ニュースの真相 横田

 

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『ニュースの真実』(原題Truth)ーーリアリズムを支える水際立った演技

         横田 安正

 これは現職大統領の軍歴詐称を告発しようとした女性TVプロデューサーが保守勢力の猛反撃にあい敗北するという話である。原作はCBSの元プロデューサー、メアリー・メイプスの自叙伝「Truth & Duty: The Press, The President, and the Privilege of Power」。

 

バンダービルトの初監督作品
 脚本家ジェームズ・バンダービルトが初めてメガホンを取った。彼の監督としての立場は明確である。あくまで主人公の側に立ち、彼らに圧力を加える右翼、保守陣営を悪とみなし、権力に翻弄されるジャーナリスト達を可哀想な被害者として描く。描写はメロドラマティックで哀しい音楽が悲壮感を盛りたてる。しかしながら、(当然のことだが)装飾的な映像に頼ることなく、リアリズムに徹しており、役者たちの演技に全てを委ねているように見える。そして、この映画を単なるメロドラマに偏することから救っているのがメイプスを演ずるケイト・ブランシェット、名アンカーを演ずるロバート・レッドフォードの水際立った演技である。脇役の面々も個性的で芝居が上手い。監督デビュー作品としては成功といえる出来栄えである。(監督の立場を適切でないという非難も多いようだが、所詮監督とは自分の立ち位置を明白にする仕事であり、それにつき第三者があれこれ言ってもはじまらない、と筆者は思う)。

ストーリー
 2004年、ジョージW. ブッシュは再選を目指し選挙戦に入っていた。CBS「60ミニッツⅡ」のプロデューサー、メアリー・メイプスとスタッフは大統領が昔、ヴェトナム派兵を忌避するため父ブッシュのコネを使い、テキサス空挺団に入隊したという文書(いわゆるキリアン文書)を手に入れる。この文書が本物であるという元将軍の証言も得られた。自信満々のメイプスは喜び勇んで放送に踏み切った。

 ここまでで、映画全体のほぼ3分の1であるが、その描写はややありきたりで平板、退屈ですらある。というのも彼らの取材は全て電話によるものだからである。しかし、右翼・保守派のブロガー達が一斉に「あの文章は偽物だ」と言い出すと様相は一変、映画はがぜん緊張感に包まれる。彼らは文書が1970年代のワープロで打たれたものではなく、マイクロソフト・コンピューターの「ワード」で打たれたものだと主張した。例えば、日付の後、右肩につくth(たとえばMay 24th)はワープロでは打てないと言う。CBSの経営陣は取材スタッフを擁護するどころか、困惑を隠せず、「早急に真実を証明せよ」と迫ってきた。後日、右肩のthは1931年から使われていることが分かり一段落したが、今度は文書が本物だと証言した人物が前言を翻してきた。取材相手が複数でなくシングルであったことが裏目に出たのである。攻める側が一挙に守る側に回ってしまった。ネットでは「Gut the witch魔女の腹を裂け」といった彼女を口汚く中傷する言葉で埋め尽くされる。保守派の包囲網がひたひたと迫ってくる恐怖が見る者に伝わってくる。この映画の3分の2は両者の攻防に費やされる。

 CBS は優秀な弁護士の一団からなる「内部調査委員会」を作りメイプスを尋問、メイプスも堂々と立ち向かう。「They do not get to smack us just for asking questions. 質問をしただけで我々をこんな目に遭わす権利は彼らにはない筈だ」。彼らは枝葉末節な話に終始、ことをウヤムヤにしたまま終止符を打とうとしたが、彼女は最後に「どうして私の政治的な立場を聞かないのか」と迫る。「私はリベラル(左翼)でも保守(右翼)でもない。真実を追求するだけの人間だ。この件の問題は瑣末なことではなく、大統領の軍歴詐称が有ったのかどうかということだ」と言い放つ。ジャーナリストとしての矜持が云わせた一言である。これで彼女の罷免が決定的になった。ダン・ラザーも辞任を決意する。アメリカが自画自賛するデモクラシーが危うい「法の元の暴力装置」により動かされているのが如実に分かるシーンである。ちなみに、この映画のAD (宣伝クリップ) の放送をCBS は拒否しているという。

ケイト・ブランシェットの演技
 何時ものことだが、何とも言えない素晴らしい演技である。今回はいつものブランシェットにしてはやや「抑え気味」の演技だが、それだけに内部に鬱積したエネルギーは凄まじく「身体全体の汗腺から感情が沸騰して噴き上がる」ような感触を筆者は感じた。彼女は猛演してもやり過ぎ、過剰感を与えない稀有な女優である。身体の隅々まで役の人物になりきっているので、何をしてもウソを感じさせないのだ。メイプスは少女時代に父親の暴力に晒されて育っており、反対派は父親を探しだして娘を口汚く誹謗させた。父との久しぶりの電話で彼女は一瞬にして少女に変身してしまい、子供の声で「ダディ、お願いだから止めて・・・」としか言えないのである。涙を誘うこのシーンはまさに演技賞に値する。

ブランシェットは、戦後ハリウッドを席巻した「メソッド演技」とは明らかに一線を画している。戦争が終わって、スタニラフスキーの弟子と称する何人かの演出家がソ連からイギリスに渡りアメリカに行き着き、「メソッド」を普及させた(マーロン・ブランド、ロバート・デニーロ、アル・パチーノなど)。一言でいえば、自分の体験から感情を想起させ演技に結びつける方法で「ケレン味」を廃しているようで逆にケレンを生むところがある。ブランシェットは役を大づかみに一気に捉え、呑み込み、まっしぐらに感性を解き放つ。
重箱の隅を突つくような、イジイジした“迷い・ためらい”とは無縁である。

 もう1つ特筆すべきは、オーストラリア出身でイギリスで活躍する彼女がみせた完璧な“米語”である。特に/r/の響かせ方が素晴らしい。米国以外の国の出身でアメリカ人を演ずる俳優はたくさんいるが、ブランシェットほど完璧にアメリカ人になりきった俳優を筆者は知らない。素晴らしい、いや凄まじい、プロ根性である。

老境に入って増々良くなったロバート・レッドフォード

 若いころのレッドフォードを筆者はそれほど好きではなかったが、80歳になった今、渋さと優しさが相まって素晴らしいダン・ラザーを演じた。本物のダン・ラザーはもっと強面で硬派のイメージだが、この映画ではブランシェット演ずるメイプスと事実上の父・娘の関係を担っており、これは彼にぴったりの美しい脚色である。この事件をきっかけに辞任することになるが、何とも言えぬ哀感を醸し出す。彼が取材スタッフに語った「When you stop asking questions, that’s when the American people lose. 君たちが質問を怠ったとき、アメリカは滅亡に向かう」は味のある名文であった。

 脚本家として一家をなしたジェームズ・バンダービルトだが、監督としてもかなりの力量を見せてくれた。今後に期待したい。

 

©2016 A. Yokota. All Rights Reserved. 12 Sept 2016.

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