スポットライト


アカデミー賞 作品賞 脚本賞 受賞
ゴールデングローブ賞 最優秀作品賞(ドラマ) 
           最優秀監督賞 
           最優秀脚本賞 受賞

Kerry Hayes (C) 2015 SPOTLIGHT FILM, LLC


『スポットライト 世紀のスクープ』
原題 Spotlight  製作年2015年  言語 英語
製作国アメリカ   配給 ロングライド
上映時間 128分   映倫区分G
スタッフ:
監督トム・マッカーシー
製作マイケル・シュガー  スティーブ・ゴリン 他
キャスト:
マーク・ラファロ:マイク・レゼンデス
マイケル・キートン:ウォルター・“ロビー”・ロビンソン
レイチェル・マクアダムス:サーシャ・ファイファー
リーブ・シュレイバー:マーティ・バロン
ジョン・スラッテリー:ベン・ブラッドリー・Jr.
公式HP:  http://spotlight-scoop.com/


『スポットライト 世紀のスクープ』―神父の犯罪を暴くジャーナリズムの使命

                              清水 純子


『スポットライト』 は、地元ボストン教区の神父の性的醜聞を公表したジャーナリズムの勇気と使命を綴る社会派ドラマである。
2002年ボストンの新聞『ボストン・グローブ』の少数精鋭取材チームの「スポットライト」は、様々な障害と妨害を乗り越えてカトリック教会の暗部を暴いた。
★悪徳神父をかくまうカトリック教会地区少数派のユダヤ系の新編集長バロンが率いる 『ボストン・グローブ』 は、地元ボストン教区のゲーガン神父が30年間に80人の子供を性的に虐待した嫌疑をもみ消したカトリック教会を敵に回して、裁判所に封印された文書の開示を求める。
バロンは、社内の少数精鋭チーム「スポットライト」の人望の篤い敏腕家ロビンソンの協力を得て、「ゲーガン事件」を再調査して真相究明の決意を固める。
抹消された記録から、教会による組織的犯罪の影を嗅ぎつけ、地下倉庫にもぐって調査していくと悪徳神父はゲーガンに留まらないことが判明する。
信者の子供へ性的いたずらをした神父は、数十人を超え、その被害者は、1,000人以上に上ることが発覚する。
資料に隠された神父の悪行を読み解くキーワードは、「休職中、出向不能、緊急対応」である。
カトリック教会は、幼児に性的虐待をした神父を病気扱いにして休職させたり、転任させて、弁護士を使って示談にさせたうえで、事件をもみ消して、裁判所からその記録を抹消させていた。
しぶる被害者を説得して聞き込みを続けるうちに、悪徳神父が標的に選ぶ児童には共通の特徴―貧困、父の不在、家庭崩壊、寡黙、強い羞恥心―があることが明らかになる。被害者の多くは男児である。
神と同一視されるほどの権力と尊敬を集める神父の要求を断れない弱い立場の若年層、それをいいことにつけあがる悪魔のような神父の性的欲望、飼っている神父の悪行を知りながら醜聞を怖れて尻拭いせざるをないカトリック教会の腐敗体質が浮かび上がる

今さら誰が教会に幻滅する?
「今さら誰が教会に幻滅する?」と言ったのは『ボストン・グローブ紙』の編集長ベン・ブラッドリー・Jr.である。
『大統領の陰謀』(1976)のワシントン・ポスト紙編集長の息子のブラッドリー・Jr.は、教会の腐敗など珍しいことではないから特ダネにならないのにもかかわらず、危険が大きすぎるとバロンに強く反対するが、事件の重大さに気づいてからは、協力的になる。
バロンの「神父個人の悪行を暴いただけでは、犯罪の根は断てない、組織としての教会の隠蔽システムをあげなければ、この手の犯罪は続く」という達観の正しさに気づいたからである。
古来西洋では、聖職者の堕落を語る小説や映画は多くある。
最近では白人神父と黒人少年信者のホモセクシュアル疑惑事件を描いた戯曲を原作にする映画『ダウト〜あるカトリック学校
で〜』(Doubt, 2008)、『司祭』(Priest,1994 英)、古くは『悲しみの天使』(Les amitiés particulières ,1964仏)など枚挙にいとまがない。
妻帯を禁じられているカトリックの神父は、同性愛である確率も高く、性的不自由さから性的誘惑に弱いと言う人もいる。
修道女の性的堕落にいたっては、好奇の的であり、ポルノ小説やポルノ映画の格好の題材になっている。
聖職者の堕落は珍しくないので、特ダネにはならないというのは正しい見解である。
★成功の鍵は、被害者に光をあてたジャーナリストの勇気神父の性的犯罪の被害者の告発に焦点を絞って取材し、公表したジャーナリストの勇気と苦労を描いた点に『スポットライト』の成功の鍵がある。
取材に応じた神父も中にはいるが、大半が被害者の信者の押し殺された叫びと怒りにスポットライトをあてたことが、この映画
の新しさである。
これまで作品化されてきた教会内の性的関係の多くは、カトリックの教理に背いた神父の罪と快楽に焦点があてられていた。
そこでの性的行為は、罪であっても犯罪ではなく、相手になった少年または女性は、神父同様に快楽を共有したためにカトリック教会における罪びとであり、禁じられた快楽の共犯者であるが、法的な意味での被害者にはならなかった。


セクハラ・パワハラ・カトリック神父
相手の合意のもとでの性的関係は、戒律を破っても、法律は破らない。
しかし、『スポットライト』が告発したカトリック神父は、合意が得られるはずのない小児を相手にしているためにたちが悪い。
しかも、自分からは助けを呼べない状態にある声なき弱者を餌食にしているため、権力を持つ神父のセクハラ、およびパワハラである。
これらの神父は、宗教上の「罪びと」ではなく、法的な意味での「犯罪者」である。

神父を犯罪に駆り立てるもの
1.信者の足場の弱さ
神父を犯罪に駆り立てるものは、第一に地区の信者の社会的経済的立場の弱さである。
弱い心を隠し持った強者は、自分より弱い者を餌食にする。
神に仕える身であっても、捕食の本能を持った人間の神父には歯止めがきかない。
教区の信者が強大な権力と財力を持つ王侯貴族であったり、教会に大口寄付をする有力者であるならば、神父も邪悪な欲望を露わにして脅かすことはなかったであろう。
2.神父の妻帯の禁止
神父も人間であるから、性的欲求を持っている。
プロテスタントの神父には妻帯が許可されているので、性的に孤独ではない。
それに対して、カトリックの聖職者は独身が条件なので欲求不満になりやすい。
はけ口は、妻ではなく、自分に逆らわず、告発しそうにない教区の弱者の家に生まれた少年が選ばれる。
3.アメリカのカトリック教
日本では、仏教の僧侶に対する「生臭坊主」という軽蔑語があるように、宗教を徹頭徹尾神聖なものと見ない伝統がある。
旧世界でのカトリックは、その長い歴史から仏教同様、本音と建て前をうまく使い分けることにおいて巧みであり、信者も要領がよく、戒律を守っているように見せて適当に息抜きをする技を心得ている。
神父の色事は、小説や映画の風刺の種になって嘲笑されて娯楽に利用される。
事実、ローマ法王に隠し子がいたり、女たらしで何人もの女性に子供を生ませた神父の話はたくさんある。
魔女裁判、十字軍、宗教改革と数々の試練を経てきた欧州勢カトリックは、聖なる顔と俗なる顔の二つの面をうまくコントロールしてバランスを保って生きながらえてきた。
それに対してアメリカでは、特にカトリック教徒の貧困層では、宗教に頼り、全身全霊で神父にすがっているように見える。
カトリック教徒であっても、祖国アメリカはナサニエル・ホーソンの小説『緋文字』(The Scarlet Letter, 1850年)のお国柄である。
アメリカでは、罪は埋もれたままにはさせない、暴かれ、罰せられなければならないのである。
アメリカのジャーナリストは、うやむやにされている事件に、白黒をつけて、正義と悪を仕分けをして、公表することが社会的役割であり、使命であると期待されている。

 

2016 J. Shimizu. All Rights Reserved. 29 April 2016
 

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