SPY TIME スパイ・タイム

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『SPY TIME -スパイ・タイム』
(原題:Anacleto:Agente Secreto)
製作年度 2015年、 製作国:スペイン、 言語:スペイン語、 
カラー、シネマスコープ、98分
スタッフ:監督:ルイス・ハビエル・カルデラ 
脚本:フェルナンド・ナヴァロ、パブロ・アレン、ブレイショ・コラル
キャスト:イマノル・アリアス:アナクレト役、 キム・グティエレス:アドルフォ役
ベルト・ロメロ:マルティン役、アレクサンドラ・ヒメネス:カティア役 、カルトス・アセレス:バスケス役
配給: 熱帯美術館   協力:セルバンテス文化センター東京 
2016年1月23日(土)ヒューマントラストシネマ渋谷ほかロードショー
Facebook HP: https://www.facebook.com/spytime.jp/
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=mt_BM8S3rJw


『SPY TIME -スパイ・タイム』―パパの秘密はスパイ! 僕もスパイ?

               清水 純子

『SPY TIME-スパイ・タイム』は、スペインで30年前に大ヒットした人気コミックの実写化である。
原作は、マヌエル・バスケス・ガジェゴ (Manuel Vázquez Gallego, 1930 -1995)による漫画『秘密諜報部員アナクレト』(1964) である。
おとぼけスパイのアナクレトが手に汗を握る冒険を次々と繰り広げるが、すべて失敗に終わるというアクション・コメディである。

映画『SPY TIME-スパイ・タイム』のアナクレトは、超一流の腕利きの秘密諜報部員のはずなのだが、どういうわけかドジとヘマの連続で、任務はいつも不首尾に終わり、結果的にミッション:インポッシブルになってしまう。
アナクレトは、007ジェームズ・ボンドばりのかっこいいスーツに身をつつみ、蝶ネクタイをして、シリアスな表情で登場するが、思わぬ失敗とつまずきの連続に見舞われる。
しかしアナクレトは、失敗をものともせず、くじけずにミッションに向かって前進するのみである。
観客はアナクレトの目指す理想と苦い現実のギャップに大笑いして、そのダメ男ぶりに親しみと共感を覚える。
華麗なアクションを披露しつつ、その後には「年だからきつい」とこぼす人間味あふれるオジサマぶりである。
かっこいい外観にもかかわらず、秘密諜報部員アナクレトの現実は、観客自身の退屈で冴えない現実以下だと男性観客は優越感を覚えて安心し、女性観客は彼の純真さとあぶなっかしさに母性本能をくすぐられる。

アナクレトの自意識過剰ぶり、自信過剰で現実が見えないままに任務遂行の理想に向かって突っ走る姿は、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』の主人公ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャを連想させる。
アナクレトは、イギリスの敏腕スパイの007ジェームズ・ボンドのパロディ化であると同時に、見果てぬ夢を追うスペインの伝統的男性像ドン・キホーテのイメージを合わせ持つ。
スペイン男性のアナクレトは、冷徹なふりをしているが、ジェームズ・ボンドとは違って義理堅く、意外なまでにモラリストである。
アナクレトの息子思いは、ボンドのキャラクタライゼーションと大きく異なる点である。
「スパイは子供を作ってはいけないと言われている」のに、アナクレトにはなぜか一人息子アドルフォがいる。
「出来ちゃった婚」をしたアナクレトは、息子の教育のためにスパイであることを隠して、ソーセージ職人だと息子に信じこませて大切に育てる。
しかし、いざという時のために備えて、息子アドルフォには、スパイに必要な身体能力と訓練をわからないように秘かに授けておくというぬかりのなさである。

初老の男になってリストラ寸前のアナクレトは、仇敵バスケスを砂漠の刑務所から移送中に逃がしてしまい、自分ばかりでなく、息子アドルフォの命まで脅かされるはめになる。
ダメおやじだと見くびってきたアナクレトの本業がスパイだと知って、驚き、喜ぶ息子のアドルフォ。
登場したばかりのアドルフォは、おやじに負けないダメ男に育ってしまったように見える。
警備員をしているが、家ではソファーでジャンク・フードを食べながらゲームに熱中、身の回りのことはガールフレンドのカティアにまかせっきり、運転免許もとれず、子供のように車で送り迎えが必要。
業を煮やしたカティアに三下り半を突きつけられ、狼狽して復縁を懇願中。
そんなアドルフォだが、ダメおやじだと見くびっていたアナクレトが体を張って自分の命を守ってくれたことを知った時、アドルフォの中に眠っていたスパイの才覚が突如目覚める。
才能プラスオヤジからの特訓がアドルフォの内部で芽を出し、アドルフォは父親顔負けの名スパイとして開花する。

『SPY TIME-スパイ・タイム』のおかしさは、コミカルでとぼけた軽いタッチのブラック・ユーモアである。
アナクレトの正体がスパイであることを知ったアドルフォが「何人殺したか? それじゃ大量虐殺じゃないか?」と驚くと、アナクレトは「安心しろ、殺したのは千人以下だ」と安心できない答え方をする。
ソーセージ職人のアナクレトが、死体を巧みに解体するのを見たアドルフォは、「まさかソーセージも人肉でずっと作ってきたのか?」と疑い、「サイコ野郎か?」と震え上がる。その時のアナクレトの服装や背景がハリウッド映画のサイコ映画を思わせる設定なので、映画通の観客は笑いころげるであろう。
恋人のカティアの家族が、アナクレトを売ったことや、父親が母親に内緒で美女に色目を使っていたことを自白剤入りの飲料を飲まされてべらべらしゃべるところもおかしい。
アドルフォとカティアがペアで柱に縛りつけられる場面は、『007ジェームズ・ボンド』や『インディ・ジョーンズ』などハリウッド映画でよく見る構図である。

アナクレトがハリウッドのスパイ映画と一線を画すのはそのモラルの高さと家族愛である。
アナクレトは、妻を亡くした後、男手一つで息子を育て上げる。
息子の安全のために自分の本当の職業を絶対に明かさない。
息子本人にもわからないような巧妙なやり方でスパイとしての技を仕込む教育パパであり、次世代育成型の模範的職業人である。
息子のためには、自分の命を捧げるのを惜しまない。
アナクレトが大衆に深く愛され、支持された理由は、理想と現実のギャップにもみくちゃにされるコミカルなおかしさに加えて、人間性の豊かさ、危うさに隠されたやさしさと健全なモラルであろう。

1970年代から80年代にかけてスペインで最も注目され、人気のあった漫画家マヌエル・バスケス・ガジェゴは、惜しくも1995年に65歳で心臓発作を起こしてバルセロナで亡くなった。
アナーキストでボヘミアンであったガジェゴは、その作品同様に様々な伝説と憶測を呼び、謎の生涯は2010年にEl Gran Vázquezという題で映画化されてさらなる話題を提供したという。
 

人気コミック『秘密諜報部員アナクレト』の作者マヌエル・バスケス・ガジェゴ
(Manuel Vázquez Gallego Madrid, 1930 - Barcelona, 1995)