療を受けるべき患者だった。直治は他人の介入を拒否して、華族である誇りを捨てきれないためにこの世と「グッドバイ」した。

負けない長女・島崎かず子
 母も弟も没落貴族としての宿命に耐えられずこの世を去ったのに対して、長女・島崎かず子だけは、時代の波に乗った「新しい女」として生き延びる覚悟をする。野良仕事にいそしみ、転居先の農民と親しく会話するかず子は、過去の遺産を売り払って生活の糧に変えることに躊躇はなく、自立心旺盛に独力で運命を切り開く。60歳過ぎの大画家の求愛を拒んだかず子は、弟の師である売れっ子作家・上原二郎を執拗に誘惑して男児を孕む。かず子のきっぷの良さに惚れた上原が求婚してくるが、きっぱりことわって未婚の母を選択する。本が飛ぶように売れても一銭も家に入れず、妻子をほったらかして飲み歩く自堕落な上原へのふさわしい対応であるが、無謀ともいえる度胸のよさである。
 映画では語られないが、かず子は一度結婚に失敗して流産の経験がある。飲み屋のおかみや男にたかる娼婦たちを目のあたりにしたかず子には、開き直りの精神が備わっていたのであろう。過去の身分の上下に関係なく、大地に根ざす女のたくましさを象徴する。平民で破滅型の飲んだくれだが才能ある男、上原の種を宿して品種改良に成功したかず子は、男児出産によって「大地の母」として復活した。かず子は、自らの血筋からも生まれた男児の血からも没落貴族の堕落した貧血気味の血を洗い流して強化した。かず子だけが死に神に取り付かれることなく、大地に根を下ろして未来を見据える。

不思議な安らぎを与える没落
 しとやかに見えるが、現代風の体形の宮本茉由が「新しい女」をあでやかに演じる。
レディ・キラーで才能に溺れて零落する天才作家・上原は、太宰治の自画像であるのはいうまでもないが、演ずる安藤政信は、着物姿が板について、時代を超えた粋で洒脱な影ある二枚目を好演する。
 21世紀のせわしない風潮からは、浮世離れした『斜陽』だが、戦後の混乱の変化にしなやかに、したたかに対応できず没落していくしかない人々を優雅に、同情と共感をもって描いた作品にほっとする人もいるのではないか。夢に破れて落ちていく負け犬の心情を豊かに美しく描いた映画によって、逆にストレスを癒され救われる人もいる。これはまさに敗北の美学である。死に神への甘美な耽溺、優雅なる没落――この感覚こそが太宰文学の人気の秘密か?

©2022 J. Shimizu. All Rights Reserved. 1 Oct 2022.

 

 

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