スターシップ9(清水)


『スターシップ9』
監督・脚本:アテム・クライチェ プロデューサー:クリスチャン・クンティ、ミゲル・メネンデス・デ・スビリャガ 
撮影:パウ・エステヴェ 編集:アントニオ・フルトス 美術:イニーゴ・ナヴァロ 音楽:フェデリコ・フシド  
出演:クララ・ラゴ、アレックス・ゴンザレス、ベレン・エルダ、アンドレス・パラ
2016年/スペイン・コロンビア/スペイン語/95分/カラー/シネスコ/5.1ch/DCP/原題:ORBITA9/配給:熱帯美術館  
© 2016 Mono Films, S.L./ Cactus Flower, S.L. / Movistar +/ Órbita 9 Films, A.I.E.

© 2016 Mono Films, S.L./ Cactus Flower, S.L. / Movistar +/ Órbita 9 Films, A.I.E.
スターシップ9のオフィシャルサイト



『スターシップ9』――宇宙船のラプンツェル  
                                清水 純子

スペイン産の地味だが美しいSF
 『スターシップ9』は、スペインのSF映画という珍しさがまず注目される。アメリカのメジャー作品のようにふんだんに資金をつぎ込んだ、これ見よがしのきらびやかさ、人工性には無縁だが、豊富なアイディアと美しい人々、日常性に根差した親しみやすさと人肌の温かさを武器にした映画である。このスペイン産SF映画は、奇抜さを排除して、伝統的物語や背景を基盤にすることによって、地に足がついた、違和感のない恋愛ドラマに仕上がっている。

宇宙船に幽閉された姫君エレナ  
 ウィノナ・ライダーを思わせる黒髪、黒目がちのすらりとした美少女エレナは、宇宙空間のスペースシャトルに閉じ込められ、20年後に到着するはずの惑星へ一人旅を続けている。エレナの両親は、娘の吸う酸素節約のために、自らシャトルを出て命を絶つ。エレナは、両親の残した慈愛にみちたビデオ映像を繰り返し見て過ごすのが日課となっている。エレナの健康と発育を守るのは、スペースシャトル内の女性音声のコンピューターである。エレナは、コンピューターの指示を待ち、コンピューターと必要最低限の会話を交わす他にコミュニケーションをとる相手はいない。しかし、スペースシャトルの酸素状態の悪化の修理のために、地球からアレックスという若者が送られてくる。両親以外の人間を見たことがなく、孤独に慣れていたエレナだったが、アレックスに一目惚れして一度限りのセックスを申し出る。絵の中の姫君のように美しく神秘的なエレナの魅力に負けたアレックスは、任務を忘れてエレナの誘惑に屈する。地球に一人戻ってもアレックスは、スペースシャトルに残してきたエレナのことが忘れられず、紋々として心が晴れず、欺瞞に満ちたこの実験計画に疑問を感じて上司と対立する。アレックスは、エレナの宇宙船は、地球の奥深い森の地下に設けられた研究施設であることを知っていた。エレナは、人類を救うために選ばれた宇宙飛行士ではなく、人体実験用モルモットだったのである。エレナの運命に同情したアレックスは、エレナを地中から救い出して恋の逃避行を続ける。しかしエレナが生みの親を探したことから足がつき、恋人たちは宇宙開発会社にみつかり、エレナの命は危うくなる。恋人たちの行く手には待ち構えるのは?

ラプンツェルとエレナの相違点
 西洋文化に詳しい人ならば、エレナの幽閉と開放の物語の設定が、グリム兄弟の童話「ラプンツェル」に設定が酷似していることに気がつくであろう。しかし19世紀中庸のドイツで編まれたラプンツェルと21世紀初頭スペイン産エレナでは、背景が大きく異なるために、大幅な修正を加えなければ受け手は納得しない。ゲルマン系民族ラプンツェルの特徴的金髪はスペイン系エレナでは黒髪に、ラプンツェルの裾の長いドレスはエレナの機能的な宇宙服に、ゲルマンの森の地「上」の高い塔はスペインの森の地「下」の宇宙船に、ラプンツェル(チシャ)を魔女の畑から盗んだ両親は、宇宙開発会社の実験に忠実な研究社員夫婦に変わる。
原典の魔女は、映画では非人道的利益追求の宇宙開発会社(エレナの教育係兼目付役の女声コンピューター)に転換されている。「ラプンツェル」の魔女は、女魔法使いとも、妖精とも表記され、恋人たちの行く手を阻む反対勢力であることは間違いない。しかしこの老婆が、悪者なのかどうかはわからない。女の子を大切に養育し、貞操を守るお目付け役シャペロンだと考える人もいる。それになぜこの老女が女の赤ん坊を所望して高い塔に閉じ込めておくのか、その動機がはっきりしない。それに対してエレナの魔女である宇宙開発会社の目的は、人体実験であり、娘の人権を踏みにじり、だましてモルモット化する明確な悪の位置づけである。

ラプンツェルとエレナの共通点    
 映画が「ラプンツェル」と共通するのは、暗い森の秘密の入口、思春期の女性の幽閉と保護、男性との出会いによる女性の性的目覚め、掟破りの秘密の恋愛、その結果の妊娠、純潔喪失の罰としての追放という点である。若い男女の恋愛を阻むものは、常に年長者の社会的枠組みのパワーである。しかしいったん否定され抑圧された恋愛が子供の誕生によって認可されるというプロセスも共有している。ラプンツェルは双子の男女に対して、エレナは女児を身ごもる。妊婦になったエレナも、森の中でアレックスとの再会を予期できるのか?

親近感の出所   
 『スターシップ9』を見た観客がこの近未来のドラマに不思議な親近感を覚えるのは、現代を超越した近未来性を備えながら、そのストーリーを人類が共有し共感できる古典的童話に負っているためであろう。
またエレナとアレックスの逃げ出す地上も、妙に洗練された非日常的人工的空間でないところが現実的で落ち着いた日常的性を堪能させる。リアルで親しみが持てて、どこかで見たような、聞いたようなドラマを違った味付けで再体験する時、人は共感し、くつろぐ。
 低予算だが奇をてらわずに作られた『スターシップ9』は、新しい見かけを持ったその底に巧みな古典回帰の手法と卑近な日常性を織り込み、それゆえに成功している。

©2017 J. Shimizu. All Rights Reserved. 2017. Aug.1.

(C)2016 Mono Films, S.L./ Cactus Flower, S.L. / Movistar +/ Orbita 9 Films, A.I.E.

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★スペインの鬼才アテム・クライチェ監督オフィシャルインタビュー

監督は、映画専門誌VARIETYにて『注目すべきスペインの若手映画製作者の一人』に選ばれた俊英で、『ヒドゥン・フェイス』『ゾンビ・リミット』の脚本家アテム・クライチェで、本作が長編監督デビューとなる。出演は『ザ・エンド』(2012)のクララ・ラゴ、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(2011)のアレックス・ゴンザレスといった若手実力派俳優二人を主人公に配し、ベレン・ルエダ(『ロスト・アイズ』(2010)、アンドレス・パラ(『コレラの時代の愛』(2007)ら名優が脇を固める。


Q:子供の頃からジャンル映画が好きだったのですか?
ジャンル映画は好きですが、ジャンルに完全にこだわったりその定義に縛り付けられたような形の映画を作りたいと思っているわけではありません。『ゾンビ・リミット』(13)ではゾンビが出てきますけど、例えばゾンビの出てこないような形で、ゾンビを使った映画とゾンビ映画とは全く違うことだと思うんです。『ヒドゥン・フェイス』(11)の場合は入口は心霊映画のようで幽霊とか出てきますが最終的にはスリラーになります。『スターシップ9』に関しても入口はSF的なアプローチですけど最終的には現実に根差したSFになるので完全なSF映画というジャンルには位置付けられないと思います。ですから私の中では正統的なジャンル映画ではなくて、一種のアプローチというかジャンルの要素は取り入れながらジャンルを横断していくような映画というのを作りたいと考えています。
私の場合はジャンルに縛られないこだわらないと同時に、色んなタイプの例えばゾンビ映画であっても心霊映画であっても最終的には現実に根差した物語を展開したいというのが私の願いとしてあります。


Q:コロンビアで撮影したと聞きました。ロケーションがとても近未来的というかSF的だなと思いました。CGなどは使っているのでしょうか?
CGは使っておりません。ほとんどの撮影をコロンビアのメデジンでしました。私の中で思い描く近未来というのは非常に両極化した社会が存在すると思っています。極端にお金持ちの人と極端に貧しい人がいて非常に混沌とした世界が近未来かと思っております。例えば東京と言うのはプラスの面で非常に近未来的な社会だと思います。しかし負の面というのが東京ではあまり見られない、スペインでも対照的な社会層の人々が存在する地域が無いんです。しかしコロンビアのメデジンでは近代的な側面を持つ地域と非常に貧困が集中しているような地域が同じ地域に存在していて、私の思う近未来の姿がビジュアル的に上手く撮れるんじゃないかと思いました。光に少し手を加えたりはしたが、外での撮影に関しては98%そのままの映像を使った。私が思う近未来のビジュアルととてもマッチしていました。

Q:さまざまなガジェットが出てきます。例えば紙が指紋認証のようなシステムだったり、、実現していそうでしていないギリギリのラインの技術が随所に見られますが、そういった部分のリサーチはされたのですか?
東京には全部あるかと思っていますけど(笑)。この映画はSF映画としては予算がとても少なく、撮影期間も5週間半しかありませんでした。だから撮影に入る前にたくさん話し合って調査をしました。もちろん映画に出てくるガジェットについても。ここに出てくるのは技術的には今実際にあっても不思議ではない、未来とはいっても遠い未来や遥か彼方の未来ではなくて、近未来それも現実にかなり近い近未来と言うものを考えていましたので、今あってもおかしくない装置というイメージをしました。
またロケ地のコロンビアのメデジンがロケ地になったんですが、私が描く近未来というのは、日本は幸運な国なのでそういう風にはならないと思いますが、両極端の世界が出てくる社会だと思うんです。金持ちと貧しい人の両極端になるのが近未来の社会だと思う。

:主人公のクララ・ラゴさん演じるエレナがとてもかわいくて、純真さや無垢さがとても出ていて良かったです。キャスティングや演出についてお聞かせください。
クララ・ラゴは私が初めて長編映画の脚本を書いた『ヒドゥン・フェイス』にも出演した女優です。彼女の世代の中では彼女が一番の女優だと思っている。なぜかと言うと彼女は非常に自然体で感性がよくて勘のいい、直感のある女優さんだと思います。この脚本を最初に彼女に渡した時に、「役作りが難しい、どこにすがって役作りをしたらいいのか」ということを言っていました。エレナ役は普通の人間が成長していく過程で体験する愛であるとか失恋するとかいろいろな人との関わりが全くないところで生きてきて、ただひたすらトレーニングを続けているといった感じですよね。人生と言うものがどういうものなのか、人との関わりというものを全く知らないような女性なのでそれをどうやって役作りしていいのかわからないと言っていました。だからこそ彼女の持っている自然さや勘や純粋さが生きるんじゃないかと思いました。自然体と言うのは純粋さという面が出てくるかと思いますし、それで適役なんじゃないかと思いました。それ以外にもフィジカルな面でもこの役には合っていると思います。役作り意外にも彼女の持っている素質があったのではないかと思います。


Q:長編の脚本を2作書かれていますが、初長編監督作品を自分のオリジナルで作るということは、すごく恵まれていると思います。日本では原作ものやマンガの映画化だとかドラマの集大成的な映画などが多くてオリジナル脚本が少ないのですが、スペインではどういう状況なのでしょうか?
初長編監督作品を自分のオリジナル脚本でできたのはホントにホントに恵まれているし幸運だったと思います。日本がそういった状況だということは知らなかったが、それはハリウッドでも起こっていると思います。収益性ありき、収益性が確保できるということを前提に映画を作るという形になっています。スペインに関してはまだそこまでいっていない。確かに自分の脚本で作品を作ることは簡単ではなくて、才能のある人がいっぱいいながらなかなか作品を作れずに終わってしまうことも多いわけですけれども、まだオリジナルの脚本に基づいて映画を作りたいっていうそういった市場がスペインにはまだあります。
難しいことだし、ニッチではあるがまだオリジナル作品を作ることができる市場は存在しています。

:日本のみなさんにメッセージをお願いします。
私にとって自分の作品は日本で公開できるっていうのは非常にうれしいし、日本の観客に気に入ってもらいたい。この映画のテーマは世界どこの国でも理解していただけるテーマであると思います。東京が大好きになりましたのでまた来たいです。


テム・クライチェ監督プロフィール
レバノン系のサモラ出身の監督・脚本家。ヴァラエティ誌で2012年に「注目すべき若手スペイン映画製作者」の一人に選ばれている。アテムはサラマンカのUPSAでジャーナリズムを学び、その後キューバのEICTVで監督と脚本コースを学んだ。本作を監督する前に、『ヒドゥン・フェイス』(11)、『ゾンビ・リミット』(13)の脚本を手がける。彼は6本の短編映画を監督/脚本し、多くの国際映画祭から注目を集めた。そのうち最も有名なものは2009年のゴヤ賞にノミネートされた‘Machu Picchu’と2010年マラガ国際映画祭特別審査員賞受賞したGenio y Figura’である。


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